1948年に初舞台を踏み、映像作品でも活躍した奈良岡朋子さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。
どこの学校に通っていたのでしょうか。
今回は、奈良岡朋子さんの家族や出身学校について調べてみました。
奈良岡朋子の兄の職業は?
奈良岡朋子さんには、お兄さんがいます。
名前は奈良岡正博さんと言い、過去には新聞社のインタビューに登場していました。
しかし一般人ということで、詳しい経歴などは明かされておらず、テレビに出演したこともないようです。
奈良岡朋子の父親は洋画家の奈良岡正雄
あとは奈良岡正夫
— H-Art Seed Project (@H_ArtSeed_P) March 6, 2019
この方は弘前市内の色々な所で見かける事はありますが纏ってみる機会はあまりないのではないでしょうか
こぎん雛の後ろには弘前に南画を伝えたとされる毛内雲林の屏風 ↓ pic.twitter.com/W7m2dsrEL8
奈良岡朋子さんのお父さんは、奈良岡正雄さんと言います。
奈良岡正雄さんは1903年に生まれ、画家を目指して上京、独学で絵画を学び40歳の時に第36回太平洋画会展に「豊秋」で入選して話題を集めました。
以降は白日会展入選、仁科展や独立展などに入選、1946年には第1回日展に初入選しています。
1947年に「示現会」の創立会員となり、1997年の中村彝賞を受賞しました。
奈良岡朋子の姪は演出家の丹野郁弓
演出家・丹野郁弓氏に聞く──奈良岡朋子・岡本健一主演『二人だけの芝居 クレアとフェリース』 | SPICE – エンタメ特化型情報メディア スパイス https://t.co/4eyhKqDqIX pic.twitter.com/mvP0Gp0YAz
— SPICE[舞台情報メディア]/e+ (@spice_stage) April 7, 2016
奈良岡朋子さんの姪っ子は、演出家の丹野郁弓さんです。
丹野郁弓さんは、1982年に「劇団民藝」に入団、1988年の『ナッツ』で初翻訳し数々の舞台の翻訳を手がけ、1995年の『青春の甘い小鳥』で演出を初めて行いました。
1997年に湯浅芳子賞、2005年には『明石原人』と『スポイルズ・オブ・ウォー』の演出で毎日芸術賞を受賞しています。
奈良岡朋子さんが亡くなった際の葬儀では、丹野郁弓さんが喪主を務めました。
奈良岡朋子の実家や生い立ち
#今日は何の日#劇団民藝
— 全知全能の紙皿にチアシードビスケットを (@_30776506271) December 1, 2020
若い頃の奈良岡朋子。
石原裕次郎さんが最も尊敬していた女優さんなんだそうです。
12月1日は奈良岡朋子さんの誕生日。 pic.twitter.com/XaavdiV7gi
1929年12月1日に誕生した奈良岡朋子さんは、東京府東京市本郷区駒込(現:東京都文京区)出身です。
詳しい場所は公開されていないため、実家の場所はわかりませんでした。
元々、奈良岡家の家系に医者がいなかったことから、奈良岡朋子さんは医者を目指していたものの、戦争をきっかけに時代が自由へと移り変わったことで、芸術の道に進みました。
奈良岡朋子の母親
奈良岡朋子さんのお母さんは一般人です。
名前や経歴、顔写真などは公開されていません。
奈良岡朋子の学歴
奈良岡朋子さんが通っていた学校について調べてみました。
奈良岡朋子の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
東京都内のどこかの学校に通っていたと思われます。
奈良岡朋子の出身中学
出身中学校も公表されていません。
エピソードも語られておらず、不明です。
奈良岡朋子の出身高校
中学校卒業後は、東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鷗高等学校・附属中学校)に進学しました。
現在の偏差値は、63です。
在学中の1945年にお父さんの故郷である青森県弘前市へ疎開し、青森県立弘前中央高等学校に転校しました。
こちらの学校の現在の偏差値は、60です。
奈良岡朋子の出身大学
高校卒業後は、女子美術大学に進学しました。
奈良岡朋子さんは洋画科に在籍、現在の偏差値は40です。
大学では演劇部に所属、当初は裏方として装置セットの絵を描いていたそうです。
大学在学中の1948年、民衆芸術劇場付属俳優養成所に1期生で入所し女優活動を始めました。
まとめ
画家のお父さんの下で育った奈良岡朋子さんは、女優の道に進み、70年以上活動していました。
これからは空の上で、姪っ子さんの活動や日本の作品を見守っていてほしいですね。