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野人岡野雅行の高校時代からの伝説がすごい!あだ名や事務所・年収について

okanomasayuki_career サッカー
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「野人」というあだ名でサッカー界を盛り上げた元サッカー選手の岡野雅行さんは、どんな人なのでしょうか。

どこの学校に通い、どんな学生生活を送っていたのでしょうか。

今回は、岡野雅行さんの経歴や出身学校、伝説のエピソードなどについて調べてみました。

岡野雅行はなぜ野人というあだ名?

岡野雅行さんと言えば、現役時代から「野人」という愛称で親しまれていました。

現在代表取締役を務めているガイナーレ鳥取では、オフィシャルグッズとして「まいにち野人!」という日めくりカレンダーも販売されているそうです。

そんな岡野雅行さんですが、「野人」と呼ばれるようになったのはプロの選手になってからでした。

きっかけは元サッカー選手の土田尚史さんという方で、岡野雅行さんが浦和レッズに加入した時の初めてのキャンプがオーストラリアだったため成田空港にTシャツ、短パン、サンダル、リュックサックでいったそうです。

しかし他の人は皆スーツで、土田尚史さんから「お前野人みたいだな」と言われ、ここから「野人・岡野雅行」と広まりました。

野人岡野雅行の伝説がすごい!

岡野雅行さんには、様々な伝説があります。

野人岡野雅行の伝説エピソード①『ROOKIES』伝説

松江日本大学高等学校出身の岡野雅行さんですが、入学した当時は学校にサッカー部がありませんでした。

そこで岡野雅行さんと先輩の2人でサッカー部を立ち上げ、寮の入り口に案内を出したり、スカウトをして20人くらい集めたそうです。

ヤンキーの集まりのようなサッカー部だったものの、岡野雅行さんが部員をまとめ、最高で島根県3位になるまでのチームになったのでした。

その後、岡野雅行さんは2017年12月11日放送の『激レアさんを連れてきた。』に出演、このエピソードが話題となり、2018年にドラマ『激アツ!! ヤンキーサッカー部』として放送されました。

野人岡野雅行の伝説エピソード②俊足伝説

大学時代、岡野雅行さんは体育の授業でバスケットシューズを履いて100メートルを10秒7で駆け抜け、専用スパイクを履いた陸上部員に勝利しました。

このことがきっかけで、自身の足の速さに気づき、足下の技術よりもスピードを前面に出すスタイルを確立したのだそうです。

岡野雅行の学歴

岡野雅行さんが通っていた学校について調べてみました。

岡野雅行の出身小学校

岡野雅行さんは、横浜市立駒林小学校出身です。

幼稚園の頃にサッカーを始めた岡野雅行さんは、3年生頃から上手くなり、キャプテンを任されるようになったり、横浜市の大会で優勝したり、市の選抜メンバーに選ばれたりなど地域で有名になりました。

しかし元々運動神経が良かったわけではなく、運動会の徒競走では断トツの最下位だったそうです。

ただサッカーを続けていく中で自信が付き、いつの間にか徒競走でトップになり、リレーの選手にも選ばれるようになったのでした。

岡野雅行の出身中学

小学校卒業後は、横浜市立日吉台西中学校に進学しました。

慶應義塾中等部から「来てほしい」とスカウトの話もあったものの、「地元の友達と同じ学校が良い」という気持ちが強かったそうです。

中学ではサッカー部に入り、活躍しました。

岡野雅行の出身高校

中学校卒業後は、松江日本大学高等学校(現:立正大学淞南高等学校)に進学しました。

偏差値は、39です。

ブラジルへのサッカー留学を希望していたものの、両親に反対されたため親戚の勧めでこちらの学校に進学しました。

自身でサッカー部を立ち上げるなど、高校時代もサッカー一色の日々でした。

岡野雅行の出身大学

高校卒業後は、日本大学に進学しました。

スポーツ推薦の進学だったそうで、岡野雅行さんは文理学部体育学科に在籍、偏差値は47.5です。

大学では当時2部であったサッカー部に入部、1年時の天皇杯予選でコーチに抜擢されたことをきっかけに頭角を現すようになりました。

岡野雅行のプロフィールや経歴

名前:岡野雅行
生年月日:1972年7月25日
出身地:神奈川県
血液型:B型
身長:175cm

1994年に浦和レッズに加入した岡野雅行さんは、1年目からJリーグで35試合に出場しました。

1995年にはキング・ファハド・カップ(インターコンチネンタルカップ)の日本代表メンバーに選出、同年9月20日のパラグアイ代表戦にて代表初出場、1996年8月25日のウルグアイ代表戦にて初ゴールを記録しています。

1996年にはPKを任されるなどキャリアハイとなる11ゴールをあげ、同年のJリーグベストイレブンとJリーグフェアプレー個人賞を受賞しました。

1997年の「1998 FIFAワールドカップ・アジア予選」で、最終予選では出場はないまま迎えたアジア第3代表決定戦(イラン代表戦)に延長戦の開始から出場、GKと1対1など決定機を数度逃すも決勝ゴールデンゴールを決め、話題を集めました。

2001年9月よりヴィッセル神戸に期限付き移籍、2002年12月に完全移籍、2004年に浦和に完全移籍となり、2007年元日の天皇杯決勝では、浦和の天皇杯連覇に貢献しました。

2009年2月には香港リーグ1部の天水圍飛馬(TSWペガサス)に移籍、2月7日の香港リーグデビュー戦で初ゴールを挙げています。

同年6月にリーグのシーズン終了をもって天水圍飛馬を退団、同年7月31日にガイナーレ鳥取に移籍し、2013年に引退しました。

引退後はガイナーレ鳥取のGMとして活躍

2013年シーズンを最後に現役を引退した岡野雅行さんは、直後にガイナーレ鳥取のゼネラルマネージャーに就任、2014年末にはJリーグ功労選手賞を受賞しました。

その後、2017年4月27日にガイナーレ鳥取の代表取締役GMに就任しています。

岡野雅行の所属事務所

岡野雅行さんは、「株式会社Piece」に所属しています。

こちらは芸能事務所ではなく、サッカーに関する事業の実施、スポーツ教室及びスポーツ行事の実施、整体、鍼灸、あん摩マッサージ指圧、リラクゼーション、スポーツジムの企画・運営などを行っています。

岡野雅行の年収

岡野雅行さんの年収は公表されていません。

現在はガイナーレ鳥取の代表取締役GMとしてだけではなく、広島市NPOスポーツオフィス・ワン副理事長としてボランティア活動にも参加しています。

メディアの出演もあることから、年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。

まとめ

小学生の頃から実力があった岡野雅行さんは、数々の伝説を持っています。

これからも岡野雅行さんがどんな伝説を作ってくれるのか、期待したいですね。

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