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吉行和子の兄と妹は芥川賞で母は朝ドラのモデル!父親も作家だった

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女優の吉行和子さんの家族は、父と兄弟が作家、母が美容師として話題を集めました。

特にお母さんはNHK連続テレビ小説のモデルにもなっています。

今回は、吉行和子さんの家族について調べてみました。

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吉行和子の兄と妹は芥川賞作家!

吉行和子さんには、お兄さんと妹さんがいます。

2人について調べてみました。

吉行和子の兄は吉行淳之介

吉行和子さんのお兄さんは、吉行淳之介さんです。

吉行淳之介さんは、1947年に新太陽社へ入社、『モダン日本』『アンサーズ』などの雑誌の編集に携わりながら『世代』『新思潮』などの同人雑誌に年一作のペースで作品を発表しました。

1952年の『原色の街』が芥川賞候補になり、その後も『谷間』や『ある脱出』が候補に上ると、1954年に『驟雨』で第31回芥川賞を受賞しました。

1971年に雑誌『面白半分』を編集長として創刊、1979年には日本芸術院賞を受賞したものの、1994年に肝臓癌のため70歳で亡くなりました。

吉行和子の妹は吉行理恵

吉行和子さんの妹さんは、吉行理恵さんです。

吉行理恵さんは、1963年 『青い部屋』で詩人デビュー、1968年 『夢の中で』にて第8回田村俊子賞を、1971年 『まほうつかいのくしゃんねこ』で第9回野間児童文芸推奨作品賞を受賞しました。

1981年、 『小さな貴婦人』にて第85回芥川賞を受賞しています。

しかし2006年に甲状腺癌のため66歳で亡くなりました。

吉行和子の実家や生い立ち

1935年8月9日に誕生した吉行和子さんは、東京府(現・東京都)出身です。

実家の詳しい場所は公開されていないため、わかりませんでした。

吉行和子さんは2歳で小児喘息を患い、ひどい喘息の発作が起こると岡山の祖父の元に預けられていたそうです。

そのため本ばかり読んでおり、本を読み終わると本の中の人物と話しをするのが、吉行和子さんの一番の楽しみでした。

そんな中、中学3年生の時に初めて芝居を見てその世界に憧れ、高校3年生の時に新聞の小さな広告で劇団民藝が研究生を募集しているのを見つけ、合格したことをきっかけに役者の道を歩むことになりました。

吉行和子の家系図がすごい

吉行和子さんは、お父さんが作家、お母さんが美容師という家庭で生まれました。

お母さんのお姉さんの娘は医師で島村喜久治さんの妻・ピアニストの千枝子さんで、島村夫妻の子が地震学者の島村英紀さんです。

吉行和子の母親は吉行あぐりで朝ドラのモデル

吉行和子さんのお母さんは、吉行あぐりさんです。

吉行あぐりさんは、美容師として1929年に独立して「山の手美容院(吉行あぐり美容室)」を開店、1998年には都民文化栄誉章を受章し、90歳を過ぎても美容師として仕事を続け、日本の美容師免許所持者最高齢として注目を集めました。

1997年にはNHK連続テレビ小説『あぐり』のモデルとなり、作品では吉行あぐりさん役を田中美里さん、吉行和子さん役を馬渕英里何さんが演じました。

ずっと美容師として多忙だったため、吉行和子さんがお母さんと旅行に行くなど交流を深められるようになったのは、吉行あぐりさんが91歳を過ぎた頃だったそうです。

吉行和子さんはインタビューで「旅行を機に、初めて母娘になった気がします。母ってこんなにおもしろい人だったんだって、初めて知ったんです」と語っていました。

お母さんは2015年に肺炎のため107歳で亡くなりましたが、晩年の10年間は寝たきり生活だったそうです。

吉行和子の父親は作家の吉行エイスケ

吉行和子さんのお父さんは、吉行エイスケさんです。

吉行エイスケさんは、上京後に『ダダイスム』を発行、1926年には『虚無思想』を主宰し新興芸術派の旗手と目されていました。

しかし1940年に狭心症のため34歳で亡くなっており、この時吉行和子さんはまだ4歳でした。

まとめ

吉行和子さんの家族について紹介しました。

両親、兄弟共に旅立っていますが、空の上で見守ってくれている家族のために、これからも芸能界で輝き続けてほしいですね。

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