1999年に作詞家の荒木とよひささんと結婚、22歳の年の差婚で話題を呼んだ演歌歌手の神野美伽さんですが、結婚生活は16年で終わりを迎えてしまいました。
その後再婚を発表しており、再婚相手がどんな人なのか、気になりますね。
そこで今回は、神野美伽さんの結婚や子供、実家などについて調べてみました。
神野美伽の再婚相手の夫はどんな人?
神野美伽さんの結婚相手は、一般人です。
スポーツ紙などでは「同世代の会社社長」と報じられていますが、再婚相手の名前や顔写真、会社の名前などは一切公開されていません。
ネット上でも情報は出ていませんでした。
神野美伽さんは現在の旦那さんについて「そばにいるだけで安心感がある」と話していました。
神野美伽と再婚相手の夫の馴れ初め
神野美伽さんと現在の旦那さんの出会いは、共通の友人の紹介でした。
時期は神野美伽さんが離婚を経験した後とのことですが、詳しくは明かされていません。
また神野美伽さんの再婚のニュースが報じられそれを認めたのは2024年5月1日でしたが、入籍はもう少し前のことだったそうです。
神野美伽の元旦那は荒木とよひさ
『和華』年末単行本では、
— 『和華』(日中文化交流誌) (@WAKAKOURYU) December 15, 2020
「時の流れに身をまかせ」の作詞で知られる、
荒木とよひささんに新規インタビュー!
当時の音楽業界と日中関係を振り返って、
そしてこれからの活動について……、
発売情報は和華twitter・FBで告知いたします。#テレサ・テン #荒木とよひさ #作詞 #音楽制作 pic.twitter.com/7wZWS64RJj
神野美伽さんの元旦那さんは、作詞家の荒木とよひささんです。
荒木とよひささんは、1972年「四季の歌」の作詞・作曲でデビューし、これまでにアグネス・チャンの「この身がちぎれるほどに-Lovin’ you is killin’ me-」、石原裕次郎さんの「嘆きのメロディー」、五木ひろしさん「雨あがり」、堀内孝雄さんの「ガキの頃のように」などを手掛けてきました。
有限会社荒木組、フォークグループ伝書鳩のメンバーとしても活躍し、2005年には紫綬褒章を受章、2010年から2012年までは日本作詩家協会副会長を務めていました。
神野美伽と荒木とよひさの馴れ初め
神野美伽さんと荒木とよひささんの詳しい馴れ初めは公表されていません。
1990年の神野美伽さんの楽曲「人生夜汽車」は荒木とよひささんが手掛けており、このことがきっかけで出会ったようです。
神野美伽と荒木とよひさが離婚した理由
2015年8月、神野美伽さんと荒木とよひささんは離婚しました。
2010年には別居が報じられていたものの、二人は密着ドキュメント番組で別居や荒木とよひささんの浮気で笑いを取るなど関係は決して悪くありませんでした。
そんな二人の離婚について、神野美伽さんは「すれ違いが一番大きな原因です」と明かしています。
夫婦関係を解消してからも仕事のパートナーとしての関係は続いており、離婚後に発表した神野美伽さんの楽曲を荒木とよひささんが手掛けています。
また荒木とよひささんがリハーサルを見て本番前の楽屋で修正点を神野美伽さんにアドバイスすることもあるそうで、神野美伽さんは「不思議ですね」と話していました。
神野美伽の子供は?
神野美伽さんに子供はいません。
荒木とよひささんの間に子供は誕生しておらず、現在の旦那さんとの間にもいません。
荒木とよひささんは神野美伽さん以外の女性とも離婚歴があり、子供も授かっています。
現在の旦那さんは一般人のため過去のことについてはわかりませんでした。
神野美伽の国籍は韓国?
神野美伽さん 韓国で大ヒット中「満開」との出合い、3月には自身がカバー【私の人生を変えた一曲】 https://t.co/vxbzo7HBkc pic.twitter.com/QRpkCk1qnY
— DAILYSUN NEW YORK (@DailySunNewYork) October 24, 2021
神野美伽さんについて調べてみると、「韓国」というワードが浮上します。
しかし神野美伽さんは日本で誕生した日本人で、韓国人ではありません。
1987年に初めて韓国を訪れた際に韓国の音楽に心奪われた神野美伽さんは、独自で韓国語の勉強をし、1999年に韓国歌手デビューしました。
さらに2001年にはNHKの『ハングル講座』にもレギュラー出演しています。
神野美伽の実家や生い立ち
今日は市川昭介先生の命日です。
— 神野美伽info&Staff (@mika_shinno) September 26, 2022
2006年にお亡くなりになり丸16年。
沢山の作品ありがとうございました。
写真はデビュー当時のレッスン時の写真です。 pic.twitter.com/WVVMLUb87x
1965年8月30日に大阪府貝塚市内で誕生した神野美伽さんの実家は、紡績工場の下請けでした。
子供の頃は盆踊りや祭りのやぐらの上で歌うのが大好きで、東西ちびっこ歌マネ大賞での優勝をきっかけに多くのプロダクションからスカウトされ、芸能界入りを果たしました。
そして1984年、「カモメお前なら」で演歌歌手デビューしています。
神野美伽の父親
神野美伽さんのお父さんは、亀吉さんと言います。
一般の方で、織物機部品を修理する下請け業をやっていました。
神野美伽さんはラジオから流れてくる音楽と歌好きのお父さんの歌声がお手本だったそうです。
職人気質で保証人を頼まれると嫌と言えないお人よしだったことから、両親はお金のことでよく喧嘩をしており、神野美伽さんが幼いころはお母さんを泣かせるお父さんが嫌いでした。
ご祝儀目当てにお父さんにあちこち連れて行かれ歌わされるのも嫌で、神野美伽さんは切ない思いを歌にぶつけてきたそうです。
そして大人になってからはお父さんの借金の返済を応じてきたもののキリがないため縁を切ったものの、お父さんが年老いて一人で暮らせなくなってから再会、2023年の神野美伽さんの40周年記念大阪公演の直前に82歳で旅立ちました。
葬式では30歳過ぎの若い頃の写真を飾り、神野美伽さんは自宅で毎朝水を供えて遺影に「おはよう」と声をかけていると明かしています。
神野美伽の母親
神野美伽さんのお母さんは、佳予子さんと言います。
両親は神野美伽さんが高校卒業後に上京しデビューしてから離婚しており、神野美伽さんは母と妹さんたちに仕送りをしていました。
2023年1月にはお母さんが85歳になったことを自身のブログで明かしていますが、今は寝たきりの生活なんだそうです。
神野美伽の兄弟や姉妹
神野美伽さんには、妹さんが2人います。
共に一般人のようで、名前や顔写真、職業などは公開されていませんでした。
上の妹さんはお母さんと一緒に生活しているそうです。
まとめ
芸能界とは関係がない家庭で育った神野美伽さんでしたが、東西ちびっこ歌マネ大賞をきっかけに芸能界入り、演歌歌手として日本だけではなく韓国でもデビューしました。
これからも旦那さんの支えを力に、仕事もプライベートも充実した日々を送ってほしいと思います。