俳優の六角精児さんは、関西で生まれ、関東で育ちました。
実家はどこにあり、お父さんやお母さんはどんな人なのでしょうか。
今回は、六角精児さんの実家や家族について調べてみました。
六角精児の実家は相模原?
俳優の六角精児さんを単独インタビューしました。29日発行の夕刊フジ「ぴいぷる」欄で。西へ東へと舞台で大忙しの〝怪優〟。いまやってみたことは「〇〇〇ですかね」。へぇ~。詳しくは紙面で。駅売店、コンビニで#六角精児#衛生#レ・ミゼラブル #ぴいぷる pic.twitter.com/JkVN1E1nYr
— こちら夕刊フジ編集局 (@yukanfuji_hodo) June 29, 2021
六角精児さんは、兵庫県姫路市で誕生しました。
その後兵庫県高砂市を経て、小学生の時に神奈川県相模原市に引っ越しました。
実家の詳しい場所は公開されていませんが、最寄り駅は「東林間」になるそうです。
六角精児さんは現在都内で生活していますが、休みの日になると中学の同級生が経営する東林間の居酒屋に行くなど今でも地元に足を運んでいると明かしていました。
六角精児の生い立ち
A-Studio 六角精児さん(18歳)※テレビに向かって『え?』って言ったのは内緒で(笑) pic.twitter.com/k6Xe3Lpr1f
— Kurara (@aikura001) August 11, 2017
1962年6月24日に誕生した六角精児さんは、辺りを自転車で駆け回るような活発な少年でした。
当時の実家の周りは野原や森が多かったため、外で遊ぶには困らなかったそうです。
幼い頃は役者になると全く思っていなかった六角精児さんでしたが、高校に進学した時、何か部活に入らなければいけなかったため「楽そうな部活だったから」と演劇部に入部しました。
すぐにやめようと思っていたものの、同じ部活の一学年上に現在演出家・劇作家として活躍する横内謙介さんがおり、横内謙介さんに誘われる形で劇団「善人会議」の旗揚げに参加しました。
この出会いがきっかけで、六角精児さんは俳優の道を歩み出しました。
六角精児の父親は山地悠一郎
2.26決起将校慰霊祭にて 山地悠一郎 pic.twitter.com/jv16Y7O50s
— やまじゆういちろうの遺言 (@9MZDIA3XE4z4Mrj) December 8, 2019
六角精児さんのお父さんは、山地悠一郎さんです。
お父さんは歴史研究家として、『護良親王の伝説』や『南朝・最後の証言』などを出版しました。
2015年には『賭けとか、運とか』を発売、こちらでは六角精児さんの父親としての回想録が綴られています。
1927年に誕生したお父さんは優しい人だったものの、昭和時代の人ということもあり教育をお母さんに丸投げしており、六角精児さんが役者になることについても何も言いませんでした。
またいつも難しいことを考えていたため、子供の頃の六角精児さんは何を話していいかわからず、「森の緑が色づいてきた」といわれても「そうだね」としか返せなかったそうです。
六角精児の母親
遊びに来た六角
— やまじゆういちろうの遺言 (@9MZDIA3XE4z4Mrj) March 29, 2020
久しぶりの pic.twitter.com/rqOTx2ym7B
六角精児さんのお母さんは一般人です。
お母さんは教育に厳しく、テストの点数にはとても厳しい方でした。
六角精児さんは「60点ではダメ。80点以上ないとダメでした」と明かしています。
六角精児の兄弟や姉妹
六角精児さんには、お姉さんがいます。
お姉さんは5歳年上の紀子さんと言い、小学校で教頭を務めています。
まとめ
芸能界とは関わりのない一般家庭で勉強には厳しく育てられた六角精児さんは、高校の出会いをきっかけに役者になりました。
これからも地元や家族を大切に、六角精児さんらしく楽しく幸せな日々を過ごしてほしいと思います。