「中高年のアイドル」と言われブレイクした漫談家の綾小路きみまろさんですが、学生時代はどこの学校に通っていたのでしょうか。
漫談家としてブレイクするまで、どんな日々を過ごしていたのでしょうか。
今回は、綾小路きみまろさんの経歴や出身中学高校、年収などについて調べてみました。
綾小路きみまろの学歴
綾小路きみまろさんが通っていた学校について調べてみました。
綾小路きみまろの出身中学
綾小路きみまろさんは、松山町立松山中学校(現・志布志市立松山中学校)出身です。
市町村合併により志布志市が誕生したことから、現在の学校名に変わりました。
中学時代の綾小路きみまろさんは、柔道部に所属していたそうです。
綾小路きみまろの出身高校
中学校卒業後は、鹿児島県立末吉高等学校に進学しました。
こちらの学校は、2016年3月31日に閉校しています。
高校時代も柔道部に所属していました。
綾小路きみまろの出身大学
高校卒業後は、1年の浪人を経て拓殖大学に進学しました。
綾小路きみまろさんは商学部貿易学科(現・国際ビジネス学科)に在籍、現在の偏差値は48です。
大学時代は新聞配達のアルバイトをしており、配達先の病院に足立区梅島でキャバレーを営む患者が入院していたことから、専属司会として雇われました。
また四ッ谷にあるマッサージ師養成学校で、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得しています。
綾小路きみまろのプロフィールや経歴
【しあわせは自己申告】
— どらみ☆ (@doramichan_0818) November 30, 2017
きみまろ師匠 徹子の部屋ご出演ちう💡#徹子の部屋 #綾小路きみまろ #香取慎吾 #しんまろ pic.twitter.com/F8MaIYsBRj
名前:綾小路きみまろ
生年月日:1950年12月9日
出身地:鹿児島県
血液型:O型
身長:165cm
所属事務所:フリー
子供の頃から司会やスポーツの実況などを真似をしていたという綾小路きみまろさんは、1969年に市開業を目指すために上京し大学に進学、1979年に司会業を辞めて漫談家としてデビューしました。
デビュー後は森進一さん、小林幸子さん、伍代夏子さんらのコンサートの司会を務めるなどし、この頃からサービスエリアで休息中の観光バスに自作の漫談テープを配布していたそうです。
1993年には「きみまろ」名義で『ねぇ、聞いてんの!〜中高年悲哀物語〜』でCDデビュー、翌年にはドラマ 『はぐれ刑事純情派』の第18話「みちのく温泉郷白い手袋の女」に、殺害された芸能プロダクション会社の社長役で出演しています。
そして2002年、漫談CD・カセットテープ『爆笑スーパーライブ第1弾! 中高年に愛をこめて…』のリリースをきっかけにブレイク、第41回ゴールデン・アロー賞「話題賞」や、第47回日本レコード大賞「企画賞」を受賞しました。
『NHK紅白歌合戦』などのテレビ番組にも引っ張りだこになり、2014年にはテレビ大阪の『綾小路きみまろの人生ひまつぶし』で初のレギュラー冠番組で司会に抜擢されました。
綾小路きみまろの本名
綾小路きみまろさんの本名は、「假屋 美尋 (かりや よしひろ)」さんと言います。
芸名はポール牧さんがコントで使っていた架空の名前を無断で借用していたそうで、後にポール牧さん本人から使用の許可をもらっています。
下積み時代には1年間だけ「山本一貴」と芸名を変えたり、本名をもじった「狩屋きみまろ」と名乗ったこともあったそうですよ。
綾小路きみまろの所属事務所
綾小路きみまろさんの所属事務所は、個人事務所です。
2020年には事務所を引っ越し、都内の一軒家に構えたと週刊誌が報じていました。
レーベルは「テイチク」で、CDやグッズ販売などを行っています。
綾小路きみまろの年収
綾小路きみまろさんの現在の年収は公表されていません。
ブレイク後には山梨県で2位の高額納税者となり、3億円近く稼いでいたようです。
今はテレビで見かける機会は少ないものの、漫談家としてライブ活動は続けており、今でも多くのファンを楽しませています。
そのため億越えの年収は今でもあるのかもしれません。
まとめ
下積み時代はカセットテープを色んな所に配っていたという綾小路きみまろさんは、毒舌ではあるものの、愛のある喋りが中高年の心をガッツリ掴み、ブレイクを果たしました。
これからも綾小路きみまろさんらしい喋りで、多くの人を癒し楽しませてほしいですね。