上品で落ち着いた雰囲気が魅力の女優・萬田久子さん。
テレビや映画で見かけることが多い方ですが、「あの品の良さは、どんな家庭環境から育まれたのか?」と気になったことはありませんか?
実家はお金持ちという噂もありますが、その真相やご両親の職業、兄弟姉妹との関係など、意外と知られていない情報も多いようです。
今回は、萬田久子さんの本名や家族構成、幼少期のエピソードなどを通して、素顔に少しだけ迫ってみたいと思います。
萬田久子の実家はお金持ち?
萬田久子さんは、大阪府大阪市大正区出身です。
実家の詳しい場所は公表されていませんが、大阪市立泉尾東小学校、大阪市立大正中央中学校を卒業していることから、2つの学校の学区内に遭ったと思われます。
萬田久子さんの先祖は現在の愛媛県八幡浜市にあり、漁業で生計を立てていたものの台風で大被害にあったことで祖父の代で大阪に移り、印刷業の「勝栄堂印刷所」を開業しました。
その後お父さんが印刷所を復活させたものの、現在印刷所があった場所は病院になっているそうです。
ネット上では「肉屋を営んでいた」という噂もあるものの、萬田久子さん自身が「実家が肉屋だった」と話したことはありませんでした。
また「実家はお金持ちではないか?」という噂についても証拠はなく、不明です。
萬田久子の本名
萬田久子さんは、本名で活動しています。
芸能界に入ったばかりの頃は当本名ではなく「道頓堀 心子(心斎橋の“心”)」という芸名を付けようと事務所の先輩に言われていたそうです。
しかし芸名が決まる前にドラマ 『なっちゃんの写真館』への出演が決まったことで、本名のままで女優としてデビューし、以降も名前を変えずに活動を続けていくことになりました。
萬田久子の父親
萬田久子さんのお父さん・萬田榮久(まんだ・えいきゅう)さんは、誠実で働き者として知られる方だったようです。
家庭を支えるために、若い頃から懸命に働き続け、子どもたちの将来のためにさまざまな職業を経験してきたそうです。
かつてはお酒の配達業をされていたことがあり、収入を得ながら家族の生活を支える一方で、ある目標に向けて地道に準備を進めていたとのこと。
その目標というのが、かつて家業として営んでいた印刷業「勝栄堂印刷所」の再興だったようです。
しっかりと資金を貯め、ついにはその印刷所を復活させるという努力家ぶりを発揮されました。
さらに、萬田久子さんの弟さんが生まれたのを機に、より安定した収入を得るため、運送業に転身。中央卸売市場での仕事に従事されるなど、家族のために常に最善を尽くす姿勢が印象的です。
特別な肩書きや派手さはなくとも、コツコツと働き続ける誠実な姿勢が、萬田さん自身の価値観にも影響を与えているのかもしれませんね。
そんな中、萬田久子さんが「ミス・ユニバース日本代表」に選ばれたという朗報が舞い込んだ矢先のこと。
代表就任からわずか2ヶ月後、お父さんは突然体調を崩し、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
この出来事は萬田さんにとって大きな喪失であり、同時に人生観を大きく変える経験でもあったはずです。
当時の報道などによると、萬田さんはこのときの経験を「父が見守ってくれている」と前向きに受け止め、自身の芸能人生の原動力として大切にしているとも語っていたようです。
一見すると華やかな世界で活躍されている萬田さんですが、陰には家族への感謝と、お父さんの誠実な生き方が深く根付いていることが伝わってきます。
こうした背景を知ることで、萬田久子さんという人物像にもまた違った深みが感じられますね。
萬田久子の母親
萬田久子さんのお母さんは、萬田孝子(まんだ・たかこ)さんという方です。
裁縫の技術に長けており、若い頃は洋裁学校でしっかりと技術を学び、その後は地元・和歌山県新宮市の仕立て屋で腕をふるっていたそうです。
まさに「洋裁一筋」といえる人生で、服作りに対する情熱が伝わってきますね。
お父さんとはお見合いで結婚され、萬田久子さんを出産した後も、家庭と仕事の両立をしながら洋服作りを続けていたようです。
萬田さんが幼少期を振り返ったインタビューでは、「家の中には洋裁部屋があり、ミシンの音がいつも聞こえていた」と話していたことがありました。
ファッション雑誌もたくさん置いてあり、自然と美意識が育まれる環境だったことがうかがえます。
また、萬田さんの幼少期の洋服は、ほとんどが孝子さんの手作り。
仕立て屋で培った技術を活かし、娘のために一着一着丁寧に仕立てていたとのことです。親子のあたたかな関係が伝わってきますね。
ただ、成長とともに周囲の友達が着ているジーンズや既製品の洋服に憧れるようになり、「たまにはお店の服が着たい」と思うようになった時期もあったそうです。
その気持ちをお母さんにぶつけたこともあり、親子でケンカになることもあったのだとか。
このエピソードには、多くの方が「わかる…」と共感してしまうかもしれませんね。
とはいえ、長年にわたって手作りの洋服に包まれて育ったという環境は、萬田久子さんにとって特別なものだったはずです。
洋裁に込められた母の想いと、家庭のぬくもりが、現在の品のある佇まいやファッションセンスの源になっているのかもしれません。
裁縫という“技術”と“愛情”を通して娘を支え続けた萬田孝子さんの存在は、表舞台で活躍する萬田久子さんにとって、何よりも大きな心の支えであり、原点でもあるのでしょう。
家族の物語に触れることで、萬田久子さんの魅力に一層深みを感じる方も多いのではないでしょうか。
萬田久子の兄弟や姉妹
萬田久子さんには、6歳年下の弟さんがいらっしゃいます。
ご家族の中で唯一の兄弟にあたる存在で、萬田さんにとっても特別な存在だったようです。
弟さんのお名前は「萬田拓也」さんとされており、一般の方のため、職業や顔写真などの詳細なプロフィールは公開されていません。
芸能活動をされていないことから、プライベートを尊重する形で情報が控えめに扱われているようですね。
とはいえ、萬田久子さんと弟さんの仲の良さは、時折ご本人の語るエピソードからも感じ取ることができます。
たとえば、萬田さんは弟さんから「チャコちゃん」と親しみを込めた愛称で呼ばれていたことがあるそうです。
この「チャコちゃん」という呼び名には、家庭内でのあたたかな空気感や兄妹の距離の近さが表れていて、微笑ましい気持ちになりますよね。
過去のインタビューなどでも、萬田さんが家族の話をするときにはどこか柔らかい表情になることが多く、家族、とくに弟さんとの関係をとても大切にされている印象を受けます。
また、弟さんが誕生したのは、萬田さんが小学生のころ。
6歳という年齢差はちょうどよく、姉として面倒を見たり、時にはちょっとしたケンカをしたりと、家庭の中でも色濃い思い出があったのではないかと想像できます。
萬田さんの落ち着いた雰囲気や人との接し方には、こうした家族との関係性が自然とにじみ出ているのかもしれません。
弟さんが芸能界に登場することはなさそうですが、一般人だからこそ守られる日常と、萬田さんの支えとしての存在は、これからもきっと大きな意味を持っているのではないでしょうか。
有名人の兄弟はどうしても注目されがちですが、こうして静かに支え合う距離感もまた、とても素敵な家族の形ですよね。
まとめ
萬田久子さんは両親が既に天国へ旅立っていますが、トーク番組などでは家族エピソードを明かしており、とても良好な関係を築いていたことがわかります。
これからも家族との思い出をたくさん聞かせてほしいですね。
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