美容家として多くの女性から支持されている君島十和子さん。
その華やかなイメージとは裏腹に、夫・君島誉幸さんとの結婚には数々の困難があったことをご存じでしょうか。
実は結婚当初、周囲からは祝福の声どころか「反対の嵐」とも言える状況で、スキャンダルや家族間の対立が連日のように報道されていました。
婚外子の噂やブランド継承をめぐる”お家騒動”、さらには激ヤセが原因で病気説まで飛び交うなど、メディアの注目は過熱。
そんな逆風のなかでも、おふたりは歩みを止めず、共に試練を乗り越えてきたのです。
この記事では、君島十和子さんと君島誉幸さんの馴れ初めから、結婚当時に起きたトラブルの背景、そして現在に至るまでの経緯を丁寧にたどっていきます。
君島十和子の旦那は君島誉幸
君島十和子さんの夫は、株式会社FTC(フェリーチェ トワコ コスメ)の代表取締役社長である君島誉幸(きみじま たかゆき)さんです。
君島誉幸さんは1965年生まれで、君島十和子さんの1歳年上にあたります。
ファッションブランド「KIMIJIMA(キミジマ)」の創業者であり、デザイナーとして一世を風靡した故・君島一郎さんのご子息としても知られています。
父の名を冠した高級婦人服ブランドの跡を継ぎながら、現在は妻である十和子さんとともに、化粧品事業を軸とした美容ブランド「FTC」を牽引しています。
実は君島誉幸さんは、医師免許も持つ異色の経歴の持ち主です。
かつては都内の大学病院に勤務していたこともあり、医学の知見を活かした製品開発や成分設計にも関与しているとされています。
特に、FTC製品のコンセプトや原料選定においては「肌に優しく、効果を実感できるもの」を追求しており、その根底には医師としての経験や責任感が息づいているようです。
美容や健康に関する信頼感を支える存在として、君島十和子さんの活動を内側から支え続けてきた存在とも言えるでしょう。
公の場に多く出るタイプではないものの、夫妻の築いてきた事業の背景には、誉幸さんの知性と経営力が確かに息づいています。
君島十和子と君島誉幸の馴れ初め
君島十和子さんと君島誉幸さんの出会いは、1994年11月のことでした。
当時ファッションブランド「KIMIJIMA(キミジマ)」の副社長を務めていた君島誉幸さんが、ブライダルコレクションのゲストモデルを探していたところ、父・君島一郎さんと親交のあった『女性自身』の女性記者に相談。
その記者が紹介したのが、当時、女優として第一線で活躍していた吉川十和子さん(現・君島十和子さん)でした。
ふたりが初めて顔を合わせたのは、1995年2月のこと。
君島十和子さんは君島一郎さんに丁寧に挨拶をしたものの、隣にいた誉幸さんをその息子とは気づかず素通りしてしまい、誉幸さんは「第一印象はあまりよくなかった」と後に語っています。
しかし、その後の打ち合わせや仮縫いなどのやり取りを重ねるなかで、お互いに打ち解けていきました。
同世代ということもあり、自然と距離が縮まっていったようです。
そして1995年5月30日、君島十和子さんの29歳の誕生日に初めてのデートを実現。
プロポーズはその翌月、6月に行われたと言われています。
わずか数カ月でのスピード婚とも言える展開ですが、仕事を通じて信頼を築き、お互いを深く理解する時間を重ねてきた背景があったからこそ、生まれたご縁だったのかもしれません。
現在では、夫婦でコスメブランド「FTC」を運営するなど、公私ともに信頼し合うパートナーとしての関係を築いています。
君島誉幸は激ヤセして病気だと噂されてる?
君島誉幸さんについて検索すると、「激ヤセ」「病気」「がん」などのワードが関連づけられて表示されることがあります。
この噂の発端は、2013年に放送された『はなまるマーケット』(TBS系)で、妻である君島十和子さんが番組内で夫の写真を公開したことにあるようです。
当時の放送で、君島誉幸さんが過去と比べてスリムになっていたことから、「痩せすぎでは?」と視聴者の間で話題になり、一部で病気説が広まったという経緯があります。
しかし、これは事実とは異なり、君島誉幸さんが痩せたのは健康的なダイエットによるものでした。
実際には、10年かけて少しずつ10kgほど体重を落としたとされており、短期間で急激に痩せたわけではありません。
運動や食事の見直しなど、無理のない方法で継続的に体づくりに取り組んできた結果であることが、本人および君島十和子さんのコメントなどからも確認されています。
現在に至るまで、君島誉幸さんが重篤な病気にかかっているという情報や報道は一切なく、公の場にも時折姿を見せており、健康的な生活を送っている様子がうかがえます。
SNS上では過去の姿とのギャップから「病気ではないか」と心配する声もあったようですが、そうした噂は誤解に基づいたものであり、信憑性のある根拠は確認されていません。
見た目の変化だけで過剰に不安視せず、本人の発信や信頼できる情報に基づいて判断することが大切です。
君島十和子と君島誉幸が結婚する時お家騒動で話題に
1995年に結婚を発表した君島十和子さんと君島誉幸さんですが、その直後から家族間の複雑なトラブルが報じられ、”お家騒動”として世間の注目を集めました。
ファッションブランド「KIMIJIMA」はもともと、誉幸さんの父・君島一郎さんが創業した高級婦人服ブランドで、当時は日本を代表するモードブランドとして知られていました。
しかし、結婚報道をきっかけに週刊誌などによるスキャンダル報道が相次ぎ、ブランドイメージが悪化。
売上は急落し、直営店の閉店も相次ぐなど、経営は急激に悪化していきました。
さらに1996年7月には、創業者の君島一郎さんが急性心筋梗塞で急逝。
次期後継者は長男の君島立洋さんと見られていましたが、副社長に就任したのち、わずか半年で退任しています。
実際には、君島誉幸さんが生前の父から長年にわたって経営やデザインのノウハウを学んでおり、遺言状にも「会社は次男に譲る」と明記されていたといわれています。
その遺志を受け継ぐ形で、誉幸さんがKIMIJIMAを継承しました。
ところが、その後の展開はさらに混迷を極めます。
君島誉幸さんは、ブティックで働いていた一郎さんの本妻・由希子さんを解雇。
一方で、長男・立洋さんと母・由希子さんは新たに「ユキコキミジマ」というブランドを立ち上げ、「こちらこそが正統な君島ブランドだ」と主張。
顧客や取引先の多くがユキコキミジマに流れたことで、KIMIJIMAは経営難に陥り、最終的にはブランドとしての継続を断念する事態となりました。
結果的に、誉幸さんと十和子さん夫妻には約40億円にも及ぶ借金が残ったといわれています。
しかし、その後は君島十和子さんが美容家としてキャリアを築き、コスメブランド「FTC(フェリーチェ トワコ コスメ)」を立ち上げたことを機に再起。
地道な努力と支持層の拡大により、ブランドのヒットとともに全額返済を達成しています。
こうした波乱万丈の道のりは、十和子さん自身がたびたびテレビや書籍で語っており、現在では多くの女性から「人生を切り開いた人」として支持されています。
君島誉幸は結婚当時・君島明で婚外子が発覚
君島誉幸さんは、君島十和子さんとの結婚を発表した当初、「君島明(きみじま あきら)」という名前を名乗っていました。
これは、それ以前に使用していた「佐藤明」という本名から改名したものであり、後に現在の「君島誉幸(きみじま たかゆき)」に再度改名しています。
名前の変更が複数回あった背景には、彼が君島一郎さんの”非嫡出子(婚外子)”であったという出自が関係しているとされています。
1995年、婚約会見のわずか2日後、一部の週刊誌が「君島誉幸さんには以前の交際相手との間に子どもがいた」と報道。
加えて、君島一郎さんの正妻の子ではなく、別の女性との間に生まれた婚外子であることも暴かれ、世間は一気に騒然としました。
この報道は大きな波紋を呼び、十和子さんの母親がご近所の方から「そんな人にお嬢さんを嫁がせてはいけない」と忠告を受けたり、著名な占い師が「すぐに離婚する」と断言したというエピソードまで記録されています。
しかし、君島十和子さん自身は、後に出版された著書などで「婚約前に、彼が過去のことをすべて正直に話してくれました。
それを聞いたうえで、それでも彼と人生を共にしたいと思った」と語っており、事前にすべてを知った上での決断だったことを明かしています。
当時はスキャンダルとして大きく扱われたものの、結果的に二人は幾多の困難を乗り越えて夫婦としての絆を深めていきました。
そうした経緯を知ると、君島夫妻の歩みには、表面的なイメージとはまた異なる深みが感じられるのではないでしょうか。
まとめ
君島十和子さんと君島誉幸さんは、結婚発表直後からメディアの注目を集め、多くのスキャンダルや憶測にさらされてきました。
婚外子の報道やブランド継承をめぐる”お家騒動”、そして激ヤセによる健康不安の噂など、決して平坦ではない道のりを歩んできたおふたり。
しかしその一つひとつを正面から受け止め、真摯に乗り越えてきた姿勢からは、深い信頼関係と絆の強さが伝わってきます。
とくに印象的なのは、君島十和子さんが「夫が守ってくれたおかげで、大変だと感じたことはあまりなかった」と語っていたこと。
外からは想像できないような苦労があったにもかかわらず、互いに支え合いながら築いてきた夫婦の在り方に、共感を覚えた方も多いのではないでしょうか。
今も美容家として第一線で活躍を続ける十和子さんと、その背後で静かに支える誉幸さん。
これからも、おふたりらしい穏やかで力強い日々が続いていくことを願わずにはいられません。
