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デヴィ夫人の出身高校や大学は?実家や父親と母親・兄弟など家族構成も

デヴィ夫人の出身高校や大学は?実家や父親と母親・兄弟など家族構成も タレント
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インドネシアの元大統領夫人として、長年社交界で活躍しているデヴィ夫人

デヴィ夫人は様々な国の人々と話す機会も多く、4ヶ国語を習得しています。

そこで今回は、デヴィ夫人の学歴や実家、家族構成を調べてみました。

デヴィ夫人の学歴

デヴィ夫人の学歴を調べてみました。

どこの学校に通っていたのでしょうか。

デヴィ夫人の出身小学校

デヴィ夫人は、東京都港区笄(こうがい)小学校に通っていました。

デヴィ夫人は幼い頃、家計が貧しく、内職をして家族を支えていました。

デヴィ夫人の出身中学

デヴィ夫人は、東京都港区高陵中学校に通っていました。

デヴィ夫人は成績優秀で、特に英語を得意とし、日本舞踊を習っていました。

デヴィ夫人の出身高校

デヴィ夫人は、東京都立三田高等学校の定時制に通っていました。

デヴィ夫人は千代田生命で働きながら、三田高校の定時制で勉強していました。

頭のいいデヴィ夫人は全日制でレベルの高い高校を狙えましたが、父親が病気で家計が苦しかったため、定時制を選びます。

しかし、高校1年生の時に父親が亡くなり、中退せざるを得ませんでした。

デヴィ夫人の出身大学

デヴィ夫人は家計を支えるために高校を中退しているので、大学へは進学していません。

成績優秀だったデヴィ夫人なので、もし大学に進学していたら、かなり高レベルな学校を狙えたかもしれませんね。

デヴィ夫人の実家

デヴィ夫人の実家は、東京都港区西麻布にありました。

デヴィ夫人が幼い頃は戦争中で、非常に貧しかったようです。

デヴィ夫人のお父さんは大工の仕事をしていましたが、病気のため、あまり働けませんでした。

借金もあり、デヴィ夫人は幼い頃から働いて、家計を助けています。

セレブなイメージのデヴィ夫人からは想像もできないですね。

デヴィ夫人の生い立ち

デヴィ夫人は、1940年2月6日に東京で生まれました。

デヴィ夫人が生まれた直後に太平洋戦争が始まり、初めて知った感情は『恐怖』だったと話しています。

デヴィ夫人が物心つく頃は、東京ではたびたび空襲警報が鳴り、幼いながらも『B29』という言葉を覚えました。

空襲のたびに、母親に手を引かれて防空壕に逃げたそうです。

東京大空襲の前に、父親を残し、デヴィ夫人は母親、弟とともに福島県へ疎開します。

東京に戻ると幸い家は残っていましたが、母親が足を悪くし、デヴィ夫人は自分が母親と弟を守ると心に決めました。

デヴィ夫人は、戦争の過酷な体験が、逆境を跳ね返し乗り越える力を与えてくれたと話していました。

デヴィ夫人は戦後の混乱の中で、どうしたら家族を養えるかを幼いながら考えていて、幼い頃から絵を描くことが得意だったので、画家になろうかと思っていました。

そして母親が内職で稼いだお金で、絵の先生をつけてくれたのです。

しかし、女流画家の絵には値がつかないと知ったデヴィ夫人は、家族を養えないと思い画家になる夢を諦めました。

そしてデヴィ夫人の幼い頃の夢のひとつに『女優』もあり、世界中の文学作品を読んで、主人公になりきることを楽しんでいました。

デヴィ夫人はその頃にたくさんの作品を読み、登場人物の立ち回りを覚えていたことが、社交界での振る舞いに役立ったと話しています。

デヴィ夫人は東芸プロという芸能事務所に所属していましたが、中学卒業後に家族を養うために就職します。

それから数年後、デヴィ夫人はスカルノ大統領と出会い、華やかで激動の人生を生きることになるのです。

デヴィ夫人の父親

デヴィ夫人のお父さんは、根本兵七郎さんです。

家系図をたどると、根本家は有力な武士だったそうです。

家業は漁師でしたが、兵七郎さんは大工の棟梁をしていました。

デヴィ夫人が高校1年生の頃、病気で亡くなっています。

デヴィ夫人の母親

デヴィ夫人のお母さんは、根本政子さんです。

デヴィ夫人とスカルノ大統領の熱愛報道が過熱し、マスコミに追われた政子さんは、心労によって倒れてしまいます。

デヴィ夫人はインドネシアに滞在しており、緊急帰国ましたが、残念ながら亡くなってしまいます。

デヴィ夫人はまだ21、22歳ほどの若さだったので、政子さんもまだ若かったかもしれません。

貧しくもデヴィ夫人に絵の先生をつけたりしていたので、とても教育熱心なお母さんだったのではないでしょうか。

デヴィ夫人の兄弟

デヴィ夫人には、根本八曾男さんという弟さんがいました。

八曾男さんは、お母さんの死から2日後に亡くなっています。

借金を苦に、ガス自殺を図ったのです。

お姉さんであるデヴィ夫人に迷惑をかけたくないと思った八曾男さんは、相談をすることなく亡くなってしまいました。

デヴィ夫人の気持ちを思うといたたまれません。

八曾男さんも、お姉さんに迷惑をかけて幸せを奪いたくないと思ったのでしょうね。

心優しい弟さんですが、とても悲しい最後を迎えてしまったのです。

まとめ

デヴィ夫人の生い立ちはかなり壮絶で、驚きました。

戦争で貧しく辛い思いをし、必死で生き抜いてきたデヴィ夫人ですが、お母さんと弟さんを立て続けに失ったことは何よりも辛いことだったと思います。

華やかなデヴィ夫人ですが、辛く苦しいことを味わったからこそ、逆境を跳ね返す力で成功をつかみ取ったのではないでしょうか。

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