女優の浅丘ルリ子さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。
お父さんやお母さんはどんな人なのか、どこの学校に通っていたのか、気になりますね。
そこで今回は、浅丘ルリ子さんの出身学校や実家、家族について調べてみました。
浅丘ルリ子の学歴
浅丘ルリ子さんが通っていた学校について調べてみました。
浅丘ルリ子の出身小学校
浅丘ルリ子さんは、千代田区立今川小学校出身です。
こちらの学校は、1993年に佐久間小学校と統合したため閉校(廃校)になりました。
浅丘ルリ子の出身中学
小学校卒業後は、千代田区立今川中学校に進学しました。
こちらの学校も、2005年に閉校しています。
浅丘ルリ子の出身高校
中学校卒業後は、菊華高等学校(現・杉並学院高等学校)に進学しました。
現在の偏差値は、56~63です。
浅丘ルリ子さんは芸能活動が多忙だったため、中退しています。
浅丘ルリ子の出身大学
高校中退後は、進学していません。
芸能活動1本で60年以上活躍しています。
浅丘ルリ子はハーフ?国籍は?
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— GINZA (@GINZA_magazine) June 15, 2018
浅丘ルリ子さんは、中華人民共和国の長春市で誕生しました。
このことから一部では「ハーフではないか」、「国籍が中国ではないか」と噂されています。
しかし両親は日本人で、浅丘ルリ子さんはハーフではありません。
幼い頃に日本に帰国し以降はずっと日本で暮らしているため、今は日本国籍しか持っていないと思われます。
浅丘ルリ子の実家
徹子の部屋に
— 若大将 (@hy1957koukeri) November 1, 2013
浅丘ルリ子さん‼︎^_^ pic.twitter.com/WEqGmrKw51
浅丘ルリ子さんは、中国で生まれ、1943年にタイのバンコクへ家族で転居しました。
終戦後にチャオプラヤー川の岸辺にあったバンバートン抑留所へ強制収容されたものの翌1946年には引き揚げが始まり日本に帰国、大洗港の近くに住む親戚を頼り、その後館山の引き揚げ寮へ入寮しました。
そして浅丘ルリ子さんが小学3年生の時に、東京都・神田の借家に住むことになったそうです。
浅丘ルリ子の生い立ち
1940年7月2日に誕生した浅丘ルリ子さんは、家庭は決して裕福ではなかったものの、小学3年委の時から住み始めた神田には映画館がたくさんあり、時代劇や西部劇をよく見に行っていたそうです。
中学生の時に『緑はるかに』のオーディションを知り、両親が賛成してくれたため参加、見事ヒロインの座を射止め、芸能界入りしました。
浅丘ルリ子の父親
浅丘ルリ子さんのお父さんは、浅井源治郎さんと言います。
お父さんは上海の東亜同文書院に留学、中央大学を経て大蔵省に入りました。
語学力を買われて満州国にも派遣されていた高級官吏でした。
そしてタイの生活を終え日本に帰国した後は、代議士秘書や醸造会社の工場長を務め、ストレスと過労で健康を壊してしまったことで神田のまちに一家で引っ越したのだそうです。
元々お父さんは芸事が好きだったため、浅丘ルリ子さんが女優になることをとても喜んでいました。
浅丘ルリ子の母親
浅丘ルリ子さんのお母さんは、浅井ちょうさんと言います。
お父さんとは、満州で出会いました。
お母さんは毛布を裁断し染めることに依ってコートに仕立てるなど、浅丘ルリ子さんら子供たちのためにいろいろな工夫をして生活していたそうです。
浅丘ルリ子の兄弟や姉妹
浅丘ルリ子さんには、お姉さんが1人と妹さんが2人います。
姉妹は一般人ということもあり、名前や顔写真、経歴などは公開されていませんでした。
まとめ
戦争の時代に生まれた浅丘ルリ子さんは、とても大変な子供時代を過ごしていました。
そんな浅丘ルリ子さんがこれからも女優としても、ひとりの女性としても幸せな日々を過ごしていけるよう、応援していきたいと思います。