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小倉久寛の嫁は速水渓!子供は?自宅や馴れ初め・実家や両親兄弟について

ogurahisahiro_family 俳優

ドラマや映画、舞台で活躍している俳優の小倉久寛さんは、1994年に元宝塚歌劇団の女優・速水渓さんと結婚しました。

結婚発表の際にはマスコミから「美女と野獣」と言われた二人ですが、出会いは何だったのでしょうか。

今回は、小倉久寛さんと速水渓さんの馴れ初めや子供、小倉久寛さんの両親などについて調べてみました。

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小倉久寛の嫁は元宝塚の速水渓!

小倉久寛さんの奥さんは、元宝塚歌劇団の速水渓さんです。

速水渓さんは、1984年に宝塚音楽学校に入学、1986年に宝塚歌劇団72期生として入団しました。

そして2年後の1988年に退団、退団後は女優としてドラマなどに出演していましたが、小倉久寛さんとの結婚を機に芸能活動を休止し、現在は一般人として生活しているようです。

小倉久寛と速水渓の馴れ初め

小倉久寛さんと速水渓さんの出会いは、1992年頃のドラマでの共演でした。

打ち上げの時に共演者に速水渓さんの電話番号を聞いた小倉久寛さんは映画や食事に誘うなど積極的にアプローチし、交際に発展しました。

交際中は100回近く「結婚してほしい」と言い続けましたが、速水渓さんが「いいよ」と言ってくれたのは、2年後のことだったそうです。

小倉久寛と速水渓の子供は?

小倉久寛さんと速水渓さんの間に子供はいません。

子供がいない理由は分かりませんが、現在二人は愛犬を飼っています。

ポメラニアンとチワワのミックスである「ポポ丸」は、家で一番偉い存在になっていると明かしていました。

小倉久寛の自宅

小倉久寛さんと速水渓さんの自宅の場所は公開されていません。

愛犬の散歩には近所の駒沢公園に行くのが日課だそうなので、自宅は東京の世田谷区内にあるのだと思われます。

小倉久寛の実家は林業でお金持ちだった?

小倉久寛さんは、三重県度会郡紀勢町(現:大紀町)出身です。

先祖は江戸時代に木地師を辞めて林業を経営しており、小倉久寛さんの祖父は紀勢本線を利用した石灰の採掘で財を成したそうです。

その後を継いだのが、小倉久寛さんのお父さんでした。

実家の詳しい場所は分かりませんが、小倉久寛さんが幼い頃は見渡すと周囲には5軒ほどしか民家がなく、2km以上離れた場所に「最寄りの店」がある田舎でした。

小倉久寛の生い立ち

1954年10月26日に誕生した小倉久寛さんは、野山をかけ、チャンバラが好きな少年でした。

小学生の頃ハマったのがプロレスで「大きくなったら、外国人レスラーをやっつけてやる」と、毎日腹筋や腕立てを繰り返し、体を鍛え上げ、中学の頃には腹筋が6つに割れるほどムキムキだったそうです。

また勉強も優秀で、お父さんから口癖のように「勉強しろ」と言われ続けた結果、高校は三重県内では有名な進学校に入学し、大学も東京の学習院に進学しています。

大学時代にドラマ『俺たちの祭り』を見たことで役者に憧れ、劇団に入りました。

小倉久寛の父親と母親

小倉久寛さんのお父さんは、小倉久治さんと言います。

お父さんは次男でしたが、中学生の時に実家の跡を継ぐはずだった長男が採掘所の落石事故で亡くなってしまったことから大学を出たら家業を継ぐことが決まり、同志社大学英文科で英文と哲学を学んだ後に家業を手伝うようになりました。

しかし「日本で最難関の試験に挑戦して鍛えたい」という理由で司法試験合格を目指して上京、中央大学の司法試験受験志望者の勉強会「真法会」に入ったものの、試験には不合格となり帰郷、結婚後も司法試験に挑み続けましたが、小倉久寛さんの中学進学と共に断念しています。

そんなお父さんは、近所の人から法律に詳しい人として頼りにされていたそうですよ。

お母さんは、小倉矩子さんと言い、100年続く地元では有名な土地持ちの万屋の娘でした。

小倉久寛の兄弟や姉妹

小倉久寛さんには、妹さんがいます。

6歳年下で、名前は「満寿美」さんと言いますが、一般人のため経歴などは不明です。

まとめ

三重の田舎の一般家庭で育った小倉久寛さんは、役者として活動を始め、ドラマや映画などで活躍し今では老若男女問わず支持されています。

仕事は多忙な日々が続きますが、プライベートではこれからも奥さんや愛犬と幸せな日々を過ごしてほしいですね。

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