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志ぃさー(藤木勇人)の嫁や子供は?年齢や経歴・兄弟や実家についても

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沖縄県を拠点に日本全国で活動するマルチタレント・志ぃさーさんは、どんな人なのでしょうか。

結婚しているのか、両親や兄弟は何をしている人なのか、気になります。

そこで今回は、志ぃさー(藤木勇人)さんの経歴や家族、結婚について調べてみました。

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志ぃさー(藤木勇人)の嫁や子供は?

志ぃさーさんは、婚姻歴があります。

芝居の世界に足を踏み入れる頃にはすでに結婚し、子供も生まれていたそうです。

しかし現在については明かされておらず、奥さんや子供と暮らしているのかは分かりませんでした。

また奥さんや子供についての情報は一切なく、名前や年齢、顔写真などは公表されていません。

志ぃさー(藤木勇人)のプロフィールや経歴

名前:志ぃさー (藤木勇人)
生年月日:1961年1月9日
出身地:沖縄県
血液型:A型
身長:165cm

元々、小さい頃から本能的な芝居好きでよく芝居を観に行っていたという志ぃさーさんは、郵便局員として働きながら1985年にアマチュア劇団「笑築過激団」に入りました。

高校の同級生のお兄さんがこの劇団の役者をしていたことから紹介されて、舞台を手伝う黒子役として参加することになったそうです。

劇団を退団してからも役者として活躍、1992年に映画『パイナップルツアーズ』出演し、スクリーンデビューを果たしました。

1998年には「第32回沖縄タイムス芸術選賞〈演劇部門〉」奨励賞を受賞しました。

現在は一人ゆんたく芝居『うちな〜妄想見聞録』の県内・県外公演を中心に、各地での芝居公演を行っているだけではなく、ラジオ沖縄『ハイサイ!藤木勇人のヤマトde沖縄タイム』のパーソナリティーなどを務めています。

りんけんバンドで活動していた

1986年 、志ぃさーさんは「りんけんバンド」に加入しました。

「りんけんバンド」は、1987年デビューし、三線や島太鼓など沖縄の楽器と現代の楽器との融合した『沖縄ポップ』という新しい音楽を作っているバンドです。

劇団退団後はバンド専属として活動して打たものの、1993年 にバンドから独立しました。

この時志ぃさーさんは自分に限界を感じていたそうです。

バンドは人気絶頂を迎えていたものの「辞めるならば今しかない」と決断、辞める時は大喧嘩だったものの「自分はミュージシャンではなくて芝居人として生きていきたい」という思いを貫き通しました。

立川志の輔に弟子入り

1993年、志ぃさーさんは落語家の立川志の輔さんに師事しました。

沖縄ジァンジァンで寄席を開いていたのが当時二ツ目だった立川志の輔さんだったそうで、それまで落語はあまり観たことがなかった志ぃさーさんでしたが、落語の世界に惹かれ、沖縄・東京での「南島妄想見聞録」定期公演を始めたのです。

2010年には立川志の輔さんの番外編弟子として正式に認められ、2013年10月1日に芸名を「立川志ぃさー」に改名しました。

現在は立川を返上して高座名「志ぃさー」で活動しています。

朝ドラの方言指導もしている!

2001年、NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』に、志ぃさーさんは初めて出演しました。

舞台が沖縄ということから、沖縄ことばの指導も行っていました。

2022年にもNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』に出演、前回に続き沖縄ことばも指導しています。

志ぃさー(藤木勇人)の実家両親や兄弟

志ぃさーさんは、米軍占領下の沖縄・コザ(現・沖縄市)で生まれ育ちました。

両親は鹿児島県出身で、お父さんは米兵を相手にした家具店を経営しており、組み立て式ベットで大当たり、その後お母さんと共にバーを切り盛りしていたそうです。

そして志ぃさーさんは男2人、女2人の4人兄弟の次男として誕生しました。

両親、兄弟は一般人ということもあり、名前や顔写真などは公表されていません。

まとめ

20代の頃は郵便局保険外務員を勤めながら、役者や音楽活動を行っていた志ぃさーさんですが、『ちゅらさん』シリーズをきっかけに知名度を上げ、活躍の場も広がりました。

これからも沖縄の魅力を伝えながら、志ぃさーさんらしく活動を続けていってほしいと思います。

志ぃさー(藤木勇人)さんの他のことについてはコチラ
出演しているドラマについてはコチラ

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