松崎しげるさんは、その深みのある歌声と情熱的なパフォーマンスで多くのファンを魅了してきました。
彼の音楽や演技に心を動かされた方も多いのではないでしょうか。
そんな松崎しげるさんの学生時代や、芸能界入りのきっかけ、さらには所属事務所や年収、ご家族についてなど、気になることがたくさんありますよね。
また、彼の健康に関する噂も耳にすることがあります。
この記事では、松崎しげるさんの学歴や経歴、プライベートな一面まで、最新の情報を交えて詳しくご紹介します。
彼の魅力をより深く知ることで、さらにファンとしての思いが深まるかもしれません。ぜひ最後までお付き合いください。
松崎しげるの学歴
松崎しげるさんは、東京都江戸川区のご出身で、学生時代には野球に情熱を注がれていました。
しかし、肘と肩の故障により野球を断念されたことをきっかけに、音楽の道へ進まれたそうです。
その後、大学在学中に音楽活動を本格化され、プロデビューを果たされました。
このような背景を持つ松崎しげるさんの学歴について、以下で詳しくご紹介いたします。
松崎しげるの出身小学校
松崎しげるさんは、江戸川区第三松江小学校出身です。
この小学校は、地域に根差した教育を行う学校として知られています。
松崎さんは小学生時代、近所のスポーツ店の店長から30kgのバーベルを50回上げることを条件にグローブをもらったというエピソードがあり、幼少期からスポーツに親しんでいたことが伺えます。
また、父親からは「経験は宝」と教わり、良くも悪くも何でも経験することを大切にされていたそうです。
小学校時代からガキ大将として周囲を引っ張る存在だった松崎さんのリーダーシップは、この頃から培われていたのかもしれませんね
松崎しげるの出身中学
松崎しげるさんは、東京都江戸川区のご出身で、地元の公立校である江戸川区立松江第三中学校に進学しました。
中学時代は野球部に所属し、キャプテンを務められるほどの実力とリーダーシップを発揮されていたそうです。
将来はプロ野球選手を目指し、日々練習に励まれていたと伝えられています。
また、当時から女子生徒の間で人気が高く、校内には松崎さんのファンクラブが存在していたとのエピソードもあります。
このように、中学時代からスポーツと人望の両面で際立った存在であったことが伺えます。
松崎しげるの出身高校
松崎しげるさんは、東京都江戸川区のご出身で、江戸川区立松江第三中学校を卒業後、日本大学第一高等学校に進学しました。
この高校は1913年に日本大学最初の付属校として設立された伝統ある学校で、部活動が盛んなことで知られています。
松崎さんは高校時代、硬式野球部に所属し、甲子園出場を目指して日々練習に励んでおられました。
しかし、高校2年生の時に肘と肩を負傷し、野球を断念せざるを得なくなったそうです。
この出来事をきっかけに、音楽への関心を深められ、高校3年生の時にはビートルズのコピーバンドを結成し、音楽活動を本格的に開始されました。
その後、ヤマハのライトミュージックコンテストで関東甲信越代表に選ばれるなど、早くから音楽の才能を発揮されていたようです。
高校時代の友人宅を転々としながら過ごすことも多かったとのことで、自由奔放な一面も伺えますね。
なお、日本大学第一高等学校の卒業生には、漫画家のちばてつやさんや女優の本仮屋ユイカさんなど、多彩な人材がいらっしゃいます。
松崎しげるの出身大学
高校卒業後は、日本大学芸術学部に進学しました。
大学在学中、後にフォークグループ「ガロ」を結成する日高富明さんや堀内護さんとともに、「ミルク(ホットミルク)」というバンドを結成し、音楽活動を本格的に開始されました。
このバンドは、1969年7月12日にフジテレビ系の音楽番組『ビート・ポップス』に「アイス・ミルク」名義でゲスト出演するなど、精力的に活動を展開していました。
また、松崎さんは在学中の1970年にシングル『8760回のアイ・ラブ・ユー』でソロ歌手としてデビューを果たし、学業と音楽活動を両立されていました。
このように、大学時代は松崎さんにとって音楽への情熱を深め、プロとしての第一歩を踏み出す重要な時期であったことが伺えます。
松崎しげるのプロフィールや経歴
【動画コメント】先日、6/10にカバー盤『私の歌~リスペクト~』を発売する松崎しげるの取材に。シビれる言葉満載で話題の『黒フェス』wについても語ったインタビューは、動画に続いて後日アップ!https://t.co/L2nFfymkXy pic.twitter.com/o1fdYDOKHQ
— ぴあ関西版WEB (@pia_kansai) May 15, 2015
名前:松崎しげる
生年月日:1949年11月19日
出身地:東京都
血液型:AB型
身長:167cm
所属事務所:オフィスウォーカー
松崎しげるさんは、1949年11月19日に東京都江戸川区で生まれました。
高校までは野球に打ち込み、プロを目指すほどの実力を持っていたものの、肘と肩の故障によって夢を断念。
そこから一転して音楽の道を志し、日本大学芸術学部文芸学科に進学しました。
大学在学中には、日高富明さんや堀内護さんらとともにバンド「ミルク(のちのアイス・ミルク)」を結成し、本格的に音楽活動をスタートさせます。
この活動が、のちのプロデビューへの土台となりました。
1970年には、ビクター音楽産業(現・JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)のオーディションに合格し、ソロ歌手としてデビュー。
「8760回のアイ・ラブ・ユー」は、伸びやかな歌声と情熱的な表現力が話題となり、当時の歌謡界に新風を巻き起こしました。
さらに1972年、グリコアーモンドチョコレートのCMソング「黄色い麦わら帽子」がヒットし、注目を集めますが、その後しばらくは大きなヒットに恵まれず、CMソングやライブ活動を中心に着実なキャリアを積み重ねていきます。
西田敏行さんと即興で歌を披露していたという、六本木でのエピソードは今でも語り草になっています。
そして転機となったのが1977年。
再びグリコのCMソングに起用された「愛のメモリー」が大ヒットし、同年の『NHK紅白歌合戦』にも初出場。
高音域までしっかりと響かせる歌唱力とダイナミックなパフォーマンスは、世代を超えて支持を集め、現在も結婚式やドラマ、バラエティ番組などで広く使われています。
この一曲が、松崎さんの代名詞として広く知られるきっかけとなりました。
音楽活動だけにとどまらず、1980年から始まったTBSの刑事ドラマ『噂の刑事トミーとマツ』では俳優としても人気を博し、コミカルな演技と存在感あるキャラクターでお茶の間に定着。
その後も、舞台、テレビ、映画、ナレーションと幅広い分野に活躍の場を広げ、「ディナーショーキング」とも呼ばれるほど、年間200本以上のディナーショーをこなし続けるなど、圧倒的なパフォーマンス力でファンを魅了してきました。
また、松崎さんの“日本一黒い肌”は、彼の代名詞の一つ。
バラエティ番組やCMではこの個性を逆手に取り、ユーモアたっぷりの演出で注目され、2020年には「世界一日焼けした男」としてギネス世界記録への挑戦も話題に。
記録認定には至らなかったものの、そのインパクトは大きく、多くのメディアで取り上げられました。
さらに、2015年には「松崎しげるの日(9月6日)」が記念日協会に正式登録され、毎年開催される音楽フェス『黒フェス』も第10回を迎えるまでに定着。
ここでは若手アーティストとの共演も多く、世代を超えた音楽交流の場としてファンからも支持を集めています。
2025年現在、芸能活動は50年以上に及び、年齢を感じさせないエネルギッシュな歌声とステージングは健在。
若手アーティストやアイドルとのコラボレーションにも積極的で、テレビ番組や声優としての出演など新しいチャレンジにも意欲的です。
メディア出演のたびにその人柄の良さやプロ意識が話題になるなど、長年にわたって芸能界の第一線で愛されてきた理由が随所に感じられます。
今後のさらなる活躍にも、大いに期待が高まります。
松崎しげるの所属事務所
松崎しげるさんは、1989年に長年のマネージャーである大谷勝巳さんとともに、前所属事務所から独立し、芸能プロダクション「株式会社オフィスウォーカー」を設立しました。
拠点は東京都港区六本木にあり、設立以来、タレントやアーティストのマネージメント業務を中心に、イベントの企画・制作、音楽・映像作品のプロデュースまで幅広く手がけています。
オフィスウォーカーには松崎さんのほか、大橋純子さんや姿月あさとさん、中孝介さん、竜馬四重奏、703号室など、実力派かつ個性豊かなアーティストたちが在籍しており、それぞれがコンサートや舞台、テレビなど多様なジャンルで活躍しています。
音楽性の高いメンバーが揃っていることもあり、同事務所は単なる芸能マネージメントにとどまらず、作品制作にも積極的に関与している点が特徴です。
近年では、自社運営の音楽レーベル「ロックチッパーレコード」をはじめ、FamEntertainment株式会社、株式会社SL-Company、株式会社ブロウグロウといった関連会社との連携を強化しながら、新人アーティストの発掘や育成、音楽イベントのプロデュースなどにも注力。
特に「黒フェス」など松崎さん主催の音楽イベントでは、所属アーティストのみならず外部の人気ミュージシャンとの共演も多く、オフィスウォーカー全体として“音楽を軸としたエンターテインメントの多角展開”を実現しています。
2025年現在も、松崎さん自身の活動と連動する形で、所属事務所としてのブランド力や影響力を着実に高めており、シニア世代のみならず若い世代に向けたアプローチにも積極的です。
こうした長年にわたる安定した活動体制と、独立から一貫して築かれてきた信頼関係が、松崎さんの芸能活動を支える大きな柱となっています。
松崎しげるの年収
松崎しげるさんの年収は正式には公表されていません。
しかし、歌手としてだけでなく、タレント・俳優・ナレーターとしても長年第一線で活躍を続けており、現在でも多方面からの仕事が途切れることがないことから、相当な収入を得ていると推測されます。
ここでは松崎さんの主な収入源を細かく見ていくことで、年収の実態に迫ってみましょう。
① ディナーショー・ライブの出演料
「ディナーショーキング」とも称される松崎しげるさんは、年に100本以上ものディナーショーやライブをこなすこともあるそうです。ディナーショーは通常のコンサートに比べて単価が高く、1本あたり数十万円〜100万円以上になることも。仮に1回50万円のギャラで100本行えば、それだけで約5000万円の収入が見込まれます。
② CM出演・広告契約
2023年にはスマホゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』のCMで松崎さんの歌声が起用され、SNSでも大きな話題となりました。CM1本あたりの契約料は、顔出し+歌唱ありで3000万円規模になることもあるため、広告収入だけでも年間1000〜3000万円ほどの可能性があります。
③ テレビ・ラジオ・ドラマなどのメディア出演
バラエティ番組や情報番組、ナレーションやゲスト出演なども安定した収入源です。1本の出演料は10〜30万円前後とされており、レギュラー番組や特番などを合わせると、年間500〜1000万円近い報酬が見込まれるでしょう。
④ 楽曲の印税収入
1977年に大ヒットした「愛のメモリー」は今も結婚式やバラエティ番組で定番ソングとして使われており、使用料や印税が継続的に発生していると考えられます。ストリーミングやカラオケ、番組での楽曲使用により、年間数十万円〜数百万円程度の印税収入がある可能性は十分あります。
⑤ 書籍・エッセイなど出版物の印税
松崎しげるさんはこれまでにエッセイや語録集、フォトブックなども出版されており、それらの書籍からの印税も収入の一部となっています。販売部数にもよりますが、こちらも数十万円〜100万円前後の収入が見込まれる分野です。
⑥ イベント出演・トークショー・企業案件
企業イベントやフェスへのゲスト出演、MC、トークショーなども多くこなしており、1件あたり20万〜100万円ほどの出演料が相場です。年間を通じての出演数を踏まえると、数百万円レベルの収入が加算されると考えられます。
以上の収入源を総合的に推定すると、松崎しげるさんの年収は少なく見積もっても8000万円以上、状況によっては1億円を超えている可能性もあります。
長年にわたりエンターテインメントの最前線で活躍を続けてきた松崎さんだからこそ、これほどまでの多角的な収益モデルが成立しているのかもしれません。
安定した人気と高いパフォーマンス力を武器に、今なお新たなメディアや世代にもアプローチし続ける松崎しげるさん。
その活躍ぶりを支えるのは、まさに地道で幅広い仕事ぶりに裏打ちされた実力と信頼に他なりません。
今後もその収入動向から目が離せない存在であることは間違いなさそうです。
松崎しげるの病気の噂は本当?
松崎しげるさんに関する健康上の噂について、最新の情報をもとに検証してみましょう。
2017年、松崎しげるさんはテレビ番組『爆報!THEフライデー』で人間ドックを受診し、前立腺肥大症と認知症予備軍と診断されました。
前立腺は通常15~20グラムとされていますが、松崎さんの場合は約45グラムと2倍以上の大きさだったそうです。
しかし、現時点では薬物療法で対処可能とされ、入院などの特別な治療は行われていません。
また、2020年には『主治医が見つかる診療所 芸能人人間ドックSP!』に出演し、がんの検査入院をしたことを明かしましたが、結果的にがんは見つからなかったとのことです。
さらに、2021年には加齢性難聴と診断されたことが報じられています。
長年の歌手活動で大音量にさらされてきた影響もあり、聴力の低下が見られたようです。
しかし、補聴器の使用により聞こえを取り戻し、現在も精力的に活動を続けています。
2024年3月には体調不良でイベントを延期することがありましたが、その後の会見で元気な姿を見せ、「体調が悪いと、顔色がもっと黒くなります」とユーモアを交えてコメントしています。
これらの情報から、松崎しげるさんは過去にいくつかの健康上の課題に直面しましたが、適切な対応と治療を受け、現在も元気に活動を続けていることがわかります。
健康管理に努めながら、これからもその活躍を期待したいですね。
まとめ
松崎しげるさんの学歴や経歴、所属事務所、年収、そして体調にまつわる情報まで、さまざまな側面からご紹介してきました。
高校・大学時代のエピソードや、野球から音楽への転身といった人生の転機を知ることで、松崎しげるさんの人柄や努力の軌跡に、より深い魅力を感じた方も多いのではないでしょうか。
また、体調に関する過去の報道が気になっていた方にとっても、現在も元気に活躍されている様子がわかり、少し安心されたかもしれません。
年齢を重ねてもなお現役で活躍されている松崎しげるさんの姿は、多くの人に元気と勇気を与えてくれますね。
今後もさまざまなメディアでのご活躍が期待される松崎しげるさん。
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