元サッカー選手の岡野雅行さんは、既婚者です。
ネット上では「奥さんが美人」と話題になっていましたが、どんな方なのでしょうか。
また岡野雅行さんはどんな家庭で育ったのでしょうか。
今回は、岡野雅行さんの結婚や子供、家族について調べてみました。
岡野雅行の嫁が美しい?どんな人?
岡野雅行さんの奥さんは、岡野裕子さんと言います。
奥さんは一般人のため、年齢や経歴などは公表されていませんでした。
ネット上では奥さんの写真が出回っており、「美人」というコメントが寄せられています。
岡野雅行と嫁の馴れ初め
岡野雅行さんと奥さんの出会いは公表されていません。
交際期間は3年で、岡野雅行さんが29歳の時に結婚しました。
出会った時はすでにサッカー選手ではありましたが、Jリーガーと言うのが嫌で八百屋だと偽っていたそうです。
岡野雅行の子供は娘が一人?
岡野雅行さんには、娘さんが1人います。
結婚から4年後に誕生したそうで、名前は「世奈」さんです。
世奈さんも一般人のため、出身学校や経歴、顔写真などは公開されていません。
岡野雅行の自宅
岡野雅行さんは、現役引退後の2017年にガイナーレ鳥取の代表取締役GMに就任しました。
しかし自宅は東京にあるようで、新型コロナウイルスの影響で鳥取に行けず、東京の自宅で過ごしていたとあるインタビューで明かしていました。
自宅の詳しい場所については公表されていません。
岡野雅行の祖父は手島右卿
【書の偉人】手島右卿(てしま ゆうけい):明治34年(1901)生、高知県出身。本名は南海巍(なみき)。川谷尚亭、比田井天来に師事。空海の書法を好んで研究した。文化功労者。代表作に「崩壊」がある。 pic.twitter.com/uLDZKUt0Lw
— 書の古典 (@unkaido_koten) March 30, 2019
岡野雅行さんの祖父は、書家の手島右卿さんです。
手島右卿さんは、1958年にブリュッセル万国博覧会「近代美術の50年展」に日本代表として富岡鉄斎さん、梅原龍三郎さん、井上有一さんとともに指定出品した「抱牛」が最高殊勲金星を受けました。
このことがきっかけで世界の注目を集め、1985年には中国・北京革命歴史博物館にて「日本手島右卿書法展」を開催、観客11万人を動員しています。
さらに専修大学教授、日本書道専門学校初代校長も務めました。
岡野雅行の実家がすごい?
岡野雅行さんは、神奈川県横浜市港北区出身です。
実家の詳しい場所は不明ですが、「(幼い頃は)日吉の高台に住んでいて、そこから小学校のグラウンドが見えた」と明かしていました。
岡野雅行さんは横浜市立駒林小学校出身ということで、この学校の学区内にあると思われます。
岡野雅行の父親
岡野雅行さんのお父さんは、一般人です。
名前や年齢、職業などは明かされていません。
お父さんは岡野雅行さんがサッカーを始めたときにコーチの資格を取得し、岡野雅行さんのサポートをしてくれたのだそうです。
岡野雅行の生い立ち
学年ビリのギャルが現役で慶応大学に入学した「ビリギャル」もすごいけど、サッカー部のない高校からプロサッカー選手になって日本代表初のW杯出場を決めたゴールを決めた、
— K-osq€ (@REDS_BENI11) June 15, 2018
「野人・岡野」もすごいと思う。#岡野雅行 pic.twitter.com/DJwOmtxojH
1972年7月25日に誕生した岡野雅行さんは、お母さんがテニスをしていたため幼稚園の頃はテニスを習っており、周囲にはテニス繋がりの女の子の友達が多かったそうです。
しかし「男の子の友達ができるよう」にと両親が岡野雅行さんをサッカーに無理矢理入れ、嫌々始めたものの、岡野雅行さんがゴールを入れたときに皆が喜んでくれたことをきっかけに、サッカーに打ち込むようになりました。
祖父が有名な書家出会ったことから堅実な公務員や書道など芸術で身を立てる親戚が多かったものの、両親は「好きなことはとことんやれ」が教育方針だったため、岡野雅行さんはずっとサッカーに打ち込める環境だったようです。
その後1994年に浦和に加入、1998年には「1998 FIFAワールドカップ」の日本代表に選出されました。
岡野雅行の母親
岡野雅行さんのお母さんは、岡野たみ子さんと言います。
手島右卿さんの長女ということですが、一般人のため顔写真などは公開されていません。
お母さんは岡野雅行さんのために審判の資格を取得、ハンバーグやクリームシチューなど食事面でも岡野雅行さんを支えました。
そんなお母さんについて岡野雅行さんは、「母は小柄で明るくて出しゃばり」と話しています。
岡野雅行の兄弟や姉妹
岡野雅行さんは、ひとりっ子です。
そのため兄弟はいません。
まとめ
嫌々で始めたサッカーでプロになり、日本代表にも選ばれるほどの実力を付けた岡野雅行さんですが、両親が無理矢理入れてくれたからこそ、その道を歩むことが出来たのだと思います。
現役は引退していますが、これからもずっと支えてくれていた両親、奥さん、そして子供のためにサッカーの世界を盛り上げていってほしいですね。