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松平健の若い頃がイケメンすぎる!身長や年齡・本名・事務所や年収も調査

matsudairaken_career 俳優

『マツケンサンバII』のブレイクがきっかけで若い世代からも親しまれている俳優・松平健さんは、何故俳優になったのでしょうか。

ネット上では、「若い頃の松平健さんがイケメン」と話題になっていました。

今回は、松平健さんの若い頃の姿、経歴、年収などについて調べてみました。

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松平健の若い頃がイケメンすぎる!

松平健さんの若い頃の姿はこちらです。

今でもカッコイイ松平健さんですが、若い頃は美形ですね。

松平健は若い頃勝新太郎の付き人だった

1974年、松平健さんは勝新太郎さんが主宰する「勝プロダクション」に入りました。

このことがきっかけで、勝新太郎さんの付き人になりました。

松平健さんは勝新太郎さんに「俺の後ろで俺の芝居を見てろ」とアドバイスを受け、デビュー作品では手取り足取りとても厳しく指導してもらったのだそうです。

そんな勝新太郎さんについて松平健さんは「お礼と感謝しかない。『俺が矢を打つから後は自分の努力で飛んでいけ。努力しなかったら落ちるよ』と言われたことが心に残っている」と語っていました。

松平健のプロフィールや経歴

名前:松平健
生年月日:1953年11月28日
出身地:愛知県
血液型:B型
身長:179cm
所属事務所:三喜プロモーション

お寿司が大好きという松平健さんは、高校中退後に寿司職人をしていました。

しかし石原裕次郎さんが主演を務めた映画『太平洋ひとりぼっち』に感化され、寿司職人を辞めて俳優を目指し上京、石原プロモーションに入社を直訴するもかなわず、宝映テレビプロダクションに入団しました。

1975年に俳優デビューを果たし、1978年には『暴れん坊将軍』の主役に抜擢、この作品は2008年まで放送回数832回を数える長寿番組となり、松平健さんの代表作の一つになっています。

デビューから時代劇の出演が多かったものの、1980年には自身初の刑事ドラマ『走れ!熱血刑事』に主演。、エランドール新人賞を受賞しました。

その後も俳優としての活動が多かったものの、2004年には『新説!歴史将軍』でバラエティ番組の初司会を務めました。

さらに同年、舞台公演の終わりに華美な衣装で熱唱する「マツケンサンバ」のパフォーマンスが話題となり、「マツケンサンバII」を発売、『第55回NHK紅白歌合戦』や『第46回日本レコード大賞』に出演しました。

2005年には、「マツケンサンバIII」も発売されています。

松平健の本名

松平健さんの本名は、「鈴木末七 (すずき すえしち)」さんと言います。

松平健さんが7人兄弟の末っ子ということで、名付けられたそうですよ。

俳優活動を始めた当初は「松本二郎」という芸名でしたが、1972年に「松平健」に改名しました。

現在の芸名はドラマのプロデューサーが付けてくれたそうで、由来については分からないとしながらも「私の出身が愛知県の豊橋で、(旧姓松平の)徳川家康の岡崎に近かったからではないか」と話していました。

松平健の所属事務所

松平健さんは、現在「三喜プロモーション」に所属しています。

こちらには『マツケンサンバII』の振り付けを担当し有名になった、振付師の真島茂樹さんも在籍しています。

松平健の年収

松平健さんの年収は公表されていません。

俳優としてドラマや映画、舞台と幅広く出演しており、『マツケンサンバ』のブレイクにより老若男女問わず親しまれるようになりました。

そのため年収は億越えではないかと思われます。

まとめ

寿司職人だった松平健さんは、石原裕次郎さんがきっかけで俳優の世界に入り、勝新太郎さんからの厳しくも愛のある指導を受け、今も俳優として活躍しています。

これからも松平健さんの活躍に注目していきたいですね。

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