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中井貴一の若い頃がイケメン!事務所や年収は?出身高校や大学について

nakaikiichi_career 俳優

日本を代表する俳優の一人である中井貴一さんは、若い頃から活躍しています。

学生時代はどこの学校に通い、何がきっかけで俳優になったのでしょうか。

今回は、中井貴一さんの経歴や出身中学高校、若い頃の姿などについて調べてみました。

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中井貴一の若い頃がイケメン

中井貴一さんの若い頃の姿はこちらです。

今と変わらずカッコイイですね。

中井貴一の筋肉がすごい!

中井貴一さんは、週3日ほどスポーツジムに通い、身体を鍛えています。

ジムでは筋肉トレーニングを一通りしてからストレッチをし、プールに行き、クールダウンを兼ねて泳いでいるのだそうですよ。

役作りではなく、普段から鍛えているため、中井貴一さんの写真を見るとかなりガッチリしているのが分かりますね。

身体を鍛えている理由については、「元気で80歳まで仕事が出来るように、それを目指しています」と話していました。

中井貴一のプロフィールや経歴

名前:中井貴一
生年月日:1961年9月18日
出身地:東京都
血液型:A型
身長:181cm
所属事務所:OFFICE NAKA

人前で何かやるのが大嫌いだったという中井貴一さんは、お父さんが俳優という環境だったものの、2歳でお父さんが亡くなってしまったため自身は俳優になることを考えていなかったそうです。

しかしお父さんの17回忌の法要の時に映画監督の松林宗恵にスカウトされ、1981年の映画『連合艦隊』で俳優デビュー、同作品で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。

初めてカメラの前に立った時にまったく赤面しなかったという中井貴一さんは、俳優として生きていくことを決め、1982年にはNHK水曜時代劇『立花登 青春手控え』でテレビドラマ初出演にして初主演を務めました。

1983年のドラマ『ふぞろいの林檎たち』で主役を演じブレイク、この作品は約15年に亘って4シリーズが製作されています。

さらに1984年には歌手デビュー、『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』にも出演しました。

1988年のNHK大河ドラマ『武田信玄』では主役の武田信玄を演じ、40%に迫る平均視聴率と歴代2位である49.2%の瞬間最高視聴率を記録しました。

2003年の映画『壬生義士伝』では日本アカデミー賞と日刊スポーツ映画大賞で主演男優賞を受賞、以降も様々な賞を獲得しています。

2004年には中国映画『ヘブン・アンド・アース 天地英雄』に出演、2007年公開の日本・中国合作映画『鳳凰』では、主演とともにプロデューサーを務めました。

他にも、『DCカード』や『ミキプルーン』のCMに長く出演、老若男女問わず支持されています。

中井貴一の所属事務所

中井貴一さんは、「OFFICE NAKA」に所属しています。

こちらは個人事務所で、お姉さんの中井貴惠さんも在籍しています。

中井貴一の年収

中井貴一さんの年収は公表されていません。

ドラマや映画では現在も主演を務めることがあり、さらにCMも多数契約しています。

そのため年収は億越えではないかと噂されています。

中井貴一の学歴

中井貴一さんが通っていた学校について調べてみました。

中井貴一の出身小学校

出身小学校は公表されていません。

ネット上では、「世田谷区立八幡小学校ではないか」と噂されていました。

幼い頃にお父さんを亡くし、遺産で生活していたため決して裕福ではありませんでした。

小学生の頃は、お姉さんのお古の服をリメイクして着ていたそうです。

中井貴一の出身中学

小学校卒業後は、成蹊中学校に進学しました。

偏差値は、63~64です。

中学では、テニス部に所属していました。

中井貴一の出身高校

中学校卒業後は、成蹊高等学校に進学しました。

偏差値は、70です。

高校でもテニス部に所属し、インターハイにも出場しています。

当時はコーチを職業にすることを考えるほど、テニスに熱中していました。

中井貴一の出身大学

高校卒業後は、成蹊大学に進学しました。

中井貴一さんは経済学部に在籍、偏差値は57です。

在学中に俳優デビューしましたが、大学は無事に卒業しました。

まとめ

「お父さんの後ろ姿が見たい」という思いで俳優になった中井貴一さんは、お父さんの年齢を超え、今も俳優として活躍しています。

周囲からは「お父さんの方が二枚目だった」と言われることが多いそうですが、これからも中井貴一さんらしい演技で視聴者を楽しませてほしいですね。

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