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麻丘めぐみの引退理由や現在は?出身高校や大学・実家や父親と母親兄弟も

asaokamegumi_career 女優
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「わたしの彼は左きき」でトップアイドルの仲間入りを果たした麻丘めぐみさんですが、過去に1度引退していたことがあります。

何故引退したのか、今はどんな活動をしているのか、気になりますね。

今回は、麻丘めぐみさんの経歴や出身学校、家族などについて調べてみました。

麻丘めぐみの若い頃の姫カットがかわいい

麻丘めぐみさんは、アイドル時代「姫カット」がトレードマークでした。

男女ともに「かわいい」と支持されていた姫カットでしたが、麻丘めぐみさん曰くこれはおしゃれのためではなく、『モデル撮影の際にヘアメイクのバリエーションを持たせやすいように』というものだったそうです。

モデルの仕事をしていた当時はスタイリストも付いていなかったため、必要に迫られて自ら考案したとのことでした。

麻丘めぐみが引退した理由がヤバい

1977年、21歳だった麻丘めぐみさんは結婚を機に芸能界を引退しました。

トップアイドルだったこともあり、周囲からは反対する声もあったものの、麻丘めぐみさんは元々「結婚したら引退しよう」と思っていたこともあり、芸能界に未練はなかったそうです。

引退後の生活については、インタビューで「専業主婦生活は本当に楽しかったですね。1日をすべて自分と家族のために使えるのですから、開放感でいっぱいでした」と明かしています。

また同時期に芸能界を引退した友人たちと一緒にスーパーに行ったり、夕食会をするなど、これまで中々出来なかったことをしていたそうですよ。

麻丘めぐみの現在の活動

引退から8年後の1983年、麻丘めぐみさんは離婚を機に芸能界に復帰しました。

復帰後はアイドルではなく女優として活動をはじめ、今も続けています。

また2008年頃から自らコンサートを企画・開催するなど歌手活動を本格的に再開し、2020年1月には29年ぶりの新曲となる「フォーエバー・スマイル」が配信リリースされました。

麻丘めぐみのプロフィールや経歴

名前:麻丘めぐみ
生年月日:1955年10月11日
出身地:大分県
血液型:O型
身長:162cm
所属事務所:シアタードリームズカンパニー

お姉さんが児童劇団に入っていたことがきっかけで劇団に入った麻丘めぐみさんは、3歳の時に子役としてデビュー、中学生のころには当時創刊間もない少女雑誌『週刊セブンティーン』などでモデルとして活動していました。

中学時代からレコード会社のスタッフから幾度となく歌手デビューを持ちかけられるも断り続け、高校生になった1972年に「芽ばえ」でアイドル歌手デビューしました。

この楽曲は40万枚を超えるヒットとなり、第14回日本レコード大賞では最優秀新人賞を受賞しています。

さらに翌年の1973年にリリースした「わたしの彼は左きき」がオリコンチャート週間1位も記録する大ヒットとなり、第15回日本レコード大賞・大衆賞や第4回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞、同年の『第24回NHK紅白歌合戦』にも出場しました。

芸能界に復帰してからはぢラマや映画などに多数出演し、2000年からは演劇集団『シアタードリームズ・カンパニー(TDC)』を主宰しています。

麻丘めぐみの所属事務所

麻丘めぐみさんは、「シアタードリームズカンパニー」に所属しています。

また「芸文株式会社」とも業務提携を結んでいます。

麻丘めぐみの年収

麻丘めぐみさんの年収は公表されていません。

一度は芸能界から離れたものの、復帰してからの数十年は休むことなく女優や歌手活動を続けています。

昔からのファンも多いため、年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。

麻丘めぐみの学歴

麻丘めぐみさんが通っていた学校について調べてみました。

麻丘めぐみの出身小学校

麻丘めぐみさんは、大阪市立依羅小学校に入学しました。

その後、杉並区立高井戸第二小学校に転校しています。

小学生のころは子役活動が多忙で、仕事を休むことも多く、遠足などの学校行事にもあまり参加できなかったそうです。

麻丘めぐみの出身中学

小学校卒業後は、杉並区立富士見丘中学校に進学しました。

中学では、剣道部に所属していたそうです。

麻丘めぐみの出身高校

中学校卒業後は、堀越高等学校に進学しました。

偏差値は、37です。

麻丘めぐみさんが通っていたころはこちらの学校にまだ芸能コースがなかったため、普通科に在籍していました。

その後、明治大学付属中野高等学校に編入しています。

こちらでは定時制に在籍していたため、偏差値はありません。

2003年3月、定時制が廃止されています。

麻丘めぐみの出身大学

高校卒業後は、進学していません。

芸能活動が多忙で、進学を希望しなかったようです。

麻丘めぐみの実家や生い立ち

1955年10月11日に誕生した麻丘めぐみさんは、大分県出身です。

しかし生後半年のときにお父さんの仕事の都合で大阪に移り住んだため、大分で暮らした記憶はありません。

大阪では、公団住宅で2DKの部屋に家族4人で生活していました。

麻丘めぐみさんはお姉さんの真似で劇団に入り子役デビューしましたが、お姉さんには「歌手になりたい」という強い思いがあったため、家族はいつもお姉さんの夢を叶えるために行動していたそうです。

麻丘めぐみの父親

麻丘めぐみさんのお父さんは、一般人です。

父方の先祖は日出藩の家老で、実家は日出城の二の丸でした。

貴重な建物で壊すことができなかったことから、麻丘めぐみさんの祖父母が城に住んでいたそうです。

幼いころの麻丘めぐみさんは夏休みなどに遊びに行くことがあったものの、明らかに普通の家とは違う造りだったことから、「ただただ怖い家だった」と明かしています。

麻丘めぐみの母親

麻丘めぐみさんのお母さんも一般人です。

麻丘めぐみさんが離婚してからは、東京でお母さんと娘さんと3人で生活していました。

その後お母さんは大分に戻り、2019年に98歳で亡くなっています。

麻丘めぐみの兄弟や姉妹

麻丘めぐみさんには、4歳年上のお姉さんがいます。

お姉さんは「花里あけみ」の名で歌手デビューし、その後も「藤井明美」、「立木久美子」と改名しています。

麻丘めぐみさんとは異なり下積み時代が長く、ブレイクすることなく結婚を機に普通の主婦になりました。

現在はお姉さんの娘さん(麻丘めぐみさんの姪)が、「立木久美子」名義で歌手活動を行っています。

まとめ

麻丘めぐみさんは「歌手になりたい」という強い思いはなかったものの、アイドルとしてブレイクし、ヒット曲は今も多くのファンに歌い継がれています。

これからも女優として、歌手として、麻丘めぐみさんの活躍に注目していきたいですね。

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