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加藤タキの息子は建築家!旦那や元夫?父親と母親は国会議員だった

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株式会社タキ・オフィス代表取締役でコーディネーターの加藤タキさんは、42歳の時に出産しました。

子供はどんな仕事をしており、旦那さんはどんな人なのでしょうか。

加藤タキさんはどんな両親の元で育ったのでしょうか。

そこで今回は、加藤タキさんの家族について調べてみました。

加藤タキの息子は建築家!

加藤タキさんは、37歳の時に再婚し、42歳で第一子長男を出産しました。

長男の名前は公表されておらず、顔写真もありませんでした。

ただテレビ番組で「建築家の息子」と紹介されたことがあり、今も転職していないのであれば建築家として働いているのだと思われます。

加藤タキの旦那は黒川雅之

加藤タキさんの現在の旦那さんは、建築家の黒川雅之さんです。

黒川雅之さんは、1967年に早稲田大学大学院博士課程を修了し黒川雅之建築設計事務所を設立、1979年にはニューヨーク近代美術館の”永久コレクション”に「GOMシリーズ」が選ばれました。

2001年に株式会社デザイントープを設立、翌年金沢美術工芸大学大学院専任教授に就任しました。

さらに2010年5月、博士論文「自己解剖/自己の作品と理論の解剖による普遍的美の探究」を金沢美術工芸大学に提出して博士(美術)の学位を取得しています。

加藤タキと黒川雅之の馴れ初め

加藤タキさんと黒川雅之さんの出会いのきっかけは公表されていません。

ただ二人が出会った時は黒川雅之さんが別の女性と結婚していたそうです。

しかし加藤タキさんがアピールし、略奪婚となりました。

加藤タキの元夫は社長だった

加藤タキさんは、バツイチです。

20代の頃に音楽事務所の社長と結婚していました。

こちらの男性については、名前や顔写真などは公開されていません。

加藤タキと元夫の馴れ初めや離婚した理由

加藤タキさんと元旦那さんの出会いは、加藤タキさんに音楽事務所から「オズモンド・ブラザーズ」の通訳・調整役の仕事依頼が来たことでした。

結婚したばかりの頃は主婦業に専念していた加藤タキさんですが、大阪万博で有名歌手の通訳を務めたのをきっかけに元旦那さんの会社で働くようになったそうです。

元旦那さんの役に立てることが嬉しかったものの、加藤タキさんの仕事が増えていく中で二人の生活にすれ違いが起き、28歳の時に離婚しました。

加藤タキの両親は国会議員だった

加藤タキさんの両親は、元政治家でした。

お父さんは53歳、お母さんが48歳の時に加藤タキさんが誕生しています。

加藤タキの父親は加藤勘十

加藤タキさんのお父さんは、加藤勘十さんです。

加藤勘十さんは、1936年の第19回衆議院議員総選挙に立候補し当選、1937年には日本無産党委員長に就任、1945年に日本社会党結成に参加し、社会党では組織局長になりました。

1948年の芦田均内閣では労働大臣として入閣、1949年の第24回衆議院議員総選挙で落選し、1951年にも東京都知事選挙に立候補し落選、1952年の第25回衆議院議員総選挙で国会議員に復帰しました。

1969年の第32回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界を引退しています。

そして1978年に亡くなりました。

加藤タキの母親は加藤シヅエ

加藤タキさんのお母さんは、加藤シヅエさんです。

加藤シヅエさんは、1946年4月の第22回衆議院議員総選挙に立候補し、日本初の女性国会議員になりました。

1974年に日本家族計画連盟の会長に就任するも、7月の参議院選挙での落選を契機に政界を引退しました。

その後は1993年に女性のための政治スクール名誉校長に就任、1995年に家族計画国際協力財団(現在の国際協力NGOジョイセフ)の会長として活動しました。

102歳の時に舌がんが発覚、それでも「まだまだ知りたいことがある」、「この本も読んでみたい」、「あの方にもお会いしたい」と興味や好奇心が衰えることはなかったそうです。

103歳を過ぎてがんが再発、年齢的にも手術が困難ということから自然にまかせ、2001年12月に104年の天寿を全うしました。

まとめ

政治家の娘として誕生した加藤タキさんは一度結婚は失敗してしまったものの、37歳で運命の出会いをし、長男が誕生しました。

その長男も現在は自身の道を歩んでいるということで、これからも家族それぞれの道で支え合いながら幸せな日々を過ごしてほしいですね。

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