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小山明子のがんは治った?孫は何人?旦那は大島渚で子供は教授と監督!

koyamaakiko_couple 女優

女優として活動している小山明子さんは、1960年に映画監督の大島渚さんと結婚しました。

その後子宝にも恵まれ、今ではおばあちゃんになっています。

そんな小山明子さんは何がきっかけで大島渚さんと出会い、子供たちはどんな風に成長したのでしょうか。

今回は、小山明子さんの結婚や子供、病気などについて調べてみました。

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小山明子のがんは治った?

2018年に放送されたテレビ朝日系『徹子の部屋』の中で、小山明子さんは、自身が乳がんを患っていたことを公表しています。

発端は2016年末、健康診断の際に異変が見つかったことでした。

翌2017年1月から乳腺科に通い始めたところ、左側に6ミリの腫瘍があると診断され、その後の精密検査で右側にも2か所の異常が確認されました。

生検の結果、いずれもがんと判明し、すぐに両側乳房の全摘手術を受けることを決断されたそうです。

手術にあたっては、息子さんから「胸がなくなっても本当にいいの?」と心配されたものの、小山さんは「今さら、あってもなくてもいいじゃない」と明るく受け止め、前向きな姿勢を見せていました。

このエピソードは放送当時、大きな反響を呼び、多くの視聴者に勇気を与えたといわれています。

幸いなことに、がんはステージ1の早期発見だったこともあり、術後の経過は良好で、その後も日常生活を問題なく送られているとのことです。

2025年現在も、90歳を迎えながら地域活動やメディア出演、講演などに精力的に取り組まれており、がんの再発や深刻な後遺症は報告されていません。

こうしたご本人の元気な姿は、病を乗り越えた人の生き方として、多くの人に希望を届けているのではないでしょうか。

小山明子の孫は何人いる?

小山明子さんには、現在5人のお孫さんがいらっしゃいます。

年齢層は幅広く、すでに社会人として独立しているお孫さんから、まだ小学生の子どもまでいるとのことです。

バラエティ番組やインタビューなどで語られる様子からも、孫たちとはとても良好な関係を築いていることがうかがえます。

例えば、一緒に食事をしたり、手紙や電話のやりとりを楽しんだりと、世代を超えた温かい交流が続いているようです。

ただし、現時点でお孫さんの中に芸能活動をしている方はいないようで、家族としてはプライベートを大切にされている印象です。

小山さん自身も家庭を何より大切にされてきた方であり、特に亡き夫・大島渚監督の介護を通じて培われた家族への思いは、次の世代にも自然と受け継がれているのかもしれません。

近年では地域活動や講演などで「家族の絆」について語ることもあり、お孫さんたちの存在が日々の生活に大きな支えとなっていることが伝わってきます。

今後も、お孫さんとの心温まるエピソードが紹介される機会があれば、多くの人にとって励みや共感の対象となることでしょう。

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小山明子の旦那は大島渚

小山明子さんの夫は、戦後日本映画を代表する映画監督・大島渚さんです。

1954年に松竹に入社し、1956年の『愛と希望の街』で監督デビューを果たしました。

その後は『青春残酷物語』『日本春歌考』『戦場のメリークリスマス』など、国内外で高い評価を受ける作品を多数手がけ、1961年には第11回ブルーリボン賞新人監督賞を受賞。

1976年にはシカゴ国際映画祭で審査員特別賞を、1978年には第28回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞するなど、世界的な注目を集める存在となりました。

しかし1996年、大島監督は脳出血で倒れ、以降は半身不随となったことで創作活動から遠ざかります。

その後の17年間、小山明子さんは女優業を控え、献身的に夫の介護に尽くしました。

介護の影響で一時はうつ病を発症されたこともあったそうですが、周囲の支えとご本人の前向きな姿勢で乗り越えられています。

そして2013年、大島渚さんは肺炎のため亡くなられました。

小山さんは夫の晩年を支え抜いた姿勢に多くの共感を呼び、後年は自身の介護体験をもとに講演活動やエッセイ執筆にも力を注いでいます。

小山明子と大島渚の馴れ初め

二人の出会いは、映画『新婚白書』の撮影現場だったといわれています。

当時の大島渚さんは助監督、小山明子さんは女優として参加しており、撮影中の休日に京都で一緒にボートに乗ったことがきっかけで交際が始まったそうです。

そこから約1年半にわたり、なんと360通ものラブレターをやりとりし、関係を深めていったといいます。

1960年に結婚した際には、大島監督から「百貨店の物を何でも買ってあげるから」というユニークなプロポーズの言葉が贈られたという微笑ましいエピソードも残っています。

なお、結婚式は大島監督らしい個性が表れた場面だったようで、出席者のスピーチには松竹に対する批判も飛び出すなど、一時は政治集会のような空気に包まれたとのこと。

そんな張り詰めた場を和ませたのは、大庭秀雄監督の「作品はヌーヴェルヴァーグで結構だが、家庭生活は大船調でね」というひと言だったといわれています。

公私ともに個性の強い2人が築いた夫婦関係は、多くの人の記憶に残るものとなりました。

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小山明子と大島渚の子供は息子二人

小山明子さんと大島渚さんの間には、2人の息子がいます。

長男は1963年生まれ、次男は1969年生まれで、いずれも専門分野で実績を重ねている人物です。

それぞれ芸術や教育の領域で活躍しており、両親の個性と知性を受け継いだ印象を受けます。

長男・大島武は経済学者で大学教授

長男の大島武(たけし)さんは、一橋大学卒業後にNTTへ入社。

企業勤務を経て教育分野に転身し、1994年にロンドン大学インペリアル・カレッジ・ビジネス・スクールを修了。

翌1995年にはNTTを退社し、「教える仕事がしたい」という思いから東京工芸大学女子短期大学部で講師としてのキャリアをスタートさせました。

1998年には助教授、2004年に芸術学部基礎教育助教授、2007年に准教授、2012年に教授へと昇進し、現在も教育・研究の第一線で活躍しています。

実務教育やプレゼンテーション教育に強みを持ち、2003年には財団法人全国大学実務教育協会から「ベスト・エデュケーター・オブ・ザ・イヤー最優秀賞」を受賞。

日本ビジネス実務学会副会長や国際パフォーマンス学会副理事長なども歴任し、教育界において高い評価を得ています。

著書には『プレゼン力が授業を変える!』『プレゼンテーション概論』『ビジネス実務総論』などがあり、専門的かつ実用的な内容で広く読まれています。

次男・大島新はドキュメンタリー監督

次男の大島新(あらた)さんは、早稲田大学卒業後の1995年にフジテレビへ入社し、ドキュメンタリー番組の制作に携わりました。

1999年に独立し、フリーランスのディレクターとして『情熱大陸』やNHK『課外授業 ようこそ先輩』などを演出。

2007年にはドキュメンタリー映画『シアトリカル〜唐十郎と劇団唐組の記録〜』を監督し、第17回日本映画批評家大賞でドキュメンタリー作品賞を受賞しました。

2009年には自身の映像制作会社「ネツゲン(nusquama film)」を設立し、独立系の映像作家として活動を本格化。

2020年には政治と個人を真正面から描いたドキュメンタリー『なぜ君は総理大臣になれないのか』が大きな話題となり、第94回キネマ旬報ベスト・テン文化映画部門で第1位に選出されました。

その後も『香川1区』(2021年)や『ぼくたちの哲学教室』(2022年)など、社会的テーマに迫る作品を次々と発表。

社会との向き合い方を描く手腕が高く評価され、現在も注目を集めるドキュメンタリストの一人です。

このように、武さん・新さんともに、それぞれの分野で独自のキャリアを築きながらも、「伝える力」「考える力」を大切にする姿勢は、両親から受け継がれた精神の表れといえるかもしれません。

まとめ

小山明子さんは、映画監督・大島渚さんと結婚し、家庭と女優業の両立を図りながら激動の時代を生き抜いてこられました。

ご主人が脳出血で倒れた後も17年にわたり献身的な介護を続け、その生き方は多くの人に深い感動を与えています。

お二人の間に生まれた息子たちは、それぞれ大学教授とドキュメンタリー監督として活躍し、家族の中に知性と表現の系譜が息づいていることが伝わってきます。

また、乳がんの早期発見と手術を経て今も元気に活動されており、5人のお孫さんたちとも良好な関係を築いている様子です。

90歳を迎えた現在も地域との交流や講演活動に前向きに取り組まれており、長年支え合ってきた大島監督の存在を心に抱きながら、穏やかで充実した日々を送っておられるようです。

これからも小山明子さんが健やかに歩まれることを、多くの人が願っていることでしょう。

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