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相島一之は珍しいがんの過去?身長や年齢・本名や年収・出身高校や大学について

aigimakazuyuki_career 俳優
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俳優の相島一之さんは、多数のドラマや映画に出演しています。

過去には珍しいがんを患っていたことを公表しています。

今回は、相島一之さんの経歴や出身中学、高校や大学、病気について調べてみました。

相島一之は過去に珍しいがん(ジスト)に罹った過去

2006年、相島一之さんはジスト(消化管間質腫瘍)を患いました。

ジストは粘膜の下にある筋肉層の細胞から発生する「肉腫」の一種で、発症率は年間に10万人に対して1人から2人くらいのマイナーな腫瘍で、消化管の専門家でも診断されないケースが多いのだそうです。

相島一之さんは便意を催してトイレに行ってもすぐに出ないことが多くなり、頑張って出した便には血がついていたため、初めは「痔ではないか?」と思っていました。

そしてクリニックを訪れたところ「痔ではない」との診断を受け、医師から大きな病院を紹介され、総合病院でいくつか検査を受けた結果、直腸に最大径10㎝の腫瘍があることが判明しました。

さらにがん専門病院を受診し消化器外科で再度詳しい検査を受けた結果、ジストであることを告げられたのです。

治療はまずグリベックを使って腫瘍を小さくし、その上で腹腔鏡下手術で腫瘍を切除しました。

その後は長さ20㎝ほどある直腸が全部切除され、さらに肛門の筋肉も約4分の1が切除、S状結腸が直接肛門に繋がれ、腫瘍の切除は完了したものの、そこから一時的に仮設の人工肛門を取り付ける必要があり、手術時間は6時間を要する大がかりなものになったそうです。

「役者の仕事はもうできないかもしれない」と本気で思った相島一之さんでしたが、徐々に病状は快復し役者業に本格的に復帰することになりました。

相島一之さんは当時について「腫瘍が他の細胞にしみ込む『浸潤』の程度が浅かった。周囲の臓器などへの『転移』もしていない。手術を担当してくださった先生が、日本で5本の指に入ると言われる名医だったことも、僕にとっては大きな幸運でした」と明かしています。

現在は再発もしておらず、問題なく俳優業を続けています。

相島一之の若い頃

相島一之さんは、1987年に東京サンシャインボーイズに入団し、1994年の『罠』までの全作品に出演していました。

ただ劇団の仕事だけでは食べていくことが出来ず、ずっとバイト生活をしていたそうです。

その後テレビドラマにも出演するようになりましたが、相島一之さんは「ドラマの撮影に慣れるのに5~6年ほどかかったと思います」と話していました。

相島一之のプロフィールや経歴

名前:相島一之
生年月日:1961年11月30日
出身地:埼玉県
血液型:A型
身長:176cm
所属事務所:シス・カンパニー

大学時代に演劇をやっていた同級生から「部員が足りないんだ。仲間になってくれないか」と頼まれて劇団テアトル・ジュンヌという演劇サークルに参加した相島一之さんは、ここから役者の道を歩み始めました。

その後、三谷幸喜さんと出会い、いきなり「僕と一緒に芝居をやりませんか」と誘われたことがきっかけで、1987年に東京サンシャインボーイズに入団しました。

1991年には『12人の優しい日本人』でスクリーンデビューを果たし、以降はドラマ作品にも多数出演しています。

相島一之の本名

相島一之さんは、本名で活動しています。

名前の由来などは公表されておらず、分かりませんでした。

相島一之の年収

相島一之さんの年収は公表されていません。

現在はドラマ、映画、舞台、CMと多方面で活動しています。

またバラエティー番組にも出演することがあり、年収は数千万円ほどになるのではないかと思われます。

相島一之の学歴

相島一之さんが通っていた学校について調べてみました。

相島一之の出身小学校

相島一之さんは、熊谷市立熊谷東小学校出身です。

小学生の時には『細うで繁盛記』をパロディにしたコントを作って学芸会で披露したことがあるそうです。

「あの頃チャップリンが大好きでドリフターズ、奥さまは魔女、てんぷく笑劇場なんかが好きだったのね」と明かしていました。

相島一之の出身中学

小学校卒業後は、熊谷市立富士見中学校に進学しました。

中学時代のエピソードは明かされておらず、不明です。

相島一之の出身高校

中学校卒業後は、埼玉県立熊谷高等学校に進学しました。

偏差値は、66です。

高校時代は、剣道部に所属していました。

また友人と「ロック研究会」を作り音楽鑑賞に勤しんでいたそうです。

相島一之の出身大学

高校卒業後は、2浪を経て立教大学に進学しました。

相島一之さんは法学部に在籍、偏差値は72~77です。

大学ではキラキラした男の子と女の子であふれており、そんな雰囲気に相島一之さんは馴染むことができず、あろくに授業にも行かず、喫茶店で友だちとダベる自堕落な生活に突入しました。

しかし演劇サークルに所属したことでどっぷりと演劇の世界に浸り、大学には8年間も通い続けていました。

大学卒業後は「ああ、今年も単位がとれなかった」と絶望する悪夢をずっと見続けたものの、結婚後に「まぁ、いいか、落ちても」と夢の中で開きなおることができたことがきっかけで、その夢を1度も見なくななったそうですよ。

まとめ

大学時代に演劇と出会った相島一之さんは、舞台からドラマ、映画と活躍の場を広げていきました。

大きな病気も克服し、今も俳優として活動しています。

これからも相島一之さんの活躍に期待したいですね。

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