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水谷八重子(2代目)の母親は初代で父親は歌舞伎役者!兄弟や家系図もすごい

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女優、歌手として活動している2代目水谷八重子さんの家族は、どんな人なのでしょうか。

どんな環境で育ってきたのか、気になりますね。

そこで今回は、2代目水谷八重子さんの家族や生い立ちについて調べてみました。

水谷八重子(2代目)の家系図がすごい!

2代目水谷八重子さんは、女優・初代水谷八重子さんと歌舞伎役者・14代目守田勘彌さんの長女として誕生しました。

母の初代水谷八重子さんは、時計商の松野豊蔵さんの次女として生まれ、お姉さんは作家の水谷竹紫さんと結婚しました。

父の14代目守田勘彌さんは、母弟で叔父にあたる13代目守田勘彌さんの養子となり、歌舞伎役者として活動していました。

水谷八重子(2代目)の生い立ち

1939年4月16日に誕生した2代目水谷八重子さんには、お母さんが2人います。

実の母は初代水谷八重子さんで、実の母の一番上の姉(伯母)せんさんと、青森生まれの乳母シゲさんです。

伯母のせんさんには教育を、シゲさんにはお乳を貰い育ちました。

その理由は、実母である初代水谷八重子さんの生家・松野家には跡取りがいなかったため、初代水谷八重子さんは14代目守田勘彌さんと結婚するとき、家から「生まれた子には男でも女でも松野姓を名乗らせること」という約束をしたのでした。

そのため2代目水谷八重子さんは実の親と離れ離れで暮らしていましたが、定期的に両親が住む家を訪ねて一緒に過ごしていたのだそうです。

そして戦争がひどくなった頃に疎開した熱海の山の中で両親と一緒に暮らすようになったものの、終戦を迎えた6歳の頃に両親は離婚、2代目水谷八重子さんはお母さんと生活するようになりました。

当時、自宅の隣が「歌のおばさん」で有名だった声楽家の松田トシさんだったことから、お母さんに「学校から帰ってきたら歌のお稽古に行きなさい」と言われ、レッスンに通うようになりました。

その後16歳の時にデビューし、1995年に母の後を継いで2代目水谷八重子を襲名しました。

水谷八重子(2代目)の母親は初代水谷八重子

2代目水谷八重子さんのお母さんは、女優の初代水谷八重子さんです。

初代水谷八重子さんは、1914年から演技の活動を始め、1916年には帝劇公演『アンナ・カレーニナ』に出演、1921年に映画『寒椿』でスクリーンデビューを果たしました。

1949年には「劇団新派」の結成に参加し、1979年に亡くなりました。

父親は歌舞伎役者14代目守田勘彌

2代目水谷八重子さんのお父さんは、歌舞伎役者の14代目守田勘彌さんです。

十二代目守田勘彌の四女の子として生まれ、1914年7月に四代目坂東玉三郎を襲名して歌舞伎座で初舞台を踏みました。

1926年1月に三代目坂東志うかを、1933年に十四代目守田勘彌を襲名しました。

1966年にはテアトロン賞、1975年には紫綬褒章を受章し、1975年に亡くなっています。

水谷八重子(2代目)の坂東玉三郎は義理の弟

歌舞伎役者の5代目坂東玉三郎さんは、14代目守田勘彌さんの養子になります。

そのため2代目水谷八重子さんとは血縁関係はありませんが、義理の姉弟です。

2代目水谷八重子さんは、「私が男として生まれていたら玉三郎を襲名させられていた」と話していました。

まとめ

2代目水谷八重子さんは芸能夫婦の子供として誕生しましたが、幼い頃から何不自由なく生活していたわけではありません。

両親はすでに亡くなっていますが、2代目水谷八重子さんの今後の活躍も応援していきたいと思います。

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