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寺尾聰の出身高校や大学は?病気や死亡説?年収や印税がすごかった

寺尾聰の出身高校や大学は?病気や死亡説?年収や印税がすごかった 俳優

俳優の寺尾聰さんには病気の噂や死亡説があるようで、真相が気になります。

そして大ヒットした『ルビーの指環』の印税が、かなりすごかったのではないでしょうか。

そこで今回は、寺尾聰さんの学歴、病気や死亡説、年収や印税について調べてみたいと思います。

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寺尾聰の学歴

寺尾聰さんの学歴を調べていきたいと思います。

どこの学校に通っていたのでしょうか。

寺尾聰の出身小学校

寺尾聰さんは出身小学校を公表していません。

しかし、出身中学の学区から調べると、目黒区立八雲小学校、目黒区立東根小学校、目黒区立宮前小学校のどれかに通っていた可能性が高いです。

野球をしていた寺尾聰さんは、元気いっぱいな少年だったのではないでしょうか。

寺尾聰の出身中学

寺尾聰さんは、東京都目黒区立第十中学校に通っていました。

野球部に所属するかたわら、寺尾聰さんは音楽も始めました。

寺尾聰さんが中学生だった1960年代はバンドブームが到来するので、ギターやベースなどを始めた人も多かった時代かもしれませんね。

寺尾聰の出身高校

寺尾聰さんは、法政大学第二高等学校に通っていました。

野球が強かった法政大学第二高等学校に進学しますが、寺尾聰さんはグレていたため入学後間もなく退学になってしまいます。

そして翌年、寺尾聰さんは和光学園高等学校に入学しました。

寺尾聰さんは相変わらず不良でしたが、1年生を2回留年しています。

なかなか破天荒な生活を送っていたのでしょうね。

寺尾聰の出身大学

寺尾聰さんは大学へ進学はしませんでしたが、専門学校の文化学院に進学しています。

残念ながら文化学院は2018年に閉校してしまいました。

留年したので高校を卒業したのは20歳になっていた寺尾聰さん。

専門学校に通いながらバンド活動をし、役者としての活動も始め大忙しだったものの、ちゃんと文化学院を卒業しています。

寺尾聰のプロフィールや経歴

名前:寺尾聰
生年月日:1947年5月18日 75歳
血液型:A型
身長:176cm
出身地:神奈川県

寺尾聰さんは1966年にバンド『ザ・サベージ』のベース担当としてデビューしました。

2枚目のレコード『この手のひらに愛を』がヒットしますが、寺尾聰さんは『ザ・サベージ』を脱退。

1968年に石原裕次郎さん主演の映画『黒部の太陽』で俳優としてデビューし、デビュー作で父・宇野重吉さんと共演を果たしています。

寺尾聰さんは、宇野重吉さん主催の『劇団民藝』への入団を希望しましたが、『親の七光り』の声を危惧した父・宇野重吉さんにより石原裕次郎さんを紹介されました。

『石原軍団』の若手としてドラマ『大都会』や『西部警察』に出演し、知名度が上がっていったのです。

寺尾聰さんはソロの歌手活動も盛んに行っていて、CMソングの『SHADOW CITY』、『ルビーの指環』、『出航 SASURAI』が大ヒットし、一躍トップ歌手に。

音楽活動への考え方の違いから石原プロを退所した寺尾聰さんでしたが、黒澤明監督の映画『乱』、『夢』、『まあだだよ』の3本に出演します。

そして黒澤明監督が亡くなる前に構想していた2001年公開の映画『雨あがる』に主演し、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。

2005年には映画『半落ち』でも同賞を獲得しており、演技派俳優として確固たる地位を築きました。

2008年に紫綬褒章を受章した寺尾聰さんですが、親子2代の受賞に関して『父のおかげです』とコメント。

寺尾聰さんは近年も映画やドラマに出演していて、活躍を続けています。

『ルビーの指環』が大ヒット

寺尾聰さんの最大のヒット曲となった『ルビーの指環』は、1981年2月5日にリリースされました。

『ルビーの指環』を当時所属していた石原プロの専務に聴かせたところ、『こんなお経みたいな曲は売れない』と言われたのだとか。

発売直後は売り上げが伸び悩んだものの、1ヶ月後からみるみるうちに売り上げを伸ばし始め、オリコンチャート1位を記録。

『ルビーの指環』の総売上枚数は、160万枚と記録されています。

寺尾聰さんも歴史に残る名曲になるとは思っていなかったかもしれませんね。

『ルビーの指環』は今の若者世代でも知っている人は多いですし、記憶に残る名曲なのは間違いありません。

寺尾聰の病気や死亡説

寺尾聰さんは29歳の時に『穿孔性胃潰瘍』という病を患い、胃の切除手術を受けました。

なんと胃の80%を切除し、4日間で20キロも体重が落ちたのだそう。

それほどの大病だったことで、体力がなかなか戻らず復帰に時間がかかってしまったのです。

そうしたことから、寺尾聰さんの死亡説が噂となってしまいました。

寺尾聰の年収や印税がすごかった

寺尾聰さんの主な収入源は、映画やドラマ、CMの出演料だと思われます。

そして『ルビーの指環』などヒット曲を持っているので印税も稼ぎの一部となっていて、噂では『ルビーの指環』などの印税収入は総額数億円に上ったのではと言われています。

寺尾聰さんは映画やドラマに出演すると500万円~1000万円ほどは稼ぐのではないでしょうか。

森永乳業『PARM』のCMも、寺尾聰さんといったらのイメージがありますよね。

現在でも数千万円の年収となっている可能性は高いでしょう。

寺尾聰は借金もすごかった!

2003年3月頃に『寺尾聰さんが総額2億円の借金を背負っている』と報道されました。

寺尾聰さんは当時、銀行で借りていたお金の返済が滞り、債権が外資系ファンドに売られて銀行口座などが差し押さえられたそうです。

寺尾聰さんは相続した実家や持ち家を処分するも、多額の負債を抱えます。

寺尾聰さんはギャラより役柄にこだわるタイプで、後輩におごることも多く、やりくりは大変だったでしょう。

しかし、2億円と言われていた借金も8年ほどで完済したと言われているので、さすがは寺尾聰さんだと思いました。

まとめ

寺尾聰さんは留年しつつも高校を卒業し、専門学校もしっかり卒業していました。

俳優として2度のアカデミー賞最優秀主演男優賞の獲得、歌手として日本レコード大賞の受賞など素晴らしい功績ですよね。

借金があったことには驚きでしたが、現在も寺尾聰さんが元気に活躍していることを嬉しく思います。

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