宝石ブランド「ルシオラ」のジュエリーデザイナーであり、多くのドラマに出演し女優、モデルとしても話題を集めている夏樹陽子さんは、どこの高校や大学に通っていたのでしょうか。
両親はどんな人で、どんな環境で育ってきたのでしょうか。
今回は、夏樹陽子さんの経歴や出身中学高校、家族について調べてみました。
夏樹陽子の学歴
夏樹陽子さんが通っていた学校について調べてみました。
夏樹陽子の出身小学校
夏樹陽子さんは、三重県の小学校出身です。
6年生までは大阪市立平野小学校に在籍していました。
しかし6年生の三学期に三重県内に引っ越し、三重県内の小学校を卒業しています。
小学生の頃は3回も学校が変わったそうで、新しい学校にはすぐには馴染めなかったものの、どの学校にも親切な子がいたため大きな問題はなかったと明かしていました。
夏樹陽子の出身中学
小学校卒業後は、小俣町立小俣中学校(現・伊勢市立小俣中学校)に進学しました。
3年生の2学期から犬山市犬山中学校に転校しています。
中学時代のエピソードは明かされておらず、分かりませんでした。
夏樹陽子の出身高校
中学校卒業後は、愛知県立犬山高等学校に進学しました。
偏差値は、45です。
高校時代は音楽部に所属、文化祭ではオペレッタをやったそうです。
夏樹陽子の出身大学
高校卒業後は、杉野女子短期大学(現・杉野服飾大学短期大学部)に進学しました。
夏樹陽子さんは被服科に在籍、偏差値は43です。
音楽が好きだったため音大に行きたかったものの、家庭の事情で断念しました。
そして刺繍や編み物、絵を描くことが好きだったため、こちらの学校に決めたそうです。
エレクトーン部に入り、活動していました。
夏樹陽子のプロフィールや経歴
名前:夏樹陽子
生年月日:1952年10月24日
出身地:三重県
血液型:A型
身長:168cm
所属事務所:アップル・ツリー
スカウトがきっかけで1971年からモデル活動をしていた夏樹陽子さんは、希望していた女優転身を目指し、知人の紹介で『新・女囚さそり 701号』にカメラテスト風に出演しました。
そして1977年に映画『空手バカ一代』で本格的に役者デビューを果たし、1980年代からは2時間ドラマに多数出演し知名度を上げました。
2012年からは宝石ブランド「ルシオラ」のジュエリーデザイナーとしても活動を始め、現在は女優業の他、講演活動や、小学校、ケアホームへの本の読み聞かせも行っています。
2017年には日本クレー射撃協会の総会で、初の女性理事に選ばれました。
夏樹陽子の実家や家族構成
三重県出身の夏樹陽子さんですが、大阪や愛知県と、引越しを繰り返していました。
当時はお父さんの会社の社宅にお父さん、お母さん、夏樹陽子さん、弟さんの4人で住んでおり、社宅の裏のテニスコートや畑で遊んでいたのだそうです。
夏樹陽子さんが芸能界に入ってからは離れて暮らしていたものの、離婚を機に一緒に東京のホテルで暮らすようになり、今は両親ともに天国へと旅立ちました。
そのため夏樹陽子さんの実家と言える場所は今はもうないようです。
夏樹陽子の父親
夏樹陽子さんのお父さんは、藤井正寅さんと言います。
お父さんはサラリーマンでした。
幼い頃に自身のお母さんを亡くした経験から何よりも家庭を大事にし、お正月は必ず家族全員で過ごしていたそうです。
そんなお父さんは生前切り絵が趣味で、2018年に夏樹陽子さんがジュエリー展を開催した際、形見の切り絵と夏樹陽子さんがデザインしたジュエリーを展示し、話題を集めました。
夏樹陽子さんはこの時、「今の私の宝石デザイナーとしての資質は、父から受け継いだものだと思う」と話していました。
夏樹陽子の母親
夏樹陽子さんのお母さんの名前は公表されていません。
一般人ということもあり、情報はほとんどありませんでした。
夏樹陽子さんはお母さんについて「自分のことは後回しで育ててくれた」と語っており、子育てに一生懸命なお母さんだったようです。
夏樹陽子の兄弟や姉妹
夏樹陽子さんには、弟さんが1人います。
弟さんは一般人のため、名前や年齢、職業、顔写真などは一切公開されていません。
まとめ
一般家庭で育った夏樹陽子さんは、スカウトをきっかけに芸能界に入り、モデルや女優として今も活動を続けています。
これからも夏樹陽子さんらしく、仕事もプライベートも充実した日々を過ごしてほしいですね。
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