記事内にPRが含まれています。

長嶋一茂の年収がすごい?自宅や別荘は?出身高校や大学・引退した理由も

nagashimakazushige_career タレント
スポンサーリンク

現在はタレントとして多くの番組に出演している長嶋一茂さんですが、過去には野球選手として活動していました。

そんな長嶋一茂さんはどこの学校に通い、どんな学生生活を送っていたのでしょうか。

今回は、長嶋一茂さんの経歴や出身中学、高校や大学などについて調べてみました。

長嶋一茂の年収がすごい?

長島一茂さんの年収は公表されていません。

野球選手時代は年俸1800万円だったそうですが、引退して1年で「億を超えた」と話していました。

現在もその勢いは止まっていないことから「3億~4億の稼ぎがあるのではないか」と噂されています。

長嶋一茂の現在の収入源は?

長嶋一茂さんの主な収入は、タレント業です。

バラエティー番組を中心にレギュラーをいくつも抱えています。

さらに、芸能界に入ってからは「(芸能界は)先が見えないから」という思いで投資を始めたことも明かしていました。

「不動産だったりファンドだったり為替だったり。分配金、株主配当金とか、そこのお小遣いで回してる」とのことでした。

長嶋一茂の自宅

長嶋一茂さんの自宅の場所は公開されていません。

ネット上では、東京都品川区の城南五山や東五反田などと噂されていました。

長嶋一茂はハワイに別荘がある?

長島一茂さんは、プライベートではハワイに年間100日間程滞在するほどのハワイ好きです。

パニック障害を発症した時も、ハワイで休養していました。

かつては「カネオヘ」というところに別荘がありましたが、今は別の場所に引っ越したそうです。

長嶋一茂の学歴

長嶋一茂さんが通っていた学校について調べてみました。

長嶋一茂の出身小学校

長嶋一茂さんは、大田区立田園調布小学校出身です。

小学生の頃から野球を始めた長嶋一茂さんですが、5~6年生の時に周囲からは「長嶋茂雄の息子が入ってきた」などと騒がれ、リトルリーグにテレビカメラが来たこともあったそうです。

その影響でリトルリーグに300人~400人の子供が入団したことから、長嶋一茂さんは一度野球を辞めてしまいました。

長嶋一茂の出身中学

小学校卒業後は、白根開善学校中等部に進学しました。

偏差値は、30です。

その後2年生の時に田園調布中学校に転校しました。

中学では、陸上部に所属していました。

長嶋一茂の出身高校

中学校卒業後は、立教高等学校(現:立教新座高等学校)に進学しました。

偏差値は、68です。

受験時には桐蔭学園高等学校にも合格しましたが「父親(長嶋茂雄さん)と同じ立教で野球をやりたい」と、こちらの学校に決めたそうです。

高校では野球部に入ったものの、ずっと野球をやっていなかったためキャッチボールもできませんでした。

それでも2年の秋には四番を打つほどにまで成長し、3年生時の1983年春季関東大会県予選準々決勝、同年夏の甲子園県予選も準決勝まで進出しています。

長嶋一茂の出身大学

高校卒業後は、立教大学に進学しました。

長島一茂さんは社会学部に在籍、偏差値は63(現在)です。

大学の硬式野球部では1年生時からレギュラーとなり、日米大学野球に出場、1987年アジア野球選手権大会の代表にも選出されました。

在学中に授業には1度も出席したことがなく、野球部寮とグラウンドの往復で4年間過ごしたそうです。

長嶋一茂がプロ野球を引退した理由

1998年からプロ野球選手としての活動を始めた長島一茂さんは、『ミスター二世』として注目を集め、期待されていた選手でした。

しかし本人は、開幕後に相手投手の攻め方が変わったことでプロの壁を痛感しており、1年目の4月で限界を悟っっていたのだそうです。

中々結果を残すことが出来ず、1996年のオフにお父さんである長嶋茂雄さんから自宅で「一茂、残念だけどお前は来年の戦力構想に入っていない」と戦力外通告を受けました。

この時長島一茂さんはパニック障害を発症していたこともあり、他球団が獲得の意向を見せたものの「これ以上迷惑をかけたくない」と発言し現役を引退しました。

長嶋一茂のプロフィールや経歴

名前:長島一茂
生年月日:1966年1月26日
出身地:東京都
血液型:B型
身長:181cm
所属事務所:ナガシマ企画

「ミスター長嶋」こと長嶋茂雄さんの息子として誕生した長島一茂さんは小学生の頃から野球を始め、1987年のドラフト会議でヤクルトスワローズ、横浜大洋ホエールズの2球団が1位指名で競合し、抽選の結果ヤクルトが交渉権を獲得、入団合意しました。

1988年には春季キャンプから一軍メンバーに選出され、同年4月27日の巨人戦でガリクソンからプロ初ホームランを放ったものの、その後は活躍することが出来ず、1993年には読売ジャイアンツへ金銭トレードで移籍しました。

その後1996年に現役を引退、タレントに転身し、バラエティー番組や情報番組などに出演しています。

スポーツキャスターとしては、1997年〜1999年にフジテレビの『プロ野球ニュース』、2000年〜2002年に日本テレビの『独占!!スポーツ情報』(のちの『THE独占サンデー』)の司会を担当しています。

さらに2000年にNHK朝の連続テレビ小説『オードリー』に、2002年は映画『ミスター・ルーキー』に出演し、『ミスター・ルーキー』では日本アカデミー賞新人賞を受賞するなど俳優としても話題を集めました。

長嶋一茂の所属事務所

長嶋一茂さんは、「ナガシマ企画」に所属しています。

こちらは個人事務所で、長嶋一茂さんが引退してから設立しました。

まとめ

長嶋茂雄さんの息子として野球界で注目を集めた長島一茂さんですが、お父さんのような結果を残せぬまま引退してしまいました。

しかしタレントとしては成功し、老若男女問わず親しまれています。

これからも長島一茂さんらしく、芸能界で輝き続けてほしいですね。

タレント
スポンサーリンク

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました