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高橋成美が引退した理由は?出身高校や大学・実家や兄弟・事務所なども

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ペアのフィギュアスケート選手として活躍し、現在は日本オリンピック委員会の理事を務める高橋成美さんは、どんな人なのでしょうか。

いつからスケートを始め、何故ペアの選手として活動することになったのでしょうか。

今回は、高橋成美さんの経歴や出身学校、引退理由などについて調べてみました。

高橋成美が引退した理由

2018年3月、高橋成美さんはフィギュアスケートの選手を引退しました。

理由については「長年の怪我からなかなか回復しなかったこと」、「大学にほとんど通えていなかったこと」、「平昌五輪を逃したこと」を挙げています。

高橋成美さんは引退を自分に意思で決めたものの、「人生で初めて虚無感を味わった」というほど落ち込んでいたそうです。

それでも卒業していなかった大学に通い、気持ちを切り替えたと明かしています。

高橋成美のプロフィールや経歴

名前:高橋成美
生年月日:1992年1月15日
出身地:千葉県
血液型:B型
身長:148cm
所属事務所:松竹芸能

3歳の時にスケートを始めた高橋成美さんは、7歳~8歳の頃には3回転サルコウを跳び、アクセルを除く5種類の3回転ジャンプを修得していました。

2002年には全日本ノービス選手権Bクラスで3位に入るなど、12歳まで女子シングルの選手として競技会に出場していました。

ペアに転向したきっかけは、フラワーガールとして参加していたグランプリシリーズ中国杯した。

ある男性から「スケートやっているの?ペア?」と聞かれ、高橋成美さんは「シングル」、隣にいた女の子は「ペア」と答えました。

するとその男性が隣の女の子だけに対し「すごいね、期待しているよ」と言ったそうで、負けず嫌いな高橋成美さんはそれが悔しくて、ペア転向を決意したそうです。

転向後は最初に高瑀さんとペアを組み、その後山田孔明さんとペア、2009-2010シーズンのJGPトルン杯では、自身初の優勝、日本スケート連盟に所属したペアでは史上2組目の優勝を記録しました。

またジュニアグランプリファイナルでは2位となり、当時の日本スケート連盟所属ペアでの史上最高成績となり、2010年の世界ジュニア選手権でも銀メダルを獲得しています。

2010-2011シーズンはジュニアとシニアのグランプリシリーズの両方を掛け持ちし、ジュニアグランプリシリーズでは2週連続で2位、ジュニアグランプリファイナルでは日本人ペアとしては初めての優勝を果たし、2011年世界ジュニア選手権でも3位になりました。

2013年からは木原龍一さんとペアになり、ソチオリンピックへ初出場、団体戦で日本代表として総合5位(SP8位・FS5位)、ペア個人戦はSP18位という結果を残しています。

その後、ロシア人のアレクサンドル・ザボエフとのペア結成を発表するも資金難により解消、2016年には柴田嶺さんとペアを組むも、2018年3月に引退しました。

2019年5月にはアイスホッケーに転向し、昭和大学のクラブチーム「ブルーウィンズ」の一員となり、2021年には日本オリンピック委員会(JOC)の理事に選出されました。

高橋成美の所属事務所は松竹芸能

高橋成美さんは、2020年から「松竹芸能」に所属しています。

松竹芸能にとって初の元五輪選手出身の所属タレントで、高橋成美さんは「役者さんになって、いろいろな人の人生を体験をしたい」と話していました。

高橋成美の実家や生い立ち

1992年1月15日に誕生した高橋成美さんは、千葉県松戸市出身です。

実家の詳しい場所は公開されていませんが、新松戸アイスアリーナは自宅から徒歩圏内だったようです。

高橋成美さんやお姉さんがフィギュアスケートをやっていたことから「実家はお金持ちではないか?」と言われていますが、実家について情報がほとんどないことからどのくらいのお金持ちなのかはわかりませんでした。

3歳の時、お姉さんの影響で高橋成美さんはスケートを始めました。

小児ぜんそくを患っており、医師から勧められたのがスケートだったのだそうです。

幼い頃からおてんば少女で、階段の高いところから飛んだりジェットコースターに乗ってはしゃいだり、スケートでも年上の選手が跳ぶようなジャンプを決めては周囲を驚かせていたそうですよ。

高橋成美の学歴

高橋成美さんが通っていた学校について調べてみました。

高橋成美の出身小学校

出身小学校は公表されていません。

インタビューでは「14回ぐらい学校を転校している」と話していた高橋成美さんは、小学4年生の時にお父さんの仕事の都合で中国・北京に移住しています。

高橋成美の出身中学

小学校卒業後も中国の学校に通っていた高橋成美さんは、2年生の時に日本に帰国しました。

そして松戸市立新松戸北中学校を卒業しています。

こちらの学校は松戸市立小金中学校と統合し、閉校しました。

中学時代はスケートが出来る場がなく、学校でも帰国子女の「変わった子」に見られていたためとても辛かったそうです。

高橋成美の出身高校

中学校卒業後は、渋谷教育学園幕張高等学校に進学しました。

偏差値は、76です。

この学校に進学したのは、スケートを続けるためでした。

両親からは難関校合格を条件にスケートの継続が認められていたため、苦手だった塾に通うなどして猛勉強の末に進学できたそうです。

高橋成美の出身大学

高校卒業後は、慶應義塾大学に進学しました。

高橋成美さんは総合政策学部に在籍、偏差値は70です。

大学は競技と両立ができること、AO入試の面接が決め手になったそうです。

現役時代は休学していましたが、引退してから復学し卒業しました。

高橋成美の父親

高橋成美さんのお父さんは一般人です。

名前や年齢、職業、顔写真などは公開されていません。

判明しているのは、フィギュアスケートの経験者ではないということだけでした。

高橋成美の母親

高橋成美さんのお母さんも一般人です。

お母さんもフィギュアスケートの経験者ではないこと以外はわかりませんでした。

高橋成美さんの練習を幼い頃から見ていたお母さんは、夢の中で自身がジャンプしているのをよく見るため、高橋成美さんに「お母さんでも跳べるのに」と言うそうですよ。

高橋成美の兄弟や姉妹

高橋成美さんには、お姉さんがいます。

お姉さんもフィギュアスケートをやっていましたが、選手として大会に出場したという情報はありませんでした。

高橋成美さんとは性格が異なり、お姉さんは周囲に中々心を開かないタイプだと話していました。

まとめ

医師に勧められたことをきっかけにスケートを始めた高橋成美さんは、12歳からペアの選手になり、引退まで活躍し続けました。

これからも高橋成美さんらしく、芸能界で輝き続けてほしいですね。

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