海老名香葉子さんといえば、旦那さんや息子さんは有名な落語家ですが、実家や生い立ちはどのようなものだったのでしょうか?
お兄さんが有名な方であることも伝えられています。
今回は、エッセイストとしても有名な海老名香葉子さんに実家や生い立ちについて調べました。
海老名香葉子の兄は「竿忠」4代目の中根喜三郎
徹子の部屋 中根喜三郎 海老名香葉子 12月8日 https://t.co/6F2yyopemy pic.twitter.com/6X6EspLilD
— MMCyprtoᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠᅠ (@sunlight380) December 8, 2015
海老名香葉子さんのお兄さんは、中根喜三郎さんと言います。
中根喜三郎さんは、1951年に釣竿職人の道に入り、1956年に独立、1974年に5世4代目竿忠を襲名しました。
江戸和竿協同組合理事長などの要職を歴任しています。
海老名香葉子の実家や家系図
海老名香葉子さんは、東京府東京市本所区竪川町(現・東京都墨田区立川3丁目)出身です。
実家は釣り竿の名匠「竿忠」で、常連さんの中には歌舞伎役者の市川海老蔵(のちの十一代目團十郎)さん、陸軍の偉い方、中島飛行機の社長、落語家の三代目三遊亭金馬さんもいました。
海老名香葉子さんは、祖母、両親、お兄さん3人と8歳離れた弟の8人家族でした。
祖母は国防婦人会の副会長、父親は警防団の副団長だったそうです。
海老名香葉子の生い立ちは東京大空襲のせいで壮絶だった
東京大空襲で孤児に 大使館から海老名さんに届いた手紙https://t.co/oEtpFRjfcr
— 朝日新聞デジタル (@asahicom) March 10, 2021
東京大空襲で家族6人を失い、孤児となった作家の海老名香葉子さんのもとに、米国大使館の臨時代理大使から手紙が届きました。
海老名さんの慰霊の活動についての謝辞とともに、日米の友情に触れられていました。 pic.twitter.com/IHOWyIJQMG
海老名香葉子さんは、1933年10月6日に誕生しました。
2歳の時に二・二六事件が起き、賑やかだった海老名香葉子さん家も戦争と無関係ではいられなくなったそうです。
海老名香葉子さんは10歳の時に沼津の親戚へ縁故疎開、1945年3月10日未明の東京大空襲のときは沼津から「どうかみんな無事でいますように」と祈り続けていました。
しかしお兄さんから「みんな死んじゃった。守れなかった。香葉子、ごめん」と聞き、戦争によって海老名香葉子さんは両親、祖母、2人の兄、弟の6人を失いました。
終戦後に帰京し親戚の家を転々としていたものの、優しかった親戚は豹変し「なんでお前が生き残ったんだ」と言われたこともあったと明かしています。
そんな海老名香葉子さんに手を差し伸べてくれたのが三代目三遊亭金馬さんで、海老名香葉子さんの親代わりになってくれたのでした。
まとめ
海老名香葉子さんは実家が釣竿の名家でした。
しかし、東京大空襲によって大変な思いをしていたところに三遊亭金馬さんが手を差し伸べてくれたことで、初代林家三平さんと結婚することにもなったのでしょう。
戦後の苦しい中を乗り越えたからこそ、今の活躍があるというのはとても感慨深いものがあります。
これからの海老名香葉子さんの活躍にも期待したいですね。