『ヨイトマケの唄』などで知られる歌手で俳優の美輪明宏さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。
両親はどんな人で、兄弟は何人いるのか、調べてみると様々なことが明らかになりました。
今回は、そんな美輪明宏さんの実家や家族について紹介します。
美輪明宏はハーフではない!
美輪明宏、子供の頃から“完璧”だったんだな… pic.twitter.com/RwFlPYYNAv
— チャン_アラタ (@chan_arata) February 11, 2020
若い頃の美輪明宏さんは、とても整った顔立ちをしているため、ネット上では「ハーフではないか?」と噂されています。
しかし美輪明宏さんの両親は日本人で、ハーフではありません。
美輪明宏の実家は長崎市だった
【「あの日」昭和20年の記憶】
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) August 8, 2021
美輪明宏さんは当時10歳。長崎市内の自宅で原爆に遭いました。「水をほしいという女の人が来て、手がぐじゃぐじゃになってない。それで口に土瓶で水を入れてあげたら私を拝むんですよ。それで死んでいくんです」と、涙を浮かべて振り返ります。https://t.co/Ok9ATReQ4C pic.twitter.com/5xLdeBP9Me
美輪明宏さんは、長崎県長崎市出身です。
実家は長崎市内の遊郭街の近くで「世界」という名前のカフェーや料亭を経営していました。
そのためかなり経済的に豊かな環境で、美輪明宏さんは育ったそうです。
しかし1941年12月にイギリスやアメリカ合衆国との戦争体制に入ったことから、「敵性文化を商売にする事は時局にそぐわぬ」と言われたためカフェーを閉店しました。
美輪明宏の生い立ち
本日は、美輪明宏さん の誕生日。おめでとうございます。お姿を拝んだのは、3回。「リサイタル ~ 愛 ~」「黒蜥蜴」「毛皮のマリー」。ますますのご活躍を、願っております。#美輪明宏 pic.twitter.com/aAb3tHcjb7
— takuya live 1100 play 500 (@1000_takuya) May 14, 2022
1935年5月15日に誕生した美輪明宏さんは、実家は裕福で、美形の顔立ちから10代からボーイフレンドには不自由しなかったのだそうです。
小学生の頃はピアノが声楽を習い、中学~高校までは優等生と順調な日々を送っていたものの、高校に入ってからはホームレスを経験したり、学校を中退したりと波乱万丈でした。
シャンソン喫茶「銀巴里」と歌手としての契約を交わしてからも、家族のために歌手活動とは別にアルバイトと称してキャバレーや進駐軍キャンプで歌っていました。
美輪明宏の父親
美輪明宏さんのお父さんは、丸山作一さんと言います。
お父さんはカフェーなどを経営する実業家でしたが、戦争によりカフェーを閉店してからは金融業に転業しました。
美輪明宏さんは高校入学と共に上京しましたが、ある日実家に帰省すると、お父さんが生活が苦しくなった親戚に対して無情に見捨てるような態度をとった姿を見て激怒、お父さんと大喧嘩に発展しました。
そしてお父さんから絶縁を言い渡され、仕送りも止められてしまったのです。
そこから美輪明宏さんは自身の力で生活していくものの、歌手としての活動を始めると今後はお父さんが事業が失敗したため美輪明宏さんの元を訪れ、お金をせがんできたのでした。
美輪明宏さんはお父さんが過去にしていた仕打ちが出来ず、お父さんのことを許す気にもなれなかったものの、兄弟の生活を守るために仕事を増やし、家庭を支えていたそうです。
美輪明宏の母親
美輪明宏さんのお母さんは、丸山ヌメさんと言います。
お母さんは大阪の日赤病院で看護婦として働き、婦長を務めていました。
しかし、美輪明宏さんが2歳の時に亡くなっています。
美輪明宏さんと生みのお母さんが過ごした時間はとても短かったものの、周りからは「お母さんは絶世の美女、あんたもよく似ている」と言われていたそうです。
その後、美輪明宏さんには2人目のお母さんが出来ました。
2番目のお母さんはオシャレな女性で、美輪明宏さんのこともとても可愛がってたものの、9歳の時に亡くなりました。
それから3人目のお母さんもいたものの、こちらのお母さんは失踪してしまったそうです。
美輪明宏は10人兄弟だった
美輪明宏さんには、両親が同じお兄さんがいます。
その下には8人の兄弟がいますが、8人とは母親が異なる異母兄弟です。
名前や年齢などは公表されていないため、分かりませんでした。
まとめ
裕福な家庭で育った美輪明宏さんですが、お母さんを早くに亡くし、お父さんとは一時絶縁するなど、壮絶な人生を歩んできました。
美輪明宏さんが多くの人に寄り添えるのも、自身が様々な経験をしていたからなのだと思います。
美輪明宏さんにとってこれからの人生が穏やかで幸せな日々であることを、願っています。