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石橋凌の若い頃バンドARBでデビュー!出身高校や大学・年収なども

ishibashiryo_career 俳優
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近年は俳優としての活動が多い石橋凌さんですが、デビューはバンドのメンバーでした。

石橋凌さんは何故俳優業を始めたのでしょうか。

今回は、石橋凌さんの経歴や出身学校、バンド時代について調べてみました。

石橋凌の若い頃がかっこいい!

石橋凌さんの若い頃の姿はこちらです。

今はダンディでカッコイイ石橋凌さんですが、若い頃もカッコ良さは変わりませんね。

ネット上でも若い頃の石橋凌さんについて「カッコイイ」、「憧れだった」などという声が聞かれていました。

石橋凌はバンドARBでデビュー!

石橋凌さんは、1977年にボーカルを探していたバンド「ARB」に、甲斐よしひろさんの紹介で加入、田中一郎さん、KEITHさん、宮城伸一郎さん、エンマさんと共に1978年にシングル『野良犬』でデビューしました。

1979年にはアイドルとして売り出そうとした事務所と対立して独立、1980年代に入るとめんたいロックの第二世代として注目を浴び、戦争や労働者、社会の在り方などを主題においた曲を数多く発表したため、社会派バンドと呼ばれていました。

1990年には一度解散するも1997年に再結成して第4期「ARB」として1998年2月にシングル『TOKYO OUTSIDER』で復活、しかし2006年3月1日に石橋凌さんが脱退を表明し、バンドは活動を休止しています。

石橋凌のプロフィールや経歴

名前:石橋凌
生年月日:1956年7月20日
出身地:福岡県
血液型:AB型
身長:170cm
所属事務所:ENTER the DEE

「ARB」として活動をスタートさせたものの、レコードの売れ行きやコンサートの動員に悩んでいた20代半ばの石橋凌さんは、あるスポーツクラブで、金子正次さんと松田優作さんに出会いました。

松田優作さんに自身の悩みを相談するなど交流したのち、松田優作さんが監督する映画『ア・ホーマンス』に誘われて出演、それまで演劇経験がほとんどなかったものの、松田優作さんから厳しい指導を受け、キネマ旬報新人男優賞、熊本映画祭新人男優賞を受賞しました。

1989年には『Aサインデイズ』で、ヨコハマ映画祭主演男優賞を受賞するなど音楽活動と俳優活動を両立させていましたが、松田優作さんが病気で亡くなってしまったことを受け、音楽活動を封印し、俳優業に専念するようになりました。

1995年には『クロッシング・ガード』でハリウッドデビューを果たし、SCREEN ACTERS GUILDに加入、さらに2002年には46歳でシングル「カクテル・トゥナイト」でソロデビューしています。

石橋凌の年収

石橋凌さんの年収は公表されていません。

現在は俳優として大河ドラマや連続ドラマ、映画などジャンル問わず出演しています。

主役ではないものの脇役として作品を盛り上げており、実力もあることからギャラは高く、年収は数千万円ほどではないかと思われます。

石橋凌の学歴

石橋凌さんが通っていた学校について調べてみました。

石橋凌の出身小学校

出身小学校は公表されていません。

石橋凌さんは幼い頃から映画に熱中しており、町内の映画館で上映する作品を洋画邦画問わずほとんど観て、映画日記をつけていたそうです。

石橋凌の出身中学

小学校卒業後は、久留米市立城南中学校に進学しました。

中学時代は映画研究同好会を結成し、本気で映画評論家を目指していました。

石橋凌の出身高校

中学校卒業後は、福岡県立久留米高等学校に進学しました。

こちらの学校の偏差値は、60です。

高校時代は軽音楽同好会に入り、博多の伝説的ライブハウス「照和」に出演し、当時から本気でプロを目指していました。

音楽に熱中するあまり学校の成績はギリギリで、自作曲「12の頃」を聞いて泣いてくれた数学教師に諭されて卒業を決意したのだそうです。

石橋凌の出身大学

高校卒業後は、進学していません。

「ARB」に加入するまではアルバイトを転々する生活を送っており、イタリアンレストランでの経験からピザは生地から作れるほどの腕前を持っています。

まとめ

音楽で芸能界に入り、松田優作さんとの出会いがきっかけで芸能活動が大きく変わった石橋凌さんは、現在も老若男女問わず支持されている人気俳優のひとりです。

空の上で見守ってくれている松田優作さんのためにも、これからも俳優として、時にはミュージシャンとして、頑張ってほしいと思います。

出演してるドラマについてはコチラ!

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