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石原良純が養子の噂?実家や家系図がすごい!父親と母親・叔父や祖父も

ishiharayoshizumi_family タレント

石原良純さんは、政治家であり作家としても活躍した石原慎太郎さんの次男として誕生しました。

お母さんはどんな人なのでしょうか。

今回は、石原良純さんの実家や両親、親戚について調べてみました。

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石原良純が養子の噂がある?

石原良純さんについて調べてみると、「養子」というワードが浮上します。

これは石原良純さんの叔父である石原裕次郎さんに子供がおらず、石原良純さんの弟である石原宏高さんを養子に欲しがっていたという話から来たものでした。

石原宏高さんの父である石原慎太郎さんは了承したものの、石原宏高さん本人が嫌がり、養子の話は流れました。

そして石原良純さんは石原裕次郎さんと同じ芸能界に入りましたが、石原裕次郎さんの養子になったわけではありません。

石原良純の実家は逗子にあった

石原良純さんの実家は、神奈川県の逗子にありました。

詳しい場所は公表されていませんが、厨子は石原良純さんのお父さんである石原慎太郎さんが芥川賞を受賞した『太陽の季節』の舞台にもなっており、受賞50年を記念した2005年には逗子海岸に文学記念碑を建立しています。

石原良純の生い立ち

1962年1月15日、石原良純さんは石原慎太郎さんの次男として誕生しました。

小学生の頃から1人でタクシーに乗るなどセレブ生活を送っていた石原良純さんは、叔父である石原裕次郎さんが病に倒れた時、お見舞いに行くことになりその様子を見た芸能事務所からスカウトされ芸能界入りを果たしました。

元々芸能界に興味があったわけではなかったそうで、石原良純さんは「やるかやらないかのところで二者択一で“やる”って決めただけ」と明かしています。

石原良純の家系図がすごい!

石原良純さんは、祖父が汽船会社の支店長、父が元政治家で元東京都知事、叔父が人気俳優、そして兄弟も政治家や画家という家庭です。

そのためメディアやネット上では「華麗なる石原ファミリー」と言われています。

石原良純の父親は石原慎太郎

石原良純さんのお父さんは、政治家で作家の石原慎太郎さんです。

石原慎太郎さんは、1956年に文壇デビュー作である『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞、作家としては他に芸術選奨文部大臣賞、平林たい子文学賞などを受賞し、『「NO」と言える日本 -新日米関係の方策-』、『弟』はミリオンセラーになりました。

1968年に参議院議員に当選、環境庁長官や運輸大臣を歴任し、1999年東京都知事選挙に立候補し当選、その後2012年まで務めました。

次期衆議院選挙に立候補するため東京都知事を辞職し、同年の第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会の候補として比例東京ブロックで当選し17年ぶりに国政に復帰、2014年に政界を引退しています。

そして2022年2月1日に天国へと旅立ちました。

石原良純さんはお父さんについて「やっぱり親父は文学者、物書きだと思っています。最後まで車椅子で机に向かっていましたから」と話していました。

石原良純の母親

石原良純さんのお母さんは、石原典子さんと言います。

石原典子さんは、17歳の時に石原慎太郎さんと結婚、石原良純さん曰く「『趣味・石原慎太郎』みたいな人」だったそうで、いつも子供より石原慎太郎さんを優先していました。

そんなお母さんも2022年3月8日に天国へと旅立ちました。

石原良純さんは「よく『お父さんが呼んだんですね』と言われるけれど、そうじゃないんですね。『母が後を追った』んです」と語っていました。

石原良純の叔父は石原裕次郎

石原良純さんの叔父は、俳優の石原裕次郎さんです。

石原裕次郎さんは、1956年に『太陽の季節』で映画デビュー、1957年には映画『俺は待ってるぜ』、『嵐を呼ぶ男』などが軒並みヒットし、ブルーリボン賞新人賞を受賞しました。

1963年には石原プロモーションを設立、石原良純さんもデビューから1989年まで在籍していました。

石原良純の祖父

石原良純さんの祖父は、石原潔さんと言います。

石原潔さんは、北海道の小樽市で汽船会社の支店長を務めていました。

しかし51歳の時に高血圧による脳溢血で亡くなっています。

まとめ

石原良純さんは、石原家に生まれてきたことで「天才にはいっぱい会う機会があった」と語っています。

インタビューでは「俺には真似できない」と話していましたが、お父さんとは違う芸能界という世界で石原良純さんらしい活躍をこれからも期待したいですね。

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