日本テレビの看板アナウンサーとして活躍し、その後フリーに転身してからも『モーニングショー』などでお馴染みの羽鳥慎一アナ。
2010年には「好きな男性アナウンサーランキング」で1位に輝くなど、その爽やかな雰囲気と安定感のあるアナウンス力で、多くの視聴者に支持されています。
そんな羽鳥アナは、学生時代をどのように過ごしてきたのでしょうか?
出身高校や大学、そしてどんな青春を送っていたのか気になりますよね。
また、「実家は埼玉県上尾市なのか、それとも横浜なのか?」という疑問や、「両親や兄弟はどんな人?」といった家族に関する情報も、ファンにとっては興味深いポイントです。
そこで今回は、羽鳥慎一アナの出身校や学生時代のエピソード、さらに実家や家族構成について詳しく調査しました!
羽鳥アナの意外なルーツや、知られざる素顔を知ることができるかもしれません。ぜひ最後までご覧ください。
羽鳥慎一の学歴
羽鳥慎一アナが通っていた学校について調べてみました。
羽鳥慎一の出身小学校
羽鳥慎一アナは、横浜市立権太坂小学校出身です。
1年生から2年生の時はずっと鼻水が出ていたため、あだ名が「鼻水」だったそうです。
「その名前で呼ばれたくないから、毎日鼻をかんでいた」と明かしています。
羽鳥慎一の出身中学
小学校卒業後は、横浜市立境木中学校に進学しました。
中学では野球部に所属、ポジションはセカンドでした。
羽鳥慎一の出身高校
中学校卒業後は、神奈川県立横浜平沼高等学校に進学しました。
偏差値は、66です。
高校でも野球部に所属、投手のエースとしてチームを牽引していました。
後にプロ野球選手として活躍した鈴木尚典さんと対戦したこともあり、2打席連続三振を奪ったことがあるというのが羽鳥慎一アナの最大の自慢なのだそうです。
羽鳥慎一の出身大学
高校卒業後は一浪し、早稲田大学に進学しました。
羽鳥慎一アナは政治経済学部経済学科に在籍、偏差値は70です。
大学は野球ではなく、テニスサークルに所属していました。
羽鳥慎一の実家はどこ?お金持ち?
羽鳥さん、上尾出身で、【メロディ】というラーメン屋さんがお気に入りだったとネットで読んだことがありますw pic.twitter.com/cihRNyPDJm
— 🧸上尾市自衛官募集相談員メイ🧸 (@J_family_Ageo) November 8, 2021
羽鳥慎一さんの実家は、埼玉県上尾市にありました。
小学校1年生まで上尾市で過ごし、2年生の時に神奈川県横浜市戸塚区へ転居されています。
このため、幼少期の一部を上尾市で過ごし、その後は横浜市で成長されたことがわかります。
羽鳥さんのご両親については、お母様が羽鳥さんの大学4年生の時に、そしてお父様は2013年9月に亡くなられています。
そのため、現在、上尾市に実家は存在しない可能性があります。
羽鳥さんの学歴を振り返ると、高校までは公立の学校に通われていました。
具体的には、横浜市立権太坂小学校、横浜市立境木中学校、神奈川県立横浜平沼高等学校を卒業されています。
その後、一浪して早稲田大学政治経済学部経済学科に進学されています。.
これらの経歴から、特別に裕福な家庭環境であったという情報は確認されていません。
また、羽鳥さんはご自身の埼玉愛を語ることもあり、上尾市での思い出を大切にされているようです。
以上の情報から、羽鳥慎一さんの実家は埼玉県上尾市にあり、その後神奈川県横浜市に転居されたことがわかります。
ご家族の状況や学歴から、特別に裕福な家庭であったという証拠は見当たりませんが、上尾市での幼少期の思い出を大切にされていることが伺えます。
羽鳥慎一の生い立ち
羽鳥慎一7变化。
— Wari and Gura … Gura (@RicemanCook0724) August 14, 2016
若いなー。 pic.twitter.com/PuXDyW05PW
羽鳥慎一さんは、1971年3月24日に埼玉県上尾市で生まれました。小学校1年生まで上尾市で過ごし、2年生の時に神奈川県横浜市戸塚区へ転居されています。
幼少期は口数が少なく、寡黙な少年だったとされています。
学生時代はスポーツに熱中し、特に野球に情熱を注いでいました。
横浜市立権太坂小学校、横浜市立境木中学校を経て、神奈川県立横浜平沼高等学校に進学。
高校時代も野球部に所属し、セカンドのポジションで活躍していました。
高校卒業後は一浪を経て、早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。大学在学中にアナウンサーを志望し、その動機は「野球の実況をしたい」という思いからでした。
1994年4月、日本テレビに入社し、プロ野球中継の実況や『ズームイン!!SUPER』の総合司会など、多岐にわたる番組で活躍しました。
2009年には第30回NNSアナウンス大賞テレビ部門大賞を受賞するなど、その実力が高く評価されました。
2011年3月31日、日本テレビを退社し、フリーアナウンサーに転身。
以降も『羽鳥慎一モーニングショー』や『ぐるぐるナインティナイン』など、多数の番組で司会やキャスターを務め、その安定感と親しみやすいキャラクターで視聴者からの支持を集めています。
プライベートでは、1996年に元客室乗務員の栗原冬子さんと結婚し、一女をもうけましたが、2012年に離婚。
その後、2014年に脚本家の渡辺千穂さんと再婚し、2016年に第二子となる女児が誕生しています。
羽鳥さんのこれまでの歩みは、スポーツへの情熱とアナウンサーとしての使命感に満ちたものであり、今後のさらなる活躍が期待されます。
羽鳥慎一の父親
羽鳥慎一さんのお父さんの羽鳥昭治さんは、2013年9月に73歳で亡くなられました。
昭治さんは会社員として定年まで勤め上げ、埼玉県で一人暮らしをしていました。
連絡が途絶えたため、近くに住んでいた羽鳥さんの姉が自宅を訪れたところ、すでに亡くなっていたそうです。
死因は心不全による突然死とされ、事件性はありませんでしたが、「孤独死」だったとのことです。
羽鳥さんは月に2、3回は父親と食事を共にしていたため、突然の別れに大きなショックを受け、「孤独死する人がこんなに身近に出てくるとは思わなかった」と無念さをにじませていました。
昭治さんは社交的で行動的な人物であり、羽鳥さんが野球を始めるきっかけとなったのも父親の影響だったそうです。
遺品整理の際、多くの写真が見つかり、その交友関係の広さが伺えたとのことです。
羽鳥慎一の母親
羽鳥慎一さんのお母さんは一般の方であり、名前や年齢、職業などの詳細な情報は公表されていません。
しかし、羽鳥さんが早稲田大学4年生の時にお母さんを亡くしていることは知られており、そのことが彼の人生に大きな影響を与えたと考えられます。
お母さんの死について、羽鳥さんは「悔いが残っている」と語っており、お母さんが自分のアナウンサーとしての活躍を見ることができなかったことを残念に思っているようです。
親孝行をしたくてもできなかったという思いが強く、彼の発言には母への深い愛情と後悔がにじんでいます。
羽鳥さんは、普段から丁寧で礼儀正しい対応をすることで知られていますが、そうした姿勢も幼少期にお母さんから受けた教育や家庭環境が影響しているのかもしれません。
また、彼の穏やかで誠実な人柄や、周囲への気遣いの細やかさも、お母さんから受け継いだものではないかと考えられます。
残念ながら、羽鳥さんがお母さんについて語る機会は多くはありませんが、母を亡くした経験が彼の人生観や価値観を形作る上で重要な役割を果たしているのは間違いないでしょう。
現在の羽鳥さんの活躍を見ていたら、お母さんもきっと誇らしく思っていたに違いありません。
羽鳥慎一の兄弟や姉妹
羽鳥慎一さんにはお姉さんが1人おり、埼玉県に在住していると言われています。
お姉さんは一般の方のため、名前や年齢、詳しいプロフィールなどは公表されていませんが、保育園または幼稚園の先生をしているという情報があります。
教育関係の仕事に就いていることから、子ども好きで面倒見の良い性格なのかもしれませんね。
羽鳥さんとお姉さんの関係について詳しい情報は少ないものの、兄妹仲は良好だったと考えられます。
特に、お父さんの羽鳥昭治さんが埼玉県で一人暮らしをしていた際には、羽鳥さんとお姉さんが連絡を取り合いながら見守っていたようです。
しかし、2013年にお父さんが突然亡くなった際、数日間連絡が取れなかったことで孤独死が発覚しました。
この出来事は羽鳥さんにとって大きなショックだったようで、テレビ番組などでも「まさか自分の家族が孤独死するとは思わなかった」と語っています。
羽鳥さん自身は神奈川県に移り住み、その後フリーアナウンサーとしての活動を本格化させましたが、お姉さんは地元に残り、家族を支える役割を担っていたのではないかと推測されます。
兄妹のエピソードはあまり多く語られていませんが、お互いを思いやる気持ちは強いのではないでしょうか。
羽鳥さんは普段から礼儀正しく、気遣いができる人柄で知られていますが、これは幼少期にお姉さんとともに育った家庭環境や、家族の支えがあったからこそ培われたものかもしれません。
今後、インタビューなどでお姉さんとのエピソードが語られる機会があるかもしれませんので、引き続き注目していきたいですね。
まとめ
羽鳥慎一アナは、幼い頃から野球に熱中し、やがて「野球実況をしたい」という夢を抱くようになりました。
そして、早稲田大学を卒業後、日本テレビに入社し、見事にその夢を実現。
スポーツ実況をはじめ、情報番組の司会者としても活躍し、現在ではフリーアナウンサーとして絶大な人気を誇る存在となりました。
しかし、その華やかな活躍の裏では、家族との悲しい別れも経験しています。
大学4年生の時にお母さんを亡くし、アナウンサーとして活躍する姿を見せることは叶いませんでした。
さらに、2013年にはお父さんも孤独死という形で旅立ち、羽鳥さんにとっては大きな衝撃となりました。
お姉さんとともにお父さんを見守っていたものの、突然の別れは避けられず、羽鳥さん自身も「まさか自分の家族が孤独死するとは思わなかった」と語っています。
そんな家族の支えを受けながら育った羽鳥慎一アナは、実家がある埼玉県上尾市や学生時代を過ごした横浜市に深い愛着を持っています。
公立高校から早稲田大学へ進学し、一流のアナウンサーへと成長した姿は、多くの人に夢を与え続けています。
今は亡きご両親も、空の上から羽鳥アナの活躍を見守っていることでしょう。
これからもその誠実な人柄と確かなアナウンス力で、多くの視聴者に信頼されるアナウンサーとして活躍してほしいですね。。




