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草笛光子の元旦那は芥川也寸志!離婚理由や子供は?実家・両親兄弟について

kusabuemitsuko_family 女優

松竹歌劇団(SKD)の劇団員だった女優の草笛光子さんは、過去に結婚していたことがあります。

結婚相手はどんな人だったのでしょうか。

どこで出会い、何故別れてしまったのでしょうか。

今回は、草笛光子さんの結婚や子供、家族について調べてみました。

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草笛光子の元旦那は芥川也寸志

草笛光子さんの元旦那さんは、作曲家の芥川也寸志さんです。

芥川也寸志さんは、1950年に『交響管絃楽のための音楽』がNHK放送25周年記念管弦楽懸賞に特賞入賞、映画『また逢う日まで』ではピアノを弾く学生の役で出演するなどし、話題を集めました。

さらに1956年に新交響楽団を結成、1978年には第1回日本アカデミー賞で『八甲田山』と『八つ墓村』が最優秀音楽賞と優秀音楽賞を受賞しています。

1977年から1984年までは、NHKの音楽番組『音楽の広場』に司会として黒柳徹子さんとともに出演していましたが、1989年に63歳で亡くなりました。

草笛光子と芥川也寸志の馴れ初め

草笛光子さんと芥川也寸志さんの出会いは公表されていません。

ネット上では、「仕事関係で出会ったのではないか」と言われています。

1959年、草笛光子さんがオペラ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』で主演を務めた際、芥川也寸志さんのお母さんが一人で鑑賞し、草笛光子さんに「光子ちゃん。あなたもこんなにいい舞台をやれたんだから、もう(お嫁に)来て下さってもいいんじゃない」と言ったそうです。

この言葉がきっかけで草笛光子さんは芥川也寸志さんとの結婚を決意、1960年に入籍しました。

草笛光子と芥川也寸志が離婚した理由

草笛光子さんと芥川也寸志さんの結婚生活は、1年9カ月でした。

離婚理由についても明かされていませんが、一部では「草笛光子さんと芥川也寸志さんの連れ子の関係が悪かったのではないか」と噂されています。

芥川也寸志さんは1948年に東京音楽学校で知り合った山田紗織さんという方と結婚、二女をもうけた後の1957年に離婚していました。

ただ草笛光子さん自身が認めているわけではないため、本当の離婚理由は不明です。

草笛光子の子供は?

草笛光子さんと芥川也寸志さんの間に子供はいません。

芥川也寸志さんとの離婚後、草笛光子さんは再婚しておらず、未婚で子供を産んだこともありませんでした。

草笛光子の実家

草笛光子さんは、神奈川県横浜市出身です。

実家は、お母さんの実家があった神奈川区斎藤分町の隣町の中丸にありました。

戦争中は群馬県に疎開し、終戦後に横浜に戻ってきましたが、中丸の家は焼けてしまっていたそうです。

そのため、焼け残った斎藤分町の母方の祖父母の家で家族みんなで暮らしていました。

この斎藤分町の家は草笛光子さんが受け継いだものの、今は草笛光子さんが都内暮らしということで、更地になっていると明かしています。

草笛光子の生い立ち

1933年10月22日に誕生した草笛光子さんは、子供の頃から人前に出るのが苦手で、家族以外には絶対になつかない子でした。

近所の子供たちと遊ぶこともなく、一人でいることが多かったそうです。

そんな草笛光子さんでしたが、神奈川県立横浜第一高等女学校在学中にある方が松竹歌劇団の入団願書を出していたことがきっかけで受験、見事合格しました。

芸能界に縁がない家庭だったこともあり、草笛光子さんは戸惑ったものの、先生からの「1か月、歌劇のレッスンにに通いなさい。それで自分でどうしたいのかを決めなさい」という言葉に背中を押され、レッスンに通い、松竹歌劇団に入団しました。

草笛光子の父親

草笛光子さんのお父さんは、冨田智さんと言います。

お父さんは、戦争前は三菱重工業に勤務していました。

資格を取ることが好きだったそうですが、戦争後は取得した資格を生かすことが出来なかったそうです。

草笛光子の母親

草笛光子さんのお母さんは、富田登美恵さんと言います。

お母さんは戦後、洋裁店やバーを切り盛りしていました。

草笛光子さんが松竹歌劇団を退団してからは草笛光子さんのマネージャーとなって活動をサポート、長年二人三脚で歩んでいましたが、お母さんは92歳で亡くなりました。

草笛光子の兄弟や姉妹

草笛光子さんには、妹さんが2人、弟さんが1人います。

妹の一人は女優の富田恵子さんで、『水族館ガール』、『ミステリと言う勿れ』などドラマや映画に多数出演しています。

もう一人の妹は、戦争中の疎開先である富岡で亡くなりました。

まだ5歳で、姉弟の中で一番かわいい顔をしていたそうです。

弟は占い師で気学師の富田直幹さんで、1924年に日本で創始された占星術である気学を専門とし、気学団体「妙気会」に所属しています。

まとめ

1933年生まれの草笛光子さんは、幼い頃に戦争を経験し、妹さんを亡くしました。

1960年には芥川也寸志さんと結婚するも、あっという間に結婚生活は終わってしまいました。

そんな多くのことを経験した草笛光子さんのこれからの人生が、笑顔で幸せなものになるよう、応援していきたいと思います。

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