「室井滋さんって、どんな家庭で育った人なんだろう?」
ドラマやエッセイ、ナレーションなど幅広く活躍している姿からは想像しにくいかもしれませんが、実は複雑な家庭環境のなかで、たくましく感性を磨いてきた方です。
高校や大学はどこに通っていたのか、女優を目指したきっかけは何だったのか。
そして、母親が皇室に関係していたという話の真相や、兄弟がいない一人っ子としての生い立ちなど、気になるエピソードがいくつもあります。
室井滋さんの背景にある「家族」と「学び」の物語をたどると、あの独特の語り口や演技力のルーツが少しずつ見えてきます。
室井滋の学歴
室井滋さんの学歴をたどっていくと、地元・富山での素朴な子ども時代から、早稲田大学での表現活動まで、今の女優としての礎がどのように築かれてきたかがよくわかります。
それぞれの学校生活には、意外なエピソードや心に残る出来事もあったようです。
室井滋の出身小学校
室井滋さんは、滑川市立寺家小学校出身です。
自然に囲まれたのどかな地域で、子ども時代は虫を追いかけたり、川遊びをしたりと、いわゆる“田舎の女の子”らしい素朴な生活を送っていたそうです。
本人もインタビューで「田んぼばっかりで何もないところだった」と振り返っていて、都会育ちでは得られない感性をこの時期に育んだことがうかがえます。
小学生時代の詳細なエピソードはあまり語られていませんが、後の自由で飾らないキャラクターにもつながっていそうですね。
室井滋の出身中学
小学校卒業後は、滑川市立滑川中学校に進学しました。
中学時代は、祖母の介護をしながら家事もこなしていたとのこと。
室井さんにとって、おばあちゃんは母親代わりのような存在だったそうですが、その祖母が認知症を患ってしまい、思春期ながらも家庭を支える役割を担っていたようです。
演技の原点は“人を観察する力”とも言われますが、このような家庭環境の中で、相手の気持ちに寄り添う力が自然と養われていたのかもしれません。
室井滋の出身高校
中学校卒業後は、富山県立魚津高等学校に進学しました。
地元では進学校として知られていて、偏差値はおおよそ64ほど。
当時から勉強もできたことがうかがえます。
高校では陸上部に所属していたほか、自分で演出を手がけて舞台にも出演するなど、かなりアクティブに活動していたそうです。
すでにこの頃から「人前で表現することの楽しさ」に目覚めていたようで、女優としての芽が少しずつ育ち始めていた時期だったのかもしれません。
室井滋の出身大学
高校卒業後は、早稲田大学に進学しました。
お父さんも早稲田出身だったそうで、身近に感じていた大学だったのかもしれませんね。
在学中は「シネマ研究会」に所属し、自主映画の制作にどっぷりとのめり込むようになります。
ここでの経験が女優としての大きな転機となり、やがて「自主映画の女王」と呼ばれるほど、インディーズ映画界で注目を集める存在に。
実際、1980年代の自主映画ブームを支えた一人でもありました。
大学には7年間在籍していましたが、最終的には中退という選択をしています。
理由については「現場で学ぶことのほうが多かったから」と語っており、実践を重んじる姿勢が伝わってきます。
室井滋の実家は福井県?
富山出身の女優・室井滋さんが富山弁で書いた絵本「チンチンボンボさん」が全国で発売されました。チンチンボンボは、富山弁で「肩車」の意味。気になる内容は…。室井さんのインタビューもあります。 http://t.co/eEiY7PBfNg pic.twitter.com/123i4IG2KY
— 朝日新聞富山総局【公式】🌷 (@asahi_toyama) July 8, 2015
室井滋さんの実家について調べてみると、「福井県出身では?」という声がときどき見られますが、実際には富山県滑川市(なめりかわし)の出身です。
公式プロフィールや、過去のインタビューなどでも明確に「富山県滑川市生まれ」と記載されており、これが確かな情報と考えられます。
ではなぜ「福井県」という説が出てくるのかというと、これはおそらく両親や祖父母など親族のルーツが福井県にある、あるいは室井さん自身が福井にまつわる話をエッセイなどで語っていることが影響しているのかもしれません。
実際、室井さんはエッセイや講演で各地の方言や食文化に触れることが多く、その中で「福井の言葉」や「福井のおばあちゃん」などの表現があった可能性があります。
こうした文脈が切り取られて「福井出身?」と誤解されているケースもあるようです。
また、芸能人の出身地に関しては「出生地」と「育った場所」が異なる場合もあるため、混同されやすいのですが、室井さんの場合は生まれも育ちも富山県滑川市で間違いありません。
小・中・高と地元の公立学校に通っていたことも確認されており、「都会に出たのは大学進学で上京してから」と語っています。
ちなみに、滑川市は富山県の東部、日本海に面したのどかな港町で、ホタルイカの水揚げなどでも知られています。
室井さんはこの地で自然に囲まれた環境のなか、のびのびと育ったそうです。
「実家は今でもある」とご本人が語ったこともあり、現在も地元とのつながりを大切にしている様子がうかがえます。
このように、「福井県出身」といった情報は一部で広まっているようですが、公式・本人発言・通学歴のすべてを踏まえても、室井滋さんの実家は富山県滑川市にあるのが事実と考えてよさそうです。
誤った情報にはご注意を。
室井滋の生い立ち
【明日放送! #プレミアムトーク #室井滋 さん】<総合 12月11日(金)午前8時15分~>いつも元気で、気取らず、パワフル!ひとたび役に入ると確かな演技力で見る者を引きつける室井滋さん。6年にわたり、昔話や童話を紹介し読み聞かせも。これまでの出演作とインタビューは⇒ https://t.co/jkvodJLlMZ pic.twitter.com/s4PVmFv5mg
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) December 10, 2020
1958年10月22日、富山県滑川市で生まれた室井滋さん。
幼少期から思慮深く繊細な感性を持っていたことが、さまざまな著作やインタビューからもうかがえます。
小学4年生のときに両親が離婚しており、「名字が変わるのは嫌だった」「転校もしたくなかった」といった思いから、母親ではなく父親のもとに残る決断をしたそうです。
このエピソードは、室井さんの芯の強さや自立心の高さを感じさせますね。
その後は、父親と祖母とともに3人暮らし。
とはいえ、父親は仕事で家を空けることが多く、祖母も高齢だったため、家庭内での孤独を感じることも多かったといいます。
夜になると一人きりの時間が長く、自然と”ひとり遊び”が得意になっていったとか。
古い映画を観たり、空想で芝居を作ったりと、自分の内面に向き合う時間が多かったことが、後の女優人生に大きな影響を与えたようです。
室井さん本人も「子どもの頃は妄想癖がひどかった」と笑いながら語っていたことがあり、その想像力はエッセイやナレーションの仕事にも活かされています。
ひとり芝居や一人語りのスタイルが得意なのも、この頃に培った”内面の世界と対話する力”がベースになっているのかもしれません。
また、祖母は認知症の症状が出始めていた時期もあり、思春期の室井さんが家事や身の回りの世話を担っていたこともあったそうです。
家族の支え手となりながら学業を続ける日々は、決して楽ではなかったはずですが、そうした環境のなかでも「自分なりに楽しく過ごす方法」を見つけていく姿勢は、現在のユーモアあふれるキャラクターにもつながっています。
こうして振り返ると、室井滋さんの生い立ちは、苦労のなかにも豊かな感性と芯の強さが育まれた時期だったことがわかります。
ひとりの時間を味方にし、そこから想像力と表現力を伸ばしていった道のりは、今の室井さんらしさに直結しているように感じられます。
室井滋の父親
室井滋さんのお父さんは、一般人です。
職業は、高校の教師でした。
早稲田大学在学中に書いた小説が『早稲田文学』に掲載されるなど、作家を目指していたお父さんでしたが、室井家の8代目(室井滋さんの祖母)が倒れたことから実家に戻りました。
ただお父さんは家業をお母さん(室井滋さんの祖母)に任せ、自身は跡取りにはならず教師の道を歩みました。
それでも作家になる道を諦めきれず、小説を書くために何日も取材旅行に出かけたりしていたそうです。
そんなお父さんは、室井滋さんが大学生の頃に48歳で亡くなりました。
室井滋さんはお父さんについて、「富山の田舎で生まれ育った私が女優になったのは、父のおかげ」などと語っています。
室井滋の母親と皇室の関係
室井滋さんのお母さんは、もともとは一般の家庭の出身です。
室井さんがまだ小学生だった頃、ご両親が離婚され、その後は父親と祖母と暮らすことになりました。
この時から長い間、母親とは音信不通の状態が続いていたそうです。
再び母親と再会を果たしたのは、室井さんが20歳を過ぎてからのこと。
当時の母親は、なんと皇族・秩父宮妃勢津子(ちちぶのみやひ せつこ)さまに仕える仕事をしていたといいます。
具体的には、秩父宮邸で身の回りの世話や公務のサポートに携わる役職だったとされており、いわば”女官”や”身の回りの係”に近い立場にあったようです。
皇室関連の職務に就くためには、高い品格や信頼性が求められます。
室井さんの母親がどのような経緯でこの職を得たのかは詳細に語られていませんが、おそらく人柄や所作が評価された結果だったのではないでしょうか。
当時のことについて、室井さんは「自分の知らないところで母がそんな立派な仕事をしていたことに驚いた」とインタビューで述べたこともあります。
また、離婚後に離れて暮らしていた母親とは、再会後も頻繁に交流があったわけではないようですが、少しずつ心の距離を埋めていったことが、室井さんの著書や語りから感じ取れます。
母親はその後、59歳という若さで亡くなられたとのことで、再会してから一緒に過ごせた時間は限られていたようです。
「母がどこでどんなふうに生きていたのかを知って、自分の中で何かが整理できた気がした」といった趣旨のコメントもあり、室井さんにとってこの再会は大きな節目だったのかもしれません。
単なる”芸能人の家庭事情”という以上に、家族との再会や、離れていても紡がれていく人間関係の深さを感じさせるエピソードです。
室井滋の兄弟や姉妹
室井滋さんには兄弟姉妹がいません。
いわゆる一人っ子として育ったそうです。
家庭の事情もあり、幼い頃から少し早めに大人びた感覚を持っていたと、ご本人も振り返っています。
両親が離婚してからは父親と祖母との三人暮らしが基本だったものの、父親は仕事で留守がちだったため、実質的には祖母と二人きりで過ごす時間が多かったようです。
姉妹のような存在も身近にはおらず、学校でもどこか人と距離を取りながら観察するタイプだったとのこと。
この”ひとり時間”が長かったことが、のちの女優としての感受性や洞察力を育んだと語る場面もあります。
また、家族構成がコンパクトだったからこそ、自分の内面に向き合う時間が多く、それが物語づくりや表現する力につながったとも言われています。
エッセイやナレーションの仕事で見せる独特の”間”や”語りの世界観”には、そんな一人っ子ならではの感性がにじみ出ていますよね。
兄弟がいなかったことについて、「寂しいというより、自分だけの世界を持てる楽しさがあった」とも語っており、孤独をネガティブに捉えるのではなく、自分なりの視点で肯定的に昇華してきた様子が印象的です。
こうした環境で育ったことが、演技や文章表現の”ひと味違う深み”につながっているのかもしれません。
室井滋さんの魅力は、まさにこのような家庭環境や人間関係の中で丁寧に育まれてきたのだと感じさせられます。
まとめ
室井滋さんの学歴や実家、そしてご両親との関係を振り返ると、ひとつひとつの経験が今の表現力豊かな人物像につながっていることがよくわかります。
とくに、家庭の事情や一人っ子として過ごした時間が、女優としての感性や言葉の力を養う土台になっていたというのは印象的でした。
お母さんが皇室に仕えていたという意外な経歴や、祖母との深いつながりなど、ご本人の温かくも芯のあるキャラクターが感じられた方も多いのではないでしょうか。
ご家族はすでに他界されていますが、きっと今も見守ってくれている中で、室井滋さんはご自身のペースで、自由に、誠実に活動を続けているのだと思います。
これからも、その飾らない魅力で多くの人を惹きつけていってほしいですね。
