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山田洋次は重病?若い頃や代表作は?事務所や年収なども調べてみた

yamadayoji_career 映画監督

紫綬褒章や文化功労者、文化勲章を受章した映画監督の山田洋次さんは、どんな人なのでしょうか。

ネット上では「重病では?」という噂もあるようです。

そこで今回は、山田洋次さんの経歴や病気などについて調べてみました。

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山田洋次が重病に罹っている?

山田洋次さんの重病説は、2017年頃に流れました。

映画『家族はつらいよ2』の完成披露試写会で山田洋次さんが、「クランクアップまで、ぼくは本当に持つんだろうか。途中でダメになっちゃうんじゃないか」と撮影中に体調の不安を抱いていたことを打ち明けていたことがきっかけです。

さらに周囲にも病名や闘病生活すら一切明かさないため、「重病だったらどうしよう」と心配する声が増え、重病説が広まってしまいました。

しかし現在までに山田洋次さんが重病を患っているという証拠は出ていません。

映画監督としての活動も現役です。

高齢のため昔ほど体力があるというわけでは無いものの、今の所は生活に問題はないようですね。

山田洋次の若い頃

山田洋次さんは、大学卒業後に松竹に入社しました。

以降は脚本家や助監督を経て、監督デビューしました。

若い頃の姿を見ると面影がありますね。

山田洋次の代表作

山田洋次さんの代表作は、『男はつらいよ』シリーズ 、『幸福の黄色いハンカチ』 、『息子』 、『学校』シリーズ 、『釣りバカ日誌』シリーズ 、『たそがれ清兵衛』 などです。

『男はつらいよ』シリーズでは毎日映画コンクール監督賞や脚本賞、シナリオ作家協会シナリオ賞を、『家族』ではキネマ旬報ベスト・テン日本映画監督賞、『幸福の黄色いハンカチ』では第1回日本アカデミー賞最優秀監督賞などを獲得しました。

山田洋次のプロフィールや経歴

名前:山田洋次
生年月日:1931年9月13日
出身地:大阪府
血液型:A型
身長:非公開

1954年に大学を卒業し松竹に補欠入社した山田洋次さんは、1961年の『二階の他人』で監督としてデビューしました。

1961年頃からは『遺族』、『泣いてたまるか』などテレビドラマの脚本を担当するようになり、一部の作品では「山田よしお」のペンネームを使っています。

2008年には映画監督で二人目の芸術院会員となり、2010年には舞台『麦秋で初の舞台演出を手掛けました。

監督業以外では2004年1月に横綱審議委員に就任し、2014年1月の退任まで5期10年を務め上げ、2006年にはOBである東京大学相撲部の名誉顧問になりました。

2012年、これまでの歩みを紹介する「山田洋次ミュージアム」がオープンしました。

山田洋次の所属事務所

山田洋次さんは、1954年に松竹してから松竹映画に携わっています。

俳優やタレント活動は行っていませんが、監督として松竹に在籍しているようですね。

山田洋次の年収

山田洋次さんの年収は公表されていません。

長年多くの作品を作り、日本だけではなく海外でも話題を集めています。

そのため年収は数千万円~億越えになるのではないかと思われます。

まとめ

元々映画監督になるという夢は持っていなかったという山田洋次さんですが、監督としてデビューしてから様々な作品を世に送り出し、老若男女問わず支持されています。

これからもいい作品を撮り続けていけるように、健康に気を付けながら活動を続けていってほしいですね。

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