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五木ひろしの国籍は?実家はお金持ち?父親と母親兄弟・出身高校や大学は?

itsukihiroshi_family 歌手
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数々のヒット曲を持つ歌手の五木ひろしさんは、どこで生まれ育ったのでしょうか。

両親や兄弟はどんな人で、通っていた学校はどこにあるのでしょうか。

今回は、五木ひろしさんの実家や家族、出身学校について調べてみました。

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五木ひろしは韓国人として生まれた!国籍は?

五木ひろしさんは、お父さんが韓国人でお母さんが日本人のハーフです。

ネット上では、父方の祖父母も韓国人だという情報がありました。

五木ひろしさんは京都府で生まれましたが、出生時の本名は「李和夫」でした。

時期は不明ですがその後日本に帰化したため、現在の五木ひろしさんの本名は「松山数夫」さんで、国籍は日本です。

五木ひろしの実家はお金持ち?

京都府で生まれた五木ひろしさんは、小学生の時に福井県三方郡美浜町に引っ越しました。

実家は農家で豪邸と噂されていますが、詳しい場所は公開されていません。

両親が離婚してからはお母さんが朝から晩まで働いて子供たちを育てていたということで、凄く恵まれていた環境というわけではなかったようです。

五木ひろしの生い立ち

1948年3月14日に誕生した五木ひろしさんは、お父さんが歌が好きでいつも家の中では音楽が流れていたということもあり、自然淘汰が好きな子供に育ちました。

初めて人前で歌ったのはお母さんが体を壊して入院した時で、毎日のように病院にお見舞いに行った五木ひろしさんがお母さんのために美空ひばりさんの「リンゴ追分」を歌っていると、次第に同じ病室の患者さんたちからもリクエストされるようになったそうです。

そして歌うとみんなが笑顔で拍手してくれる嬉しさから、漠然と「大きくなったら歌手になる」と思うようになっていました。

その後は両親の離婚をきっかけに多忙になったお母さんの姿を見て、「歌手になって母に楽をさせる」というのが目標になったのだそうです。

五木ひろしの父親

五木ひろしさんのお父さんは、鉱山技師でした。

会社を作ったものの事業は順調ではなかったようで、次第に家を空けることが多くなり、五木ひろしさんが小学5年生の時に「ちょっと出かけてくる」と言ってそのまま家を出て行きました。

お父さんはこの時三重県で別の女性と暮らしており、後に五木ひろしさんのお母さんとは離婚しました。

離婚後はお父さんと会うことがなかったものの、その後再会し、五木ひろしさんは「今では父のやむを得ぬ選択を自分なりに消化し、許す気持ちになっている」と話しています。

五木ひろしの母親

五木ひろしさんのお母さんは、松山キクノさんと言います。

お母さんはお父さんとの離婚後、朝から晩まで働いていました。

近くにはお母さんの実家や親戚がいたものの、頼ることはなかったそうです。

そんなお母さんは、2002年に83歳で旅立ちました。

五木ひろしの兄弟や姉妹

五木ひろしさんには、お兄さんが1人、お姉さんが2人います。

お兄さんは、グラビアアイドルを多数輩出した事務所「イエローキャブ」の代表取締役を務めていた松山弘志さんで、お姉さんは2人とも一般人です。

一番上のお姉さんと五木ひろしさんは、11歳の年の差があるそうですよ。

五木ひろしの学歴

五木ひろしさんが通っていた学校について調べてみました。

五木ひろしの出身小学校

五木ひろしさんは、鳥羽市立加茂小学校に入学しました。

その後転校していますが、転校先については公表されていませんでした。

五木ひろしの出身中学

小学校卒業後は、美浜町立耳中学校に進学しました。

こちらの学校は1975年に統合により閉校しています。

中学時代は卓球部に入るも、すぐに軟式テニス部に転部しました。

五木ひろしの出身高校

中学校卒業後は、関西音楽学院に進学しました。

こちらは京都にある専門学校でしいたが、現在は閉校しています。

そして上京をきっかけに明大付属中野高等学校に転校しました。

五木ひろしさんが在籍していた定時制は、2003年に廃止されています。

五木ひろしの出身大学

高校卒業後は、進学していません。

芸能活動に専念しています。

まとめ

幼い頃から「歌手になりたい」という夢を持っていた五木ひろしさんは、見事夢を叶えただけではなく、『紅白歌合戦』などに出場する人気歌手になりました。

これからも五木ひろしさんらしく歌い続けてほしいですね。

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