過去にコンビで活動していたタレントの桂菊丸さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。
1990年代には、自身のお母さんと奥さんの嫁姑問題で話題を集めました。
今回は、桂菊丸さんの家族や出身学校、嫁姑問題について調べてみました。
桂菊丸の母親と泉アキの嫁姑戦争が話題に
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桂菊丸さんは、1973年に泉アキさんと結婚しました。
桂菊丸さんのお母さんは長年愚痴一つ言わなかったものの、実は「腹立ち日記」を書いていたそうで、その日記をもとにバカ嫁ぶりを事細かに書いた暴露本『天に代わりて嫁を討つ』を、1992年に出版しました。
そしてこのことがきっかけで「嫁姑戦争」が勃発、泉アキさんも『おごる姑は久しからず』を出版しています。
その後泉アキさんが乳がんを患ったことで「自分が変われば相手も変わる」という考えになり、泉アキさんと桂菊丸さんのお母さんの関係は修復しました。
桂菊丸の母親はどんな人?
桂菊丸さんのお母さんは、大塚稲子さんと言います。
2017年に、104歳で亡くなりました。
100歳を超えても海鮮丼をペロリと食べるとても元気な方だったそうですよ。
桂菊丸の生い立ち
《いつか都会にあこがれて 捨てた故郷に 負けて帰って来たけれど 今は責めないで》と歌っていた桂菊丸。なんだい、田舎暮らしが随分性に合ってるんじゃないの😁
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「桂菊丸の田舎暮らし!」 https://t.co/neS8nONFXJ
奥様の泉アキさんもお元気そうで! pic.twitter.com/qicqY1QOE3
1941年6月13日に誕生した桂菊丸さんは、1972年に「鈴木ヤスシとラッキースターズ」に入団しました。
1964年に桂高丸さんと漫才コンビ「桂高丸・菊丸」を結成し、1968年にNHK新人演芸大賞で優勝しています。
1973年には4代目桂米丸門下なのに漫才と掛け持ちで落語一筋でないとの理由で日本芸術協会を脱退させられ落語を廃業、漫才コンビとしても解散し個人で活動するようになりました。
1973年からは『おかあさんといっしょ』に3年間レギュラー出演、1976年にアメリカへ留学し翌年帰国 すると『独占!女の60分』でのリポーター役で話題になり、『3時にあいましょう』の事件リポーターも11年担当しました。
桂菊丸の父親
桂菊丸さんのお父さんは一般人です。
名前や顔写真、職業などの情報はありませんでした。
桂菊丸の兄弟や姉妹
女学生節/桂高丸・菊丸
— 石川ちんぺい@まんが「いないいないBAR」全3巻発売中 (@isikawk) December 13, 2020
桂米丸門下の漫才コンビによる71年リリースのシングル。学生節のアンサー・ソング?
いかにもなこの時代のしっかりとしたコミカル・グルーヴ歌謡で大好きな作風、個人的には満点をあげたくなる出来栄えです。ジャケットがボロボロのジャンク盤だから美品が欲しくなったな…。 pic.twitter.com/WzGjwipyOi
桂菊丸さんには、桂高丸さんというお兄さんがいます。
二人は漫才コンビ「桂高丸・菊丸」でを結成し活動、また「桂高丸とカントリー・ボーイズ」を組んでいたこともありました。
1973年にコンビ解消してからは、「日高はじめ」名義で放送作家・演芸作家の活動を行っています。
桂菊丸の学歴
桂菊丸さんが通っていた学校について調べてみました。
桂菊丸の出身中学
出身中学校は公表されていません。
福岡県出身ということで地元の学校に通っていたのではないかと思われます。
桂菊丸の出身高校
出身高校も公表されていません。
学生時代のエピソードもありませんでした。
桂菊丸の出身大学
高校卒業後の進路は公表されていません。
そのため進学しているのかいないのかも不明です。
まとめ
お兄さんとの漫才コンビとして活躍していた桂菊丸さんは、個人で活動するようになってからもテレビの世界で話題を集めてきました。
空の上で見守ってくれているお母さんに安心してもらえるよう、これからも泉アキさんと支え合いながら芸能活動を続けていってほしいですね。