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中井貴一の父親は佐田啓二!死因は事故?姉の貴恵・実家や母親も

nakaikiichi_family 俳優
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『ふぞろいの林檎たち』や大河ドラマ『武田信玄』などで主演を務めた中井貴一さんは、2世俳優です。

お父さんはどんな人なのでしょうか。

さらにお姉さんも芸能人とのことですが、どんな活動をしているのでしょうか。

今回は、中井貴一さんの家族や実家について調べてみました。

中井貴一の父親は佐田啓二!

中井貴一さんのお父さんは、俳優の佐田啓二さんです。

佐田啓二さんは、1946年に松竹大船撮影所に入社し、翌年の1947年の映画『不死鳥』でデビュー、その後も『鐘の鳴る丘』、『君の名は』などに出演し話題を集めました。

『あなた買います』では、毎日映画コンクールや、ブルーリボン賞の主演男優賞を獲得しています。

佐田啓二の死因は交通事故?

佐田啓二さんは、1964年8月17日に交通事故に遭い亡くなりました。

同年8月13日から夏休みを兼ねて家族で信州蓼科高原の別荘に避暑に訪れていた佐田啓二さんは、ドラマ『虹の設計』の収録に参加するために帰京する途中で事故に遭ったのです。

事故の原因は、運転手の居眠り運転でした。

この時中井貴一さんはまだ2歳11ヶ月だったため、中井貴一さんの中での佐田啓二さんは「父親の佐田啓二」ではなく「俳優としての佐田啓二」になっているそうです。

またお父さんが亡くなった原因が運転手の居眠りだったことは大人になってから知ったことで、それまではお母さんに聞いても「運命だったのよ。理由はない。お父さんの運命は37という歳だったのよ」と返されていました。

そのため中井貴一さんは、「『あの人のせいで死んだ』と人を恨まずに成長することが出来た」と語っています。

中井貴一の生い立ち

1961年9月18日に誕生した中井貴一さんは、早くにお父さんを亡くしてしまったため、お母さんとお姉さんの3人で暮らしていました。

その生活は裕福とは言えないものでしたが、お母さんが女手一つで子供たちを育てていました。

お父さんが俳優とはいえその姿を直接見ていたわけではないため、中井貴一さんは俳優になるつもりは全くなかったそうです。

しかしお父さんの十七回忌に来ていた映画監督の松林宗恵さんから「今度映画撮るんだけど、あんたの顔は昭和の顔をしとる」とスカウトされたことをきっかけに、1981年映画『連合艦隊』でデビューしました。

俳優の道を選んだことについては、「同じ事をやってみたら親父の後ろ姿が分かるかもという思いがあった」と話していました。

中井貴一の姉は中井貴恵

中井貴一さんのお姉さんは、女優でエッセイストの中井貴恵さんです。

中井貴恵さんは、1977年に映画『女王蜂』でデビューし数々の新人賞を受賞、1982年には『あゝ野麦峠 新緑篇』、『制覇』で日本アカデミー賞助演女優賞にノミネートされました。

映画やドラマ、CMなどに出演していましたが、1987年の結婚を機に女優業を休業、以降は『赤毛のアンを探して』、『大人と子供のための読みきかせの会―「5年間の物語」』などの書籍を出版しています。

さらに絵本『はらぺこかいじゅう』(訳)、『くるみわり人形』(抄訳)なども担当しました。

中井貴一の実家

中井貴一さんは、東京都世田谷区出身です。

実家の詳しい場所は公表されていないため分かりません。

ネット上では、田園調布周辺という情報がありました。

中井貴一の母親

中井貴一さんのお母さんは、益子さんと言います。

お母さんは、松竹大船撮影所の向かいにあったレストラン「月ヶ瀬」の看板娘で、佐田啓二さんとの出会いもレストランでした。

佐田啓二さんが亡くなってしまった後はお母さんが一家の大黒柱となって家庭を支えていました。

しつけにも厳しかったそうで、食事中に醤油をこぼすと「食べなくていい」と食事を下げられたこともあったそうです。

そんなお母さんは、2016年に病気のため亡くなりました。

まとめ

幼い頃にお父さんを亡くし、お父さんとの思い出がないまま成長した中井貴一さんですが、映画監督からのスカウトがきっかけでお父さんと同じ道を歩むことになりました。

これからも、空の上で見守ってくれている両親の支えを力に、俳優として輝き続けてほしいですね。

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