記事内にPRが含まれています。

内館牧子の病気は治った?新刊の予定は?出身高校や大学も調べてみた

uchidatemakiko_career 作家
スポンサーリンク

大河ドラマ『毛利元就』、連続テレビ小説『ひらり』などを手掛けた脚本家で作家の内館牧子さんは、どんな方なのでしょうか。

過去には生死をさまよったというほどの病気を患ったそうですが、現在は完治しているのでしょうか。

今回は、内館牧子さんの経歴や出身学校などについて調べてみました。

内館牧子の病気は治った?何の病気?

内館牧子さんは、60歳の時に心臓と冠動脈疾患を患っています

13時間にも及ぶ手術を受け、手術は成功しました。

しかし2週間も意識が戻らず、周囲は内館牧子さんが亡くなった後のことも考えていました。

この時内館牧子さんは、知らないビルの屋上で大きく真っ白なオープンカーに乗りたいと、すごく楽しみにしながら待っているという夢を観ていたのでした。

目覚めたときにそれが夢だと気付き、そのことを周りに話すと「もし乗っていたら死んでいたのかもしれない」と言われたそうです。

現在も内館牧子さんは創作活動を続けており、健康な生活を送れているようです。

内館牧子のプロフィールや経歴

名前:内館牧子
生年月日:1948年9月10日
出身地:秋田県
血液型:B型
身長:168cm

大学卒業後に三菱重工業に入社し横浜製作所に勤務していた内館牧子さんでしたが、当初は2~3年ほどで寿退社するつもりだったものの、いい相手が見つからずに仕事を続けていたそうです。

床山を志願して日本相撲協会に自らを売り込んだり、全国の新聞社に相撲記者の採用がないか問い合わせていたものの良い返事はなく、その後会社帰りにシナリオライターの学校に通うようになりました。

そして、ある新人コンクールで佳作をもらったことをきっかけにNHKの新人脚本家養成講座の生徒に選ばれ、35歳で会社を辞めました。

養成講座の生徒井沢満に紹介された小学館の漫画雑誌の仕事、NHKの番組や講談社の仕事などをこなしながら4年ほど過ごし、1988年に40歳にして脚本家デビューを果たしました。

以降は大河ドラマやNHK連続テレビ小説、ドラマ『想い出にかわるまで』、『昔の男』、『週末婚』などを手掛けました。

相撲協会の横綱審議委員としても注目に

2000年9月、内館牧子さんが女性初となる横綱審議委員会委員を委嘱され、約10年間活動していました。

内館牧子さんは4歳の時に幼稚園に馴染めなかったことから退園、この時に優しくしてくれていた男の子が体が大きい子だったため大相撲にのめりこみ、ラジオの大相撲中継を聞くようになったそうです。

2002年9月には、東北大学大学院文学研究科修士課程の社会人特別選抜を受験して合格、人間科学専攻へ入学し『神事としてみた相撲』を研究テーマに宗教学を専攻していました。

2006年3月、修士課程を修了しています。

内館牧子の新刊やドラマの予定は?

内館牧子さんはこれまでに多くの作品を世に送り出してきました。

現在もその活動は変わらず、近年は『今度生まれたら』、『小さな神たちの祭り』、『消えた歌の風景 PART1 懐かしい21の童謡・唱歌』、『大相撲の不思議2』を出版しました。

特に『今度生まれたら』は、2022年5月にNHK BSプレミアム、BS4K「プレミアムドラマ」枠にて松坂慶子さん主演でドラマ化されています。

今後の予定については情報がなかったため、分かりませんでした。

内館牧子の学歴

内館牧子さんが通っていた学校について調べてみました。

内館牧子の出身小学校

内館牧子さんは新潟の小学校に入学し、3年生の時に東京の小学校に転校しました。

学校名については公表されておらず、不明です。

新潟の小学校では下駄履きで登校していたため、東京で運動靴や靴下を履いている子達にカルチャーショックを受けたことがあるのだそうです。

内館牧子の出身中学

出身中学校も公表されていません。

中学時代はずっと東京都内で暮らしていました。

水泳部に入ったものの、あまり上達しなかったようです。

内館牧子の出身高校

中学校卒業後は、東京都立田園調布高等学校に進学しました。

こちらの学校の現在の偏差値は、57です。

高校でも水泳部に在籍していました。

内館牧子の出身大学

高校卒業後は、武蔵野美術大学に進学しました。

内館牧子さんは基礎デザイン科に在籍、現在の偏差値は58~62です。

高校時代は、お父さんの母校でもある早稲田大学を希望していました。

しかし落ちてしまったため、「ほかの総合大学だと早稲田と比べて落ち込むから」という思いから、まったく別のジャンルだったこちらの大学に進学したのでした。

ただこの選択はプラスだったようで、内館牧子さんはインタビューで「今、脚本家として、私はムサビに入って本当によかったと思います」と明かしていました。

まとめ

大学卒業後は一般企業で働いていた内館牧子さんですが、40歳の時に脚本家となり、今では作家としても多くの書籍を出版するようになりました。

現役で活動を続ける内館牧子さんに、今後も目が離せませんね。

作家
スポンサーリンク

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました