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小林幸子の子役時代や学歴・代表曲は?年収がすごい! 事務所についても

kobayashisachiko_career 歌手

歌手の小林幸子さんは『紅白歌合戦』でド派手な衣装が話題を集めるなど長きにわたり活躍していますが、芸能活動のキャリアは子役からでした。

そんな小林幸子さんはどんな子役時代を過ごし、どこの学校に通っていたのでしょうか。

今回は、小林幸子さんの経歴や出身学校、年収などについて調べてみました。

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小林幸子は子役出身だった!

小林幸子さんの芸能界入りは、1964年で小学5年生の時でした。

『ウソツキ鴎』で歌手デビューし、この曲はレコード販売20万枚のヒットを記録しています。

さらに1966年から1968年までは『九ちゃん!』に「チビッコトリオ」としてレギュラー出演、ドラマ『青い太陽』で主演を務めました。

小林幸子の子役時代

小林幸子さんの子役時代の姿はこちらです。

雰囲気や目元に面影を感じますね。

小林幸子の学歴

小林幸子さんが通っていた学校について調べてみました。

小林幸子の出身小学校

小林幸子さんは、新潟市立栄小学校に入学しました。

こちらの学校は、2015年に閉校しています。

小学校時代の成績はほぼオール5と優秀だったそうです。

4年生の時に芸能界入りが決まり、東京に上京しました。

転校後の学校は新宿区立四谷第四小学校でしたが、こちらも2007年に閉校しています。

小林幸子の出身中学

小学校卒業後は、麹町学園女子中学校に進学しました。

偏差値は、44です。

小林幸子の出身高校

中学校卒業後は、麹町学園女子高等学校に進学しました。

こちらの学校の現在の偏差値は53です。

2012年に高等学校からの生徒募集を停止し、完全中高一貫校化になりました。

小林幸子の出身大学

高校卒業後は、進学していません。

芸能活動に専念しています。

小林幸子の代表作

小林幸子さんの女優としての代表作は、大河ドラマ『花の乱』、連続テレビ小説『ほんまもん』、テレビ朝日『OL銭道』などがあります。

歌手としては『おもいで酒』がレコード販売200万枚の大ヒットを記録しました。

小林幸子の年収がすごい!

小林幸子さんの年収は公表されていません。

ネット上では「推定4億円」などと噂されています。

これまで多くのヒット曲を持ち、コンサートだけではなくネットやテレビの番組にも多数出演していることから億越えの年収に繋がっているようです。

小林幸子の所属事務所

小林幸子さんは、現在「幸子プロモーション」に所属しています。

こちらは1987年にそれまで在籍していた第一プロダクションから違約金2億円で独立し、小林幸子さんの個人事務所として設立しました。

当初は社長の関根良江さんと専務の沢田鈴子さんの3人で事務所を切り盛りしていたものの、2011年に小林幸子さんが会社社長の男性と結婚、社長と専務は退職に追い込まれました。

この出来事にマスコミは「恩人社長を切り捨てた」などと非難、バッシングから新曲の発売が延期されるなど大きな騒ぎになりましたが、その後社長と専務との和解が成立しています。

小林幸子のプロフィールや経歴

名前:小林幸子
生年月日:1953年12月5日
出身地:新潟県
血液型:A型
身長:165cm
所属事務所:幸子プロモーション

9歳の時にテレビ『歌まね読本』にてグランドチャンピオンとなり、審査委員長にスカウトされたことがきっかけで1964年にデビューした小林幸子さんは、デビュー直後は仕事があったもののその後ヒット曲が続かず、10年という長い不遇時代を過ごしていました。

この時は一人で全国各地を行脚し、昼間は各地の興行を行いながら地元のレコード店やラジオ局などでキャンペーン廻りをしたり、夜は毎晩深夜遅くまで飲み屋やキャバレーなどの繁華街で歌い続けていたのだそうです。

1974年に第一プロダクションに移籍すると、翌年『おもいで酒』が有線放送から徐々に知名度が上がり、『第30回NHK紅白歌合戦』に出演、全日本有線放送大賞グランプリや第21回日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞しました。

その後もヒット曲に恵まれ、1997年にアニメ『ポケットモンスター』のエンディングテーマソング『ポケットにファンタジー』を、1998年に『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』のエンディングテーマソング『風といっしょに』を担当しています。

2000年に日本レコード大賞 美空ひばりメモリアル選奨を受賞、2001年に博多座で女性歌手初の座長公演を行い、『夢の涯て〜子午線の夢』で日本レコード大賞編曲賞を受賞しています。

2015年には、「ニコニコ超会議2015」でプロレスデビューを果たしました。

小林幸子といえば衣装がすごい

小林幸子さんと言えば、『紅白歌合戦』の豪華衣装で話題を集めました。

きっかけは1981年の『紅白歌合戦』で「迷い鳥」を歌った時、初めて派手な衣装を身に着けたことで小林幸子さん自身が虜になったのだそうです。

1991年~2009年までの『紅白歌合戦』では、美川憲一さんとの衣装対決で話題を集めていました。

ラスボスと呼ばれ若者達からも人気

小林幸子さんは、若者世代から「ラスボス」と呼ばれ、親しまれています。

2010年代より、『紅白歌合戦』でのあまりの衣装の派手さが「まるでラスボス(ゲーム等における最大の敵、最終ボスキャラクター)のようだ」といわれていたことがきっかけでした。

スマホゲームで日本中の無限ナイツのプレイヤーが協力し小林幸子さんとバトルするというアプリも配信され、小林幸子さんは「みんながニックネームとして面白がってくれているなら、全然それでいいと思います」と話していました。

小林幸子の本名

小林幸子さんは、結婚前まで本名で活動していました。

現在の本名は、「林 幸子」さんです。

まとめ

小学生の頃から芸能活動を始めた小林幸子さんは、10年の売れない時代も経験しているからこそ、今もいろんなことに挑戦し、同世代だけではなく若者からの支持も集めているのだと思います。

これからも小林幸子さんがどんなことにチャレンジしていくのか、注目していきたいですね。

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