吉行和子さんの家族は、とてもユニークで文化的な背景を持っています。
お父さんは小説家として活動し、お母さんは美容師として名を知られ、さらにNHK連続テレビ小説のモデルにもなった人物です。
兄の吉行淳之介さんは芥川賞を受賞した作家で、妹の吉行理恵さんも同じく芥川賞作家という文学一家に育ったことは広く知られています。
実は芸能界や文壇で注目を集めることになった吉行家ですが、家族それぞれが異なる分野で存在感を放っており、その環境が吉行和子さんの感性や女優としての表現力にも大きな影響を与えたと考えられます。
こうした背景を知ると、作品の中で見せる自然体の演技や言葉選びにも、家族の影響が色濃く反映されていることが感じられるはずです。
吉行和子の兄と妹は芥川賞作家!
吉行和子さんは文学一家の中で育ちました。
お兄さんと妹さんの二人がそろって芥川賞を受賞していることは有名で、芸術に囲まれた家庭環境が吉行和子さんの感性や表現力に影響を与えたと考えられます。
では、それぞれの経歴を見ていきます。
吉行和子の兄は吉行淳之介
吉行和子さんのお兄さんは、小説家の吉行淳之介さんです。
「善人」には、小説は書けない。 吉行淳之介 #本の名言 pic.twitter.com/fQh3fJ8YlU
— 愛書家日誌 (@aishokyo) April 13, 2023
1947年に新太陽社へ入社し、『モダン日本』や『アンサーズ』といった雑誌の編集を手がける一方で、『世代』『新思潮』といった同人誌に作品を発表していました。
1952年の『原色の街』が芥川賞候補になり、その後も『谷間』『ある脱出』などで候補に選ばれるなど注目を集め、1954年に『驟雨』で第31回芥川賞を受賞しました。
その後は文壇の中心人物として活躍し、1971年には雑誌『面白半分』を創刊して編集長を務め、文芸と社会をつなぐ役割を果たしました。
1979年には日本芸術院賞を受賞するなど高く評価されましたが、1994年に肝臓癌のため70歳で亡くなっています。
ユーモアを交えた都会的な作風で知られ、今もなお現代文学に与えた影響は大きいとされています。
吉行和子の妹は吉行理恵
妹の吉行理恵さんもまた、文学の世界で才能を発揮しました。
1963年に詩集『青い部屋』でデビューし、1968年には『夢の中で』で第8回田村俊子賞を受賞。
さらに1971年には児童文学『まほうつかいのくしゃんねこ』で野間児童文芸推奨作品賞を受けています。
そして1981年、『小さな貴婦人』で第85回芥川賞を受賞しました。
詩人としての感性を活かした繊細で幻想的な作風は、当時の文学界でも高く評価されました。
しかし、2006年に甲状腺癌のため66歳で亡くなっています。
兄・吉行淳之介さんと妹・吉行理恵さんがともに芥川賞作家という希有な家族構成は、日本の文学史の中でも特筆すべき存在です。
この背景を知ると、吉行和子さんが俳優として持つ独特の感性や知的な雰囲気のルーツにも納得がいきます。
吉行和子の実家や生い立ち
1935年8月9日に生まれた吉行和子さんは、東京府(現在の東京都)出身です。
実家の詳細な場所は公開されていませんが、父の吉行エイスケさんは小説家、母のあぐりさんは美容師として活躍し、のちにNHK連続テレビ小説『あぐり』のモデルにもなった方です。
兄の吉行淳之介さん、妹の吉行理恵さんも芥川賞を受賞した作家という環境で育ち、文学と芸術に囲まれた家庭で幼少期を過ごしました。
【番組情報】
— 映画『浜の朝日の嘘つきどもと』【公式】 (@hamano_asahi) October 27, 2020
きょうの #ゴジてれ で #吉行和子 さんのインタビューが放送されます🎤✨
ドラマでは、朝日座の支配人 森田の友人で、資産家の未亡人 デコさん役。
優しい笑顔にみなさんどうぞ癒されてください…😊💗#浜の朝日の嘘つきどもと #浜嘘 #竹原ピストル #高畑充希 pic.twitter.com/JLgfiOrA11
ただ、幼い頃の吉行和子さんは健康面で苦労が多く、2歳のときに小児喘息を患います。
発作がひどくなると岡山に住む祖父のもとに預けられ、静かな時間を過ごすこともあったそうです。
その頃から本を読むことが大好きで、読み終えた本の登場人物と空想の中で会話をするのが日常の楽しみになっていました。
こうした経験が後の演技力や豊かな想像力につながったと考えられます。
そして中学3年生のとき、初めて芝居を観劇したことで舞台の世界に憧れを抱くようになります。
高校3年生になると、新聞に掲載されていた劇団民藝の研究生募集広告を偶然目にし、試験を受けて見事に合格しました。
この一歩が女優としての道を切り開くきっかけとなり、その後の長いキャリアへとつながっていきました。
実はこの「家族の文学的背景」と「幼少期の病気による読書体験」が重なったことが、吉行和子さんの演技に知性と奥行きを与えていると評価されています。
吉行和子の家系図がすごい
吉行和子さんの家族は、まさに文化人の集まりといえる華やかな系譜を持っています。
お父さんの吉行エイスケさんは小説家として活動し、お母さんのあぐりさんは美容師として活躍しました。
特にお母さんはのちにNHK連続テレビ小説『あぐり』のモデルにもなり、戦後の女性の生き方に大きな影響を与えた人物として知られています。
兄の吉行淳之介さんと妹の吉行理恵さんは、いずれも芥川賞を受賞した作家で、文学界にその名を刻んでいます。
兄妹そろって文学の最高峰に輝いたケースはきわめて珍しく、日本文学史においても特筆される存在です。
吉行和子さん自身も女優として活躍していることから、まさに「芸術一家」といえるでしょう。
さらに親族をたどると、多彩な顔ぶれが見えてきます。
たとえば、お母さんの姉の娘は医師であり、ピアニストの千枝子さんとしても知られています。
千枝子さんは島村喜久治さんと結婚し、その子である島村英紀さんは著名な地震学者です。
地震研究の第一人者としてメディアに登場することも多く、吉行家の血筋が学術の分野でも大きな影響を与えていることがわかります。
このように文学、芸術、学問にわたって幅広い人材を輩出しているのが吉行家の特徴です。
実家や家系図をひもとくだけでも一つの物語のようであり、吉行和子さんの表現力や独自の感性が、家族から受け継いだ豊かな土壌に支えられてきたことが伝わってきます。
吉行和子の母親は吉行あぐりで朝ドラのモデル
吉行和子さんのお母さんは、美容師として知られる吉行あぐりさんです。
1929年に独立して「山の手美容院(のちの吉行あぐり美容室)」を開業し、当時はまだ珍しかった女性美容師の先駆けとして活躍しました。
美容師としての実績が高く評価され、1998年には都民文化栄誉章を受章。
90歳を超えても現役でハサミを握り続けた姿は、多くの人に勇気を与えました。
第48回(1997年)NHK紅白歌合戦のビデオ見てたらあぐりのモデルとなった『吉行あぐり』さんが審査員席に。この時90歳で現役とアナウンスありました。#あぐり pic.twitter.com/GgRmouWAOu
— JE4URN (@JE4URN) April 24, 2021
日本の美容師免許所持者の中で最高齢とされ、新聞やテレビでもたびたび取り上げられています。
吉行あぐりさんの人生は、1997年のNHK連続テレビ小説『あぐり』のモデルにもなっています。
ヒロインのあぐり役は田中美里さん、吉行和子さん役は馬渕英里何さんが演じ、放送当時から話題を呼びました。
美容師として奔走する母の背中を見て育った吉行和子さんは、女優という異なる道を選びながらも、仕事に誠実に向き合う姿勢は母から受け継いだものだと考えられます。
ただ、長年多忙だったため母娘の交流は限られており、ようやく一緒に旅行を楽しめるようになったのは吉行あぐりさんが91歳を過ぎてからでした。
吉行和子さんはインタビューで「旅行を機に、初めて母娘になった気がします。母ってこんなにおもしろい人だったんだって、初めて知ったんです」と語っており、晩年に絆を深めることができたことを大切にしていました。
吉行あぐりさんは2015年に肺炎のため107歳で亡くなりました。
最後の10年間は寝たきり生活でしたが、その長寿と功績は今も語り継がれています。
朝ドラのモデルとなった人生を振り返ると、仕事と家庭の両立に奮闘しながら時代を切り拓いた姿が浮かび、吉行和子さんの強さや柔らかさの源に通じていると感じられます。
吉行和子の父親は作家の吉行エイスケ
吉行和子さんのお父さんは、作家の吉行エイスケさんです。
大正から昭和初期にかけて活躍し、前衛的な作風で知られた人物でした。
上京後には同人誌『ダダイスム』を発行し、1926年には『虚無思想』を主宰するなど、当時の新興芸術派の旗手として注目されました。
鋭い感性と独自の文学観を持ち、同時代の若い作家たちに強い刺激を与えた存在でもあります。
吉行あぐりさん関連の複数の本に掲載されておりました、 #あぐり さん18歳、エイスケさん19歳のみぎりのお写真。まるでハロウィンの際の仮装さながらで素敵✨✨です……!😊☺️ (あぐりさん、ホグワーツ魔法学校の制服をお召のよう~) pic.twitter.com/ZiVXTxDfNN
— ひだかひみこ@あちこち不調! (@karunomiko) May 12, 2021
ただ、吉行エイスケさんの文学活動は長く続けられませんでした。
狭心症のため1940年に34歳の若さで急逝し、このとき吉行和子さんはまだ4歳。
幼い娘にとって父の記憶はわずかで、父親の姿を直接語ることは少なかったようです。
しかし、作家であったお父さんの血を受け継ぎ、兄の吉行淳之介さん、妹の吉行理恵さんも文学の道へ進んだことを考えると、エイスケさんの影響は家族全体に色濃く刻まれているといえます。
ちなみに、吉行エイスケさんの妻である吉行あぐりさんは美容師として独立し、その生涯が朝ドラ『あぐり』のモデルにもなりました。
夫婦で文学と美容という異なる分野を切り拓いた姿は、吉行家の芸術的な背景を象徴しているように感じられます。
短命ながらも時代の先駆者であったお父さんの存在が、吉行和子さんの感受性や表現力を育む土台となったことは間違いありません。
まとめ
吉行和子さんのご家族を振り返ると、お父さんは作家の吉行エイスケさん、お母さんは朝ドラのモデルにもなった美容師の吉行あぐりさん、そしてお兄さんの吉行淳之介さんと妹の吉行理恵さんはともに芥川賞を受賞する作家という、まさに文化的な才能に恵まれた一家でした。
幼少期から文学や芸術の空気に包まれて育ったことが、女優としての感性や表現力に大きな影響を与えてきたのだと思います。
ご家族はすでに他界されていますが、吉行和子さんの活躍を誇らしく見守っていることでしょう。
多彩な家族の物語とともに歩んできた人生は、多くの人の心を惹きつけてやみません。
記事を読み終えた今、あらためて吉行和子さんという存在の背景にある深い家族の絆に触れられた気がします。
