ジャニーズ事務所に所属し、俳優として多数の作品で主演を務めている岡田准一さんですが、家族はどんな人なのでしょうか。
ネット上では「ハーフではないか?」という噂も聞かれていました。
そこで今回は、岡田准一さんの実家や家族、ハーフの噂について調べてみました。
岡田准一はハーフではない!
前世でどんだけ徳を積んだら岡田准一と結婚出来るんだ…。宮崎あおいになりたい…。いや、二人の子供に生まれ変わりたい pic.twitter.com/a1oGXnFEOD
— あや (@ayabukuro6) June 9, 2018
岡田准一さんは、日本人離れした顔立ちをしています。
そのため「ハーフではないか?」という噂もあるものの、両親は日本人です。
岡田准一さん自身もテレビ番組で「(外国の血は)入ってないです。かずおとよしえの息子ですから」と発言していました。
岡田准一の実家は枚方市!
岡田准一さんは、大阪府枚方市出身です。
実家は御殿山駅から徒歩3分の所にあり、ピアノ教室を開いています。
子供~大人まで、幅広い年代の方々が通っているそうですよ。
岡田准一はひらパー兄さんとしても活躍
関西ではだいぶ違うキャラ設定に驚く関東人。ひらパー兄さん(岡田准一)#これを見た人は大阪の画像を貼れ pic.twitter.com/wwNen37h5x
— るりどん 9月4日 COMITIA141 東3 な-03ab (@soranokakera01) February 22, 2020
2013年4月より、大阪府枚方市枚方公園町にある遊園地「ひらかたパーク」の2代目イメージキャラクター「超ひらパー兄さん」を岡田准一さんが務めています。
2009年から2013年までは、お笑いコンビ「ブラックマヨネーズ」の小杉竜一さんが初代「ひらパー兄さん」を務めていました。
小杉竜一さんが「ひらパー兄さん」を引退したことにより、枚方市出身の岡田准一さんに白羽の矢が立ったのだそうです。
岡田准一さんは関西弁で「オレだよ!」を意味する「わいでおまっ!!」のキャッチコピーを掲げ、「ひらかたパーク」のポスターやCMなどに出演しています。
岡田准一の生い立ち
岡田准一さん子供の頃から良い顔だな〜〜 pic.twitter.com/hkga3b9hmw
— ウォンバットユウキ (@Wombat_Yuki) October 25, 2015
1980年11月18日に誕生した岡田准一さんは、幼い頃はとても大人しい子だったそうです。
小学2年生の時に両親が離婚、以降はお母さんとお姉さんと生活していました。
1995年にお母さんが『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のコーナー「ジャニーズ予備校」に応募し、岡田准一さんはオーディションに合格、すぐに「V6」のメンバーに選ばれ14歳でCDデビューしました。
岡田准一は2人姉弟で姉はピアニスト
岡田准一さんには、お姉さんが1人います。
名前は「岡田美緒」さんといい、3歳からお母さんの指導でピアノを始め、大阪芸術大学大学院を首席で卒業しました。
現在はお母さんと共にピアノ教室で指導しています。
岡田准一の父親
岡田准一さんのお父さんは、岡田かずおさんと言います。
一般人で、顔写真や職業、年齢などは公開されていません。
小学2年生からお父さんとは離れ離れで生活しているものの、お父さんの記憶はあるそうで「なんか家族で会議をしていて、のぞいてみたら“のぞくな”って言われた絵と、親父が歩いてって“じゃあな”って言って出て行った絵だけがしっかり焼きついていて。それを鮮明に覚えている」と明かしていました。
また現在は全く交流がないものの、「父親には変わりないので、元気で幸せに生きていてくれたらいいなと思う」とも話しています。
岡田准一の母親
岡田准一さんのお母さんは、岡田よしえさんと言います。
お父さんと同じく一般人のため、年齢や顔写真は公表していません。
お母さんは東京音楽大学卒業後、音楽を通じて子供の教育に携わり、今も実家のピアノ教室で先生をしています。
岡田准一さんが幼い頃は、お母さんが夜遅くまでレッスンをしていたこともあり、「これでご飯を食べて」とお金だけ置いて行くことも多く、「放っておかれている」と感じたこともありました。
ただシングルマザーで子供2人を育てていくというお母さんの決意のようなものが、岡田准一さんにはきちんと伝わっていたのだそうです。
岡田准一さんが「V6」に加入してから多忙でお母さんとは年に1度会えるか、会えないかになってしまったものの、関係は良好です。
まとめ
岡田准一さんは、中学生の時に「V6」のメンバーになり上京したため、家族と過ごす時間はほとんどありませんでした。
そのため家族とのエピソードもあまり語られていませんが、10代から芸能活動を続けていけたのは、家族の存在があったからだと思います。
これからも岡田准一さんには芸能界という場所で輝き続けてほしいですね。