木山裕策さんといえば、2008年に「home」でデビューし、温かな歌声で多くの人の心をつかんできた歌手です。
その一方で、会社員として働きながら音楽活動を続けてきた経歴を持ち、年収や収入源について気になる方も少なくありません。
実は過去にガンが見つかり手術を経験したこともあり、健康面への関心も常に寄せられています。
現在は病気を克服して歌い続けており、その姿に勇気をもらった人も多いはずです。
さらに代表曲や所属事務所の活動状況も含めて見ていくと、木山裕策さんの歩みの全体像がよりはっきりと浮かび上がってきます。
木山裕策の年収は?
木山裕策さんの年収について、具体的な数字は公表されていません。
ただ、これまでの活動を見れば収入源は幅広く存在していることがわかります。
2008年にデビューした「home」は今もなお代表曲として歌い継がれており、カラオケでの歌唱印税や音楽配信での収益は安定した収入につながっていると考えられます。
特に「home」は結婚式や家族をテーマにしたイベントでもよく選ばれる楽曲で、長期的に支持を集める作品が収入の柱になっているのは間違いありません。
さらに木山さんはテレビ番組『千鳥の鬼レンチャン』への出演でも注目され、知名度を大きく高めました。
こうした地上波番組の出演料や、その派生的なイベント出演も収入に寄与しているはずです。
実際にSNSでは「久しぶりに木山裕策さんを見た」という声も多く、メディア露出が増えることでライブやコンサートの集客にもつながっていることがうかがえます。
また、木山さんは全国各地でのコンサートやディナーショー、音楽イベントに出演しており、チケット収入やグッズ販売も大きな収益源となっています。
YouTubeチャンネルやラジオ出演も行っているため、メディアとリアルイベントの両面でファン層を広げながら収入を確保しているといえるでしょう。
一方で、会社員としてのキャリアを長く持っていたこともあり、音楽一本に頼らずに堅実な生活基盤を築いてきたことが特徴です。
こうした背景から、SNS上では「年収は1000万円を超えているのでは」と推測する声もありますが、あくまで憶測にとどまります。
確かなのは、代表曲の持つ強さと継続的な活動によって、安定した収入を得られる環境を維持しているという点です。
今後も木山裕策さんは、ライブ活動やメディア出演を通して収入を重ねていくと考えられ、歌手としてのキャリアと家族を大切にする姿勢がファンの支持を支えていくでしょう。
木山裕策の収入源は?
木山裕策さんの現在の収入源は、歌手活動と講演活動が中心になっています。
2008年のデビュー当初は会社員として働きながら音楽活動を並行しており、平日は勤務、休日はライブやメディア出演という多忙な生活を送っていました。
その後、子どもたちとの時間を大切にするため2010年に転職し、2019年には会社勤めを完全に辞めて芸能活動一本に絞っています。
歌手としては、代表曲「home」をはじめとする楽曲の印税や、テレビ番組への出演料、全国で行われるライブやコンサートのチケット収益が大きな柱です。
特に「home」は結婚式や家族イベントで定番曲として歌われ続けており、長期的に安定した収入を生み出しています。
また、近年は『千鳥の鬼レンチャン』などの人気番組に出演する機会も増えており、知名度の再拡大が収益にもつながっていると考えられます。
さらに、木山さんは講演活動にも力を入れており、ガンの闘病経験や家族との暮らしをテーマにした講演は、多くの人に共感を与えています。
講演料は安定的な収入源となり、学校や自治体、企業主催のイベントなどで広く需要があるようです。
加えて、公式YouTubeチャンネルやSNS発信も継続しており、配信収益やプロモーション活動の場としての役割も果たしています。
こうした多角的な活動によって、音楽一本に依存することなく収入のバランスを取りながら活動を続けている点が木山裕策さんの強みです。
今後も音楽・講演・メディア出演を組み合わせることで、堅実かつ柔軟な活動スタイルを維持していくと考えられます。
木山裕策のガンや病気は治った?
木山裕策さんは36歳のとき、会社の人間ドックで偶然発見された甲状腺の乳頭がんを経験しています。
毎年の検診では異常がなく、自覚症状もなかったため「まさか自分が」と感じたそうです。
診断後は早期に手術を受け、左側の甲状腺を全摘出しました。
幸いにも転移はなく、術後は順調に回復し、その後の経過観察でも再発は確認されていません。
乳頭がんは甲状腺がんの中でも予後が良いとされるタイプで、早期発見と治療が功を奏した形です。
木山さんの場合も医師の判断と本人の決断が早かったことで、命にかかわる大きなリスクを避けることができたと考えられます。
実際、本人はのちに「命があることへの感謝や、家族と過ごす時間の大切さを改めて感じた」と語っており、病気の経験が人生観を変える大きなきっかけになったようです。
さらに、この闘病経験が歌手としての活動にも大きな影響を与えています。
2008年に「home」でデビューした際、家族への想いや日常の幸せをテーマにした歌詞が強い共感を呼び、ヒットにつながった背景には病気を経たからこその表現力があったといえます。
現在の木山さんは健康を取り戻し、音楽活動や講演活動を精力的に行っています。
講演では「検診の大切さ」や「家族の支えのありがたさ」をテーマに語ることも多く、病気を乗り越えた実体験だからこそ言葉に説得力があると評判です。
SNSやメディアでも元気な姿を見せており、病気による活動制限はなく、健やかな日々を送っていることが伝わってきます。
病気を完全に克服した今も、木山裕策さんは人生や歌にその経験を深く刻みながら歩み続けています。
木山裕策のプロフィールや経歴
木山裕策さんは1968年10月3日生まれ、大阪府出身のシンガーです。
幼い頃から歌うことが大好きで、自然と歌手を志していましたが、大学時代には「音楽で生計を立てるのは難しい」と感じ、卒業後は出版社に就職しました。
安定した会社員生活を送りながらも歌への思いは消えず、人生の大きな転機は36歳のときに訪れます。
名前:木山裕策
生年月日:1968年10月3日
出身地:大阪府
血液型:A型
身長:183cm
会社の人間ドックで甲状腺の乳頭がんが見つかり、医師から「手術後に声が出なくなる可能性がある」と告げられました。
そのとき木山さんは「もし声が残るなら、必ずもう一度歌いたい」と心に決めたそうです。
手術後に声を取り戻した木山さんは、家族の後押しもあってオーディション番組『歌スタ!!』に応募。
初挑戦では不合格でしたが、「子どもたちに挑戦する姿を見せたい」と再挑戦し、2008年にシングル「home」で念願の歌手デビューを果たしました。
「home」は家族への思いを込めた楽曲で、同年にNHK紅白歌合戦にも出場するほどの大ヒットとなり、木山さんの代表曲として今も親しまれています。
その後も音楽活動を続けながら、講演会などで自身の闘病体験や家族の大切さを伝える活動にも力を入れてきました。
さらに近年はバラエティ番組『千鳥の鬼レンチャン』に出演し、細身の体格から「細シャ」「細魚(ほそぎょ)」といったユニークなあだ名で呼ばれるようになり、新たなファン層を獲得しています。
2020年代に入ってからもライブやメディア出演を続け、穏やかな人柄と家族を大切にする姿勢が幅広い世代から支持されています。
歌手としての歩みは決して一直線ではありませんでしたが、病気をきっかけに夢を再び掴み、今も多方面で活躍を続ける木山裕策さん。
その人生には、逆境を力に変える強さと、家族に寄り添う温かさが色濃く刻まれています。
木山裕策の代表曲
木山裕策さんの代表曲といえば、やはり2008年にリリースされたデビュー曲「home」です。
家族への思いを真っ直ぐに歌い上げたこの楽曲は、発売直後から大きな反響を呼び、同年12月には『第59回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たしました。
40歳という遅咲きのデビューでありながら一気に全国区の注目を集めたのは、この曲に込められた普遍的なテーマと温かな歌声が、多くの人の心を動かしたからでしょう。
「home」は木山さん自身の家族を想って書かれた曲であり、子どもを持つ親世代はもちろん、若い世代にも「自分の大切な場所」を思い起こさせる楽曲として広く支持されました。
実際に、結婚式や卒業式、送別会など人生の節目で歌われる定番ソングとして定着しています。
こうした日常のシーンに寄り添う存在感も、長く愛されている理由のひとつです。
さらに、一青窈さんや童子-Tさん、クリス・ハートさんなど実力派アーティストたちがカバーしており、世代やジャンルを超えて歌い継がれているのも特徴です。
特にクリス・ハートさんがカバーした際には、改めて曲の普遍性が注目され、原曲の良さを再確認するきっかけにもなりました。
デビュー曲でこれほど強いインパクトを残すのは決して簡単なことではありません。
「home」が木山裕策さんの代名詞として語られ続けるのは、単にヒット曲という枠を超え、聴き手それぞれの人生に重なり合う「記憶の歌」として息づいているからだと考えられます。
今後も節目の場面で歌い継がれていくであろう、木山裕策さんにとって不動の代表曲です。
木山裕策の所属事務所
木山裕策さんは、現在フリーランスとして活動しています。
以前は大手音楽事務所「tearbridge production」に所属し、歌手デビューを果たした2008年から約11年間、同事務所に在籍していました。
「tearbridge production」といえば、多くの実力派アーティストが在籍していたことで知られ、木山さんもその一員として精力的に音楽活動を展開していました。
当時は代表曲「home」をはじめ、多くのリスナーに親しまれる作品をリリースし、テレビやイベントにも多数出演していましたよね。
しかし、2019年に所属事務所を離れ、フリーでの活動を選択しています。
この独立に際しては、木山さん自身の意向が大きかったようです。
過去のインタビューなどからは、自らのペースで音楽活動を続けたいという思いがあったことがうかがえます。
たしかに、家族を大切にしながら自分らしいスタイルで活動を続ける木山さんらしい選択ですよね。
フリー転向後は、音楽活動に加えて、講演会への出演や地方イベントでのライブ活動など、活動の幅をさらに広げています。
事務所に縛られず、自分の信じる道を進んでいる姿に、ファンからも温かい応援の声が寄せられています。
また、SNSや公式ブログなどを通じて、直接ファンに向けた発信を続けている点も、木山裕策さんならではの特徴です。
距離感の近い温かみのある発信が、彼の人柄をより身近に感じさせてくれますね。
このように、フリーというスタイルを選んだことで、木山さんはより柔軟で自由な活動を実現しています。
これからも、木山裕策さんならではの音楽やメッセージを楽しみにしていきたいですね。
まとめ
病気を経験しながらも歌手という夢をあきらめず、40歳でデビューを果たした木山裕策さん。
その代表曲「home」は、家族を想う気持ちをまっすぐに届け、多くの人の心を支えてきました。
これまでの歩みを振り返ると、会社員生活や家庭との両立、奥さんや4人の息子さんたちの支えがあったからこそ、今の活動につながっていることが伝わってきます。
現在は音楽活動に加え、講演やメディア出演を通じて幅広い世代にメッセージを届けており、その姿勢はとても誠実で温かいものです。
これからも木山裕策さんが歌声と人柄で多くの人に寄り添い続けてくれることを期待しながら、引き続き応援していきたいですね。
