アフリカの少数民族を独自のスタイルで撮る写真家・ヨシダナギさん。
かつてはグラビアで活動していた彼女の本名や年収、学歴、経歴をわかりやすく紹介します。
TV出演のきっかけもチェックしましょう。
気になる作品スタイルやSNS情報も一緒に見ていきます。
プロフィールを総まとめ!
ヨシダナギはグラビアアイドルだった
ヨシダナギさんは、じつは10代の頃にグラビアで活動していました。
出発点は少しユニークで、中学生のときに作ってもらった個人サイトがきっかけなんです。
そのホームページをたまたま見つけた芸能事務所の担当者から、スカウトの連絡が届きました。
当時は学校に足が向かず、不登校の時期もあったといいます。
そこでお父さまから「学校に行かないなら、人と違う挑戦を」と背中を押されたそうです。

「グラビアは誰にでもできる仕事じゃない。やってみたらどうだ」という言葉が、転機になりました。
こうしてヨシダナギさんは、ティーンのうちに芸能の世界へ一歩を踏み出します。
撮影や現場の空気に触れながら、仕事としての責任も学んでいきました。
一方で、心のどこかでは「本当にやりたいことは別にある」という思いも膨らんでいきます。
スポットライトの明るさと引き換えに、違和感が少しずつ大きくなっていったのです。
迷いは時間とともに濃くなり、やがて決断の時が訪れました。
20歳の節目で区切りをつけ、グラビアの活動からはきっぱり引退します。
選んだのは、心から向き合いたい表現へ進むための新しいスタートでした。
この経験がのちの写真家としての視点や、被写体へのまなざしにもつながっていきますよね。
遠回りに見える道が、その人らしいクリエイションを育てることがあります。
ヨシダナギさんの原点は、まさにそんな”寄り道”のなかで磨かれていったのだと思います。(ヨシダナギ公式サイト)
ヨシダナギのプロフィールや経歴
美しいポートレートで世界を魅了する写真家、ヨシダナギさん。
幼い頃の原体験もユニークで、5歳でテレビ越しに見たアフリカの人びとへ強い憧れを抱きます。
「将来はアフリカ人になる」と語るほどで、そのまなざしがのちの創作へ直結します。
10代でグラビアの世界を経験し、その後はイラストレーターへ転身。
並行して独学で写真にのめり込み、2009年に単身アフリカへ。
美人フォトグラファーのヨシダナギさんのインタビューの後編が追加されました。子供の頃、そうだったんだ。
— グッド!クリエイター@広報ガール&広報おじさん (@goodcreator_az) April 14, 2017
だから、今があるのかな。https://t.co/ClQ650EUSL#ヨシダナギ #美人 #フォト pic.twitter.com/bxzd7iiman
名前:ヨシダナギ
生年月日:1986年7月6日
出身地:東京都
血液型:A型
身長:165cm
ここから少数民族や先住民に密着する独自のスタイルが確立していきます。
彼女は被写体と同じ装いや距離感で接し、等身大の尊厳を写し取るのが持ち味なんです。
2016年にはスリ族を撮影した初写真集『SURI COLLECTION』を刊行。
その仕事が高く評価され、日経BPの「次代を作る100人」に選出されました。
翌2017年は受賞ラッシュで、『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』と『SURI COLLECTION』により第48回講談社出版文化賞〈写真賞〉を受賞。
さらにカルチャー誌「PEN」主催の「PEN クリエイター・アワード2017」でも選出されます。
2018年はエッセイ『ヨシダナギの拾われる力』とベスト集『HEROES』を発表。
新宿・紀伊國屋書店本店では写真展と関連書籍の特設展開も行われ、店頭の大きなコラージュ展示が話題を呼びました。
2020年にはNYとパリのドラァグクイーンを捉えた『DRAG QUEEN -No Light, No Queen-』をリリース。
同年、大阪・関西万博の公式ロゴ選考委員にも抜擢され、表現者としての視野と影響力をいっそう広げています。
(ヨシダナギ公式サイト)
クレイジージャーニー出演で注目に
転機となったのが、2015年のTBS『クレイジージャーニー』への初出演です。
“民族と同じ姿になる写真家”として紹介され、エチオピアのスリ族と向き合う撮影過程が放送されました。
『クレイジージャーニー』3/13(月)よる9時放送 ヨシダナギがアンゴラの奥地で幻の民族ムイラ激撮へ!! “同じ格好作戦”発動か!?【TBS】
— Music info Clip (音楽ブログ) (@Music_info_Clip) March 7, 2023
■MC…松本人志 設楽統 小池栄子
今回のクレイジージャーニー
少数民族写真家・ヨシダナギ#ヨシダナギ#クレイジージャーニーhttps://t.co/hRuHIFMmTu pic.twitter.com/UrfwluhRek
被写体への敬意と距離の詰め方が視聴者の心をつかみ、以降もたびたび特集が組まれる人気回として注目を集めます。
テレビを通じて彼女の作品世界に触れた人が一気に増え、写真集や展示へ足を運ぶきっかけにもなりましたね。
(TBS『クレイジージャーニー』公式)
ヨシダナギの年収
まず大前提として、ヨシダナギさんの年収は非公開です。
公的に確定した数字は出ていないため、本記事では”推定の考え方”を整理しますね。
一般的なフォトグラファーの平均年収はおおよそ300万円台半ばとされますが、 ジャンルや契約形態、作品販売やロイヤリティの有無で大きく変わります。
広告や雑誌中心の受託型と、作品販売や講演、メディア出演を組み合わせる作家型では、 収益の構造がまったく違うからです。
ヨシダナギさんは事務所に所属せず、独立した立場で活動しています。
写真集や展覧会でのプリント販売、ライセンス提供や書籍の印税、 国内外でのトークイベントや出演料など、収入源は多岐にわたります。
テレビ番組での特集や大型書店での展示企画が続くタイプの写真家は、 露出がそのまま販売機会や案件の相談に結びつきやすいのも特徴です。
また、企業タイアップや自治体・イベント関連のクリエイティブ参画など、 “作家指名”での依頼が増えるほど、単価は上振れしやすくなります。
一方で、作品制作のための海外渡航や長期取材には相応のコストがかかります。
ロケーション手配や通訳、現地スタッフ、安全管理、機材の更新に保険まで、 クリエイティブ投資は年によって増減が大きいのが実情です。
つまり売上が高い年でも、制作費を差し引いた手取りは変動するわけですね。
以上を踏まえると、テレビをはじめメディア露出が多く、 写真集や展覧会の実績も厚いヨシダナギさんは、 “フォトグラファー平均”より上ブレする可能性が高いと考えられます。
ただし、これは活動内容から導く合理的な推測にすぎません。
確定的な金額はご本人の開示がない限り断言できない点をご理解ください。
作家型フォトグラファーの収入は「多様な柱×年単位の振れ幅」で決まります。
ヨシダナギさんも例外ではなく、プロジェクトの規模や時期によって レンジが動くと見るのが自然です。
(ヨシダナギ公式サイト)
ヨシダナギの本名
ヨシダナギさんの本名は、公には明かされていません。
プロフィールでも本名の記載はなく、活動名で統一されています。
過去にはグラビア分野で「吉田渚」名義が使われていました。
そのため「これが本名では?」という噂が広がったわけですね。
ただし、名義=本名と断定できる根拠は現時点でありません。
芸能や出版の世界では、活動領域ごとに名前を分けることがあります。
世界観を守るため、あるいは私生活を切り分ける意図もありますよね。
写真家としてのブランドを確立してからは、芸名一本が自然です。
特に海外取材や作品販売が中心の作家型は、名前が作品の”顔”になります。
だからこそ、呼称を安定させる判断は合理的と言えるでしょう。
また、本名は個人情報にあたり、公開にはリスクも伴います。
安全面やプライバシーを考えれば、非公開は珍しくありません。
ファンとしてはつい気になりますが、まず尊重したい領域です。
作品やメッセージで十分に人となりが伝わってきますから。
公式情報としては「ヨシダナギ」名での活動を押さえておけばOKです。
公表がない限りは、推測ではなく公式表記に合わせていきましょう。(ヨシダナギ公式サイト)
ヨシダナギの学歴
ヨシダナギさんの在学歴は、公式には多くを公開していません。
ここでは判明している範囲を整理しつつ、当時の出来事と心の動きまで丁寧にたどります。
最終学歴は中卒。
高校や大学には進学していません。
不登校の経験を抱えつつも、のちに写真家として飛躍する土台になったのがこの時期です。
(ヨシダナギ公式サイト)
ヨシダナギの出身小学校
出身小学校は公表されていません。
小学4年生の夏休みに、東京都江戸川区から千葉県へ引っ越しました。
卒業は千葉県内の小学校と考えるのが自然ですよね。
転校先では学年一番人気の男子から好意を寄せられます。
それが火種となり、女の子たちからのいじめが始まってしまいました。
母に相談すると、学校側にも話は通ったものの結論は「中学に上がれば環境はリセット」。
「それまでは通い続けなさい」という方針で、彼女は登校を続けます。
幼いながらも、耐え抜く選択をしたことがのちの強さにつながったのかもしれません。
ヨシダナギの出身中学
出身中学校も公表されていません。
「中学で環境が変わる」という期待は、残念ながら叶いませんでした。
地元の中学へ進学した結果、小学校でいじめた相手と同じ進学先に。
状況は改善どころか悪化し、ついに不登校へ。
日常の窮屈さは増し、心身のバランスを優先せざるを得ない状態になります。
この”学校に行けない体験”は、のちに人の尊厳や距離の取り方を学ぶ原体験にも。
弱さに寄り添う視点が芽生えた時期と言えるかもしれません。
ヨシダナギの出身高校
中学卒業後、ヨシダナギさんは進学していません。
不登校の流れもあり、進学は望まなかったとされています。
一般的なレールからは外れる選択ですが、その後の表現活動へ直結。
10代後半は芸能や創作の現場で経験を重ね、自分の居場所を模索します。
既存の”正解”に縛られない歩みが、オリジナルな作家性を育てました。
ヨシダナギの出身大学
大学にも進学していません。
最終学歴は中卒で、社会に出てからは独学で表現を磨いていきます。
写真も自己流で積み上げ、やがて単身アフリカへ渡航。
学歴の線表に記せない学びを、現場で貪欲に吸収していきました。
学校名は多くが非公開ですが、歩みの核心はむしろ”生きる学び”。
その蓄積が、今の強靭な作品世界を支えているんです。
まとめ
幼い頃の「アフリカ人になりたい」という憧れは形を変え、写真家としてアフリカの人びとと向き合う道につながりました。
いじめや不登校、高校進学を選ばなかった決断、10代のグラビア経験——どれもが表現の核を磨いた要素ですよね。
独学で写真を学び、単身渡航、テレビでの注目、受賞と作品刊行へ。
公表されない本名や年収の噂はさておき、名前よりも作品が雄弁に語る人。
ヨシダナギさんの歩みは、「自分らしさ」を信じ抜くことで見える景色があると教えてくれます。
