演歌歌手の伍代夏子さんは、デビューから数回名前を変え、「戻り川」でブレイクしました。
そんな伍代夏子さんが通っていた学校はどこで、過去に公表した病気は何だったのでしょうか。
今回は、伍代夏子さんの経歴や出身学校、病気などについて調べてみました。
伍代夏子の年収がすごい?
伍代夏子さんの年収は公表されていません。
歌手としてヒット曲を持ち現在も活動を続けていることから、年収は数千万円~億越えになるのではないかと言われています。
伍代夏子の収入源
伍代夏子さんの収入源は、楽曲のリリース、テレビやラジオ出演、コンサート・イベント出演料です。
また2022年には日本和装ホールディングスの子会社「メインステージ」の社外取締役に就任したことから、こちらからの報酬もあります。
伍代夏子の代表曲
伍代夏子さんの代表曲は、1987年にリリースされた「戻り川」です。
この楽曲は「伍代夏子」名義でのデビュー作で、1988年の第21回日本有線大賞の最優秀新人賞と第21回全日本有線放送大賞の最優秀新人賞を受賞しました。
伍代夏子の若い頃
伍代夏子さんの若い頃の姿はこちらです。
星ひろみ(伍代夏子)デビュー盤。このジャケ最高。 pic.twitter.com/jvazQxu1GN
— 田口裕也 (@mellowfilms) January 17, 2015
本日の収穫
— XSARA (@XSARA0630) February 23, 2021
加川有希 ロマンティックしましょう
伍代夏子の星ひろみに続く二つ目の芸名 pic.twitter.com/CkdQyWZyzE
伍代夏子さん87年『戻り川』デビュー!
— レコード食堂 杉戸町 (@A813tea) May 19, 2015
82年「星ひろみ」名義『恋の家なき子』デビュー
85年「加川有希」名義『夜明けまでヨコハマ』デビュー
86年「中川輝美」名義『夢きずな』デビュー
改名の連続だった。
99年「杉良太郎」さんと結婚 pic.twitter.com/2H7h5V5b4y
若い頃から綺麗で可愛らしいですね。
今でも雰囲気は変わっていないと思います。
伍代夏子の学歴
伍代夏子さんが通っていた学校について調べてみました。
伍代夏子の出身小学校
伍代夏子さんは、渋谷区立富谷小学校出身です。
子供の頃は人前に出るのが大嫌いだったため、学級委員になった時は登校拒否寸前になるほどだったそうですよ。
伍代夏子の出身中学
小学校卒業後は、渋谷区立上原中学校に進学しました。
中学では卓球部に所属していました。
多くのスターが誕生した『スター誕生』に応募しようと思ったものの、大勢の人の前で歌うことを考えると無理だと感じたため、結局応募はしていません。
伍代夏子の出身高校
中学校卒業後は、鷗友学園女子高等学校に進学しました。
現在は高校からの募集を行っていない完全中高一貫校ですが、伍代夏子さんが通っていた頃は高校からの入学者もおり、偏差値は40でした。
高校時代はモデルとして活動しながらボイストレーニングに励み、学校では文化祭のためにバンドを結成、ギターを担当していました。
伍代夏子の出身大学
高校卒業後は、進学していません。
歌手デビューのためにレッスンを行っていたため、進学は希望しなかったようです。
伍代夏子の病気は治った?
伍代夏子さんは、33歳の時にC型肝炎を患いました。
この病気は、C型肝炎ウイルスにかかることで発症する肝臓の病気です。
2009年よりインターフェロンの治療を行い、2010年8月に自身がC型肝炎であることを公表しました。
治療中は高熱や貧血などの副作用で公演中も息切れやめまいに何度も苦しんだものの、「仕事は休まない」という強い意志で治療と仕事を両立し、夫の杉良太郎さんの支えもあり、1年半で治療を終えました。
今では「肝炎のことを知ってほしい」という思いからコンサートでは必ず検査の重要性を観客に伝えたり、同じようにC型肝炎に苦しんでいる患者のための支援活動を行っています。
さらに2021年には、喉のジストニア(けいれん性発声障害)と診断されたことも公表しました。
けいれん性発声障害は、のどの筋肉のけいれんによって思うように声が出せなくなる病気で、2018年頃に突然「喋ろうと思うと喉が苦しくなる」という状態になってしまったそうです。
ただその苦しみは周囲に理解されなかったそうで、「“気のせい”と言われていた」「何度言っても『声、出てるじゃん』と誰も信じてくれなかった」と明かしています。
何回も転院したことから症状はさらに悪化、カンペを出されても声が出せなくなるなど仕事やにまで支障を来すようになり、ついには歌声にも影響が出てしまいました。
そのため伍代夏子さんは歌手活動の引退も考えていたものの、この時も杉良太郎さんの支えがあり、病気を公表することに決めたそうです。
今も治療中ですがだいぶ克服したそうで、「なるべくネガティブなことを考えずに、自分がリラックスするように気持ちを持っていくようにしています」と話していました。
伍代夏子の本名は?3回芸名が変わっている
伍代夏子さんの出生名は「中川輝美」さんと言います。
1982年のデビュー時は「星ひろみ」という芸名でしたが、売れなかったため1985年4月21日に「加川有希」と改名して再デビューしました。
そして1986年7月21日に本名「中川輝美」に改名、1987年9月21日に現在の「伍代夏子」という芸名になりました。
現在の芸名については、「伍代の“伍”は五木ひろしさん、“代”は八代亜紀さんという大好きなお二人にあやかったもの」だそうで、伍代という苗字と合わせてプロの先生が考えたのが『伍代夏子』でした。
伍代夏子さん自身は「夏のイメージではないな」と思ったものの、今は慣れてきたと話しています。
伍代夏子のプロフィールや経歴
伍代夏子が歌手活動休止に至った病気について語る! 夫・杉良太郎の気遣いエピソードも 『徹子の部屋』 https://t.co/6lu9n8tuSX #伍代夏子 #黒柳徹子 #徹子の部屋 pic.twitter.com/TNN0ox4B8S
— music.jp (@musicjp_mti) June 17, 2021
名前:伍代夏子
生年月日:1961年12月18日
出身地:東京都
血液型:A型
身長:160cm
所属事務所:ボイスミュージック
幼い頃から演歌歌手を夢見ていた伍代夏子さんは、高校生の時に怪しい男を見かけ、「スカウトマンだ!」と気付いたため何度もその人の前を行ったり来たりしてようやく1枚の名刺をもらいました。
そこから1982年にデビュー、伍代夏子さんは当時「デビューすれば次の日からテレビやラジオの仕事がたくさん入ってくる」と思っていたものの、事務所がキャバレーなどのお店に歌手を手配する営業だけの会社だったことから理想の活動を行うことは出来ませんでした。
さらにその事務所が4ヶ月で夜逃げしたため、その後事務所のお茶くみや電話番、総務のお手伝いをする傍ら、レッスンに通う生活を3年ほど続けていたそうです。
そして1985年に芸名を「加川有希」に変えて、元横浜大洋ホエールズの平松政次さんとのデュエット曲『夜明けまでヨコハマ』を発売したものの、あまり大きなヒットには恵まれませんでした。
1987年9月21日に「伍代夏子」と4回目の芸名にすると、1990年に『忍ぶ雨』がヒット、NHK『紅白歌合戦』に初出場するなど、ブレイクしました。
その後は、第10回メガロポリス歌謡祭 演歌メガロポリス賞、年間ロングセラー賞、第18回横浜音楽祭 横浜音楽祭賞、第24回日本有線大賞 有線音楽優秀賞、第37回日本レコード大賞 特別賞などを受賞しています。
2023年には7月25日を夏子(725)の語呂合わせから「伍代夏子の日」として、日本記念日協会に認定されました。
伍代夏子の所属事務所
伍代夏子さんは、「ボイスミュージック」に所属しています。
こちらは伍代夏子さんの個人事務所です。
レーベルは、「ソニー・ミュージックダイレクト」です。
まとめ
幼い頃からの夢を見事叶えた伍代夏子さんですが、全く売れずに度々改名したり、ブレイク後も病気の発覚など、決して楽しいことばかりの芸能生活というわけではありませんでした。
それでも今は旦那さんやスタッフ、そして多くのファンに支えられ、活動を続けています。
これからも伍代夏子さんのペースで頑張ってほしいですね。