「歌のお兄さんみたいな雰囲気がある」「育ちの良さがにじみ出てる」と言われることも多い山崎育三郎さん。
実は4人兄弟のひとりで、兄弟全員が高学歴かつ個性的なキャリアを持っていることでも知られています。
さらに、子どもの頃からクラシック音楽に親しむなど、育った家庭環境にも注目が集まっています。
いったいどんな家庭で育ち、どんな家族に囲まれてきたのでしょうか?
この記事では、山崎育三郎さんの実家の様子や兄弟構成、父親・母親との関係、生い立ちのエピソードまで詳しくご紹介します。
読めば、あの品のある佇まいのルーツに納得するかもしれません。
山崎育三郎は4人兄弟で名前も経歴もすごい!
山崎育三郎さんは、4人兄弟です。
お兄さんが2人、弟さんが1人います。
山崎育三郎の長兄・山崎祐一郎
山崎家の長男は山崎祐一郎さんと言い、1981年に誕生しました。
山崎祐一郎さんは、桐蔭学園高等学校卒業後にアメリカのカリフォルニア大学バークレー校に留学、その後ドイツの証券会社に入社しました。
証券会社を退職してからはIT企業を創業、2011年には京都大学経営管理大学院を修了、2011年に「イーファクター(現・メタップス)」に入りました。
そして2021年、「メタップス」の代表取締役社長に就任しています。
山崎育三郎の次兄・山崎令二郎
山崎家の次男は令二郎さんと言い、1983年に誕生しました。
山崎令二郎さんは、学生時代にラグビーに熱中し高校卒業後にラグビーの名門であるニュージーランドに留学、現地のチームで2年間活動をしていました。
帰国後の2006年にウエディング会社の株式会社「アールキューブ」を設立、2020年には結婚式プロデュースサービス「Any」も立ち上げています。
山崎育三郎の弟・山崎厚四郎
山崎育三郎の弟!?似てないけどこっちもカッコイイ♪ pic.twitter.com/suM8j3Ac63
— 気軽なトレンドニュース♪ (@zsBCGdZyobcwqV4) April 15, 2022
山崎家の四男は厚四郎さんと言い、1987年に誕生しました。
山崎厚四郎さんは、高校時代は野球の強豪校である香川県の尽誠学園で、寮生活を送りながら野球に没頭していました。
しかしプロ野球選手の夢は断念し、高校卒業後はアメリカに留学してプログラミングを学び、鉄鋼業界で経理業務を行っていました。
2015年からは次男の山崎令二郎さん「株式会社アールキューブ」に入り、マネージャーを務めています。
山崎育三郎の実家はお金持ち?
<インタビュー>山崎育三郎が“王子”としてのすべてを出し切って創るオーケストラコンサート https://t.co/Jsaz3N6XgM pic.twitter.com/XpGOagubIf
— Billboard JAPAN (@Billboard_JAPAN) June 1, 2023
山崎育三郎さんは、東京都港区高輪という都内でも特に高級住宅地として知られるエリアの出身です。
この土地柄だけでも、ある程度の経済的なゆとりがある家庭で育ったことがうかがえますよね。
父親は国内有数の大手鉄鋼メーカーに勤めていたとのことで、安定した職業に就いていたことがわかっています。
また、育三郎さんを含む4人兄弟全員が海外留学を経験しているという点からも、教育に対する投資を惜しまない家庭であったと考えられます。
海外での学びは時間も費用もかかるものですから、金銭的に余裕がなければ難しい選択です。
とはいえ、山崎育三郎さん自身は実家について多くを語っておらず、いわゆる“セレブエピソード”のような派手な話は見られません。
過去のインタビューでも、家族に関する言及は控えめで、プライバシーを大切にされている様子がうかがえます。
一方で、育三郎さんは幼少期からクラシック音楽に親しみ、オペラ歌手を目指して声楽を学んでいたことが知られています。
中学2年生で単身アメリカ・ロサンゼルスへ留学するなど、その育成環境は非常に整っていたといえるでしょう。
こうした音楽教育に加え、海外経験が現在の国際感覚や表現力の礎となっているのかもしれませんね。
経済的な豊かさに加えて、教育方針や文化的な素養にも恵まれていたであろう家庭環境。
その影響は、現在の知的で品のあるイメージにも通じているように感じられます。
育三郎さんの持つ落ち着いた佇まいや、舞台で見せる堂々たる存在感には、家庭で培われた価値観や教養が自然とにじみ出ているのかもしれません。
山崎育三郎の生い立ちが壮絶?
華やかな舞台で活躍を続ける山崎育三郎さんですが、その生い立ちには意外にも厳しい経験が隠されています。
現在の堂々とした姿からは想像できないかもしれませんが、幼い頃は甘えん坊で人前に出るのが苦手な子どもだったそうです。
そんな山崎さんの転機となったのが、小学生時代に観たミュージカル『アニー』との出会いでした。
その感動をきっかけに、母親の勧めで本格的に歌のレッスンを開始。
歌う楽しさに目覚めると、1997年には「全国童話コンクール」で審査員特別賞を受賞し、早くからその才能が開花しはじめます。
子役としての活動も始まり、順調なスタートを切ったように見えました。
しかし、山崎さんの人生には大きな転機が訪れます。高校時代に両親が離婚し、家族はそれぞれ別々の道を歩むことに。
父親は北海道、母親は岡山、兄弟たちも海外や香川などへと離れ、東京に残ったのは山崎さん一人だけだったといいます。
家族が物理的にバラバラになるという状況は、10代の青年にとっては相当な精神的負担だったはずです。
さらにその時期、山崎さんは祖父母とともに暮らしながら、約2年間にわたり介護を担っていたことも明かされています。
芸能活動と学業に加えての介護という状況は、並大抵の努力では乗り越えられません。
あるインタビューでは、この時期の経験が「人のために尽くすことの意味」を深く学ぶきっかけになったと語っていました。
このように、幼少期から音楽の才能に恵まれながらも、家族の離散や介護など数々の困難を乗り越えてきた山崎育三郎さん。
現在の包容力ある雰囲気や、感情豊かな演技力の裏には、こうした背景があったのだと考えると、舞台での一挙手一投足がより深く心に響いてきますね。
表舞台だけでなく、その裏にあるストーリーにも注目すると、山崎さんの魅力がいっそう浮かび上がってきます。
山崎育三郎の父親
山崎育三郎さんの父親は、芸能活動とは無関係の一般の方であり、名前や年齢、顔写真などの詳細なプロフィールは公開されていません。
プライバシーを大切にされていることが伝わってきますね。
一部メディアの情報によると、父親は大手鉄鋼メーカー・新日本製鐵(現・日本製鉄)に勤めていたとされており、企業の中でも安定性や規模の面で知られる職場です。
こうした背景からも、家庭がしっかりとした経済基盤を持っていたことがうかがえます。
育三郎さんはインタビューなどで、父親の仕事の関係で幼少期に転勤が多かったことを語っています。
実際に九州で生活していた時期もあり、転校や引っ越しを経験するなかで、適応力やコミュニケーション力を自然と身につけていったのかもしれません。
舞台俳優としてさまざまな役柄に入り込める柔軟性には、こうした子ども時代の経験が影響している可能性もありそうです。
また、家族の中では父親が「厳しくも温かい存在」であったと語られることもあります。
山崎さんは幼い頃にミュージカルと出会い、歌のレッスンに通い始めますが、こうした芸術的な道を選ぶことに対して、父親がどのような反応を示していたかについては多く語られていません。
ただ、兄弟全員が海外留学を経験していることからも、教育には非常に熱心で、子どもの夢や挑戦を尊重する家庭だったのではないでしょうか。
仕事柄、単身赴任や転勤が多かった可能性はありますが、育三郎さん自身のインタビューからは、家族とのつながりを大切にしてきた様子が伝わってきます。
父親の背中を見て育ったからこそ、地に足のついた価値観や礼儀正しさが身についたのかもしれませんね。
このように、山崎育三郎さんの父親については詳細な情報こそ限られているものの、仕事や家庭への責任感、教育への姿勢など、人物像の輪郭はじんわりと浮かび上がってきます。
表には出ないながらも、育三郎さんの礎を支えてきた大きな存在であったことに違いありません。
山崎育三郎の母親
山崎育三郎さんの母親は芸能活動とは関わりのない一般の方で、名前や現在の顔写真などは公開されていません。
ただ、山崎さんのSNSには過去に若かりし頃の母親の写真が掲載されたことがあり、その凛とした美しさが話題になったこともありました。
母親は岡山県の出身で、かつては音楽の先生をされていたそうです。
育三郎さんが幼少期からクラシック音楽に親しみ、声楽を学び始めた背景には、この母親の音楽的素養と教育が大きく影響していたと考えられます。
実際に、育三郎さんがミュージカル『アニー』を観て感動した際、すぐに歌のレッスンを勧めてくれたのも母親だったとされており、子どもの感性に寄り添いながら夢を応援する姿勢がうかがえますね。
また、両親の離婚後は、母親は地元・岡山へ戻り、大自然の中で穏やかに暮らしているといいます。
「ハイジのような生活がしたい」という想いがあったそうで、そのライフスタイルは自然体で温かな印象を感じさせます。
こうした生き方には、都会で忙しく過ごしてきた日々からの“心のリセット”という意味も含まれているのかもしれません。
育三郎さん自身も、折を見て岡山の母親のもとを訪ねているとのこと。
親子の距離は物理的には離れていても、精神的なつながりはとても深いようです。
育三郎さんがメディアなどで見せる品のある佇まいや、落ち着いた物腰の背景には、母親からの影響が大きく関わっていると感じられます。
教育者としての姿勢、芸術への理解、自然を愛するライフスタイル——こうした母親の在り方は、山崎育三郎さんの人間性や価値観にしっかりと根を下ろしているようです。
表舞台で輝き続ける山崎さんの姿には、陰ながら支えてきた母親の存在が静かに息づいているのではないでしょうか。
まとめ
山崎育三郎さんの両親や兄弟は一般人ですが、経歴が山崎育三郎さんと同じくらい輝かしいですね。
家族それぞれ歩む道は異なりますが、今後も山崎家の活躍を応援していきたいと思います。
