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三國清三の生い立ちが壮絶?学歴やお店・師匠や弟子についても調査

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日本を代表するフランス料理のシェフ・三國清三さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。

料理人になるきっかけは何だったのでしょうか。

今回は、三國清三さんの経歴や家族、師匠などについて調べてみました。

三國清三の生い立ちが壮絶?

1954年8月10日に誕生した三國清三さんですが、生まれる前の年にお父さんの仕事がうまくいかなくなり無一文になってしまい、借金で家も失ってしまったそうです。

三國清三さんが物心ついた頃には貧乏のどん底で、両親が何とか働いて生活していました。

そんな環境だったため、子供たちは全員中卒なんだそうです。

三國清三の実家

三國清三さんは、北海道留萌支庁管内増毛町出身です。

生まれ育った家についてはわかりませんが、三國清三さんが社会人になってからお父さんが失った増毛町舎熊の土地を三國清三さんが買い戻し、お兄さんが家を建てて両親にプレゼントしたそうです。

三國清三さんは「増毛で一番海に近い場所」と明かしていました。

三國清三の父親と母親

三國清三さんのお父さんは三國正さんと言い、漁師でした。

若い頃は腕の立つ漁師として評判が良かったそうですよ。

お母さんは三國亮子さんと言い、農家の方でした。

貧乏になってからお父さんは酒に溺れ、お母さんに八つ当たりすることも多くなったものの、離婚することはありませんでした。

そして三國清三さんが自身のお店「オテル・ドゥ・ミクニ」をオープンして5年経ったころ、お父さんは亡くなりました。

晩年は心筋梗塞を患い、北海道から出ることが出来なかったため、お父さんが三國清三さんのお店に足を運ぶことはなかったそうです。

三國清三の兄弟や姉妹

三國清三さんには、お兄さんが2人、お姉さんが2人、弟さんが2人、そして妹さんが1人います。

兄弟の名前や顔写真は公開されておらず、一般人のようです。

三國清三の学歴

三國清三さんは、中学校卒業後に調理師学校に進学しました。

小学校、中学校は地元の学校に通っていたようですが学校名は公表されていません。

調理師学校についても明かされておらず、不明です。

三國清三のプロフィールや経歴

名前:三國清三
生年月日:1954年8月10日
出身地:北海道
血液型:A型
身長:165cm

中学時代、どうしても周囲と同じく進学したかった三國清三さんは、担任の先生に相談すると、札幌市のお米屋に住み込みで働きながら夜間の調理師学校に通わせてもらえることになりました。

元々料理が大好きというわけではなかったものの、この時は学校に通って生きていくことができれば何でも良かったのだそうです。

そして進学後、お米屋さんのお姉さんが夕食に作ってくれた、黒いソースのかかったハンバーグを食べた瞬間に「料理人になりたい」と心に決めました。

最初は米店の女性から「ハンバーグと言えば札幌グランドホテル」と聞き、同ホテルで開催されたテーブルマナー講習に参加、そこで料理課長の許しを得て料理人の修行を開始、そして半年後に中卒ながら正社員になりました。

1971年に帝国ホテルへ就職し、1973年にはスイス・ジュネーヴの日本大使館(軍縮会議日本政府代表部)の料理長に就任、その後海外にわたり1982年に帰国、1985年に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業しました。

1996年には、アジア12ヶ国最優秀シェフ12名を決定するコンテスト”ボンラック・グレート・シェフズ・オブ・アジア賞”を日本代表の最優秀シェフとして受賞、さらに1998年にルレ・エ・シャトー協会の「世界のトップシェフ60人の一人」に選ばれています。

1999年、フランス・ボジョレーにてルレ・エ・シャトー世界5大陸トップ・シェフ5人の一人に選ばれると、フランスの高級レストランの料理人を中心とする組合「Chambre Syndicate de la Haute Cuisine Francaise」に日本人として初めて加入しました。

2004年にはギリシャ・シェフ協会、認定名誉会員、さらに政府の「立ち上がる農山漁村」有識者会議の一員に選出されました。

「世界が尊敬する日本人100 Japanese」の一人にも選ばれ、「オテル・ドゥ・ミクニ」が、食品衛生優良施設として厚生労働大臣表彰を受賞しています。

2015年にフランス共和国レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章すると、2020年には著書『JAPONISÉE』で世界唯一の料理本に対する賞「グルマン世界料理本大賞2020」を獲得しました。

2022年、著書『スーパーの食材でフランス家庭料理をつくる 三國シェフのベスト・レシピ136 永久保存版』が「第9回料理レシピ本大賞 in Japan」のプロの選んだレシピ賞に輝いています。

三國清三のお店は?

三國清三さんは、1985年に「オテル・ドゥ・ミクニ」をオープンしました。

こちらのお店は2022年12月28日まで37年間、営業していました。

そのほかにも2007年には香川県高松市に姉妹店「ミクニタカマツ」を、2008年に北海道に自らが監修したレストラン「オーベルジュましけ」を、2010年に高松市に2店舗目となる「パティスリーミクニ」をオープンしました。

現在、「ミクニタカマツ」と「パティスリーミクニ」は閉店しています。

三國清三の師匠

三國清三さんの師匠は、帝国ホテルの料理長だった村上信夫さんです。

さらにフレディ・ジラルデさんやトロワグロ兄弟、アラン・シャペルさんに師事し、三ツ星レストランの「トロワグロ」、「オーベルジュ・ドゥ・リィル」、「ロアジス」、「アラン・シャペル」で、にて修業を重ねていました。

三國清三の弟子

三國清三さんの弟子は、島袋司さんです。

島袋司さんは、19歳から20年以上フレンチの世界に携わっている沖縄県出身の料理人で、1995年から7年間、三國清三さんの元で修業していました。

三國清三の弟子の店

島袋司さんは、2008年11月に「フレンチレストラン ラトリエ(L’atelier)」をオープンしました。

店名:ラトリエ(L’atelier)
住所:沖縄県那覇市上之屋1-10-3
電話番号:098-862-8167
営業時間:18:00~22:00
定休日:月曜、第2、第4火曜日

沖縄産食材をメインに使っており、口コミでは「おいしい」、「素敵なお店だった」などという声が寄せられていました。

まとめ

裕福ではない環境で生まれ育った三國清三さんですが、ハンバーグで人生が大きく変わりました。

これからも日本を代表するシェフとして、食の美味しさ、素晴らしさを多くの人に届けてほしいですね。

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