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福永祐一の厩舎はどこ?騎手を引退した理由は?学歴・事務所や年収も

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元騎手の福永祐一さんは、1996年のデビューから数々のレースを制覇してきました。

ファン以外からも知名度も高かった選手ですが、何故騎手を引退したのでしょうか。

今回は、福永祐一さんの経歴や出身学校、騎手引退の理由などについて調べてみました。

福永祐一の厩舎はどこ?

2023年2月25日(日本時間26日未明)に行われたリヤドダートスプリントで27年の騎手生活を終えた福永祐一さんは、調教師に転身しました。

現在は2024年3月に予定されている厩舎開業に向けて、技術調教師として厩舎経営のノウハウなどを身につけている最中で、現時点で福永祐一さんの厩舎がどこになるのかはわかりません。

2023年7月には日本最大の競走馬のセリであるセレクトレールが行われ、そこで日本史上3位となる5億2000万円で落札されたコンヴィクションⅡが福永祐一さんの厩舎に送られることが決定しています。

福永祐一が騎手を引退した理由は?

2022年12月8日、福永祐一さんが2023年度新規調教師試験に合格したことが発表され、同時に翌年(2023年)2月をもって騎手を引退することを公表しました。

福永祐一さんは騎手引退の理由について、

「ジョッキーが嫌になったわけではない。シンプルに次にやりたいと思う仕事があったということ。ジョッキーとしての仕事は味わい尽くしたし、調教師の仕事に魅力を感じ、やってみたいという気持ちが上回った

引用元:中日スポーツ

と明かしています。

実は15年ほど前の「師匠の北橋先生、その盟友の瀬戸口先生が引退して勝ち鞍が落ちた時」にも調教師への転身を考えたことがあったそうですが、この時は「ジョッキーとしてダメだから調教師にという、そんな辞め方は良くない」という思いから転身を踏みとどまったのだそうです。

福永祐一のプロフィールや経歴

名前:福永祐一
生年月日:1976年12月9日
出身地:滋賀県
血液型:B型
身長:160cm
所属事務所:ホリプロ

1996年に北橋修二厩舎でデビューした福永祐一さんは、マルブツブレベストに騎乗で3月2日の中京競馬第2競走で初騎乗初勝利を挙げると、そのあとの第3競走でもレイベストメントで勝利し、史上2人目のデビュー2連勝を飾りました。

同年11月には1987年の武豊さん以来となる新人50勝を達成、12月には第10回香港国際カップのシーズグレイスで海外初騎乗しています。

この年は最終的に53勝を挙げ、JRA賞最多勝利新人騎手を獲得しました。

1997年7月22日には川崎競馬場で行なわれた第44回エンプレス杯で重賞初制覇、さらに同年11月15日に第2回東京スポーツ杯3歳ステークス(現・東京スポーツ杯2歳ステークス)に勝ちJRA重賞初勝利を収め、1999年の第59回桜花賞でJRAGI初勝利を果たしています。

2005年7月3日には、アメリカのハリウッドパーク競馬場で第4回アメリカンオークス招待ステークスで、日本生産・調教馬初のアメリカG1での優勝という偉業を成し遂げました。

2008年9月27日に8811戦目でお父さんの福永洋一さんの通算勝利数(983勝)に並ぶと、11月30日京都競馬場で行われた12Rで中央競馬史上23人目となるJRA通算1000勝を達成しました。

さらに2012年6月2日の第65回鳴尾記念、さらに翌日の第62回安田記念、同日12Rにて行われた第17回ユニコーンステークスで、史上初の同一週3重賞勝利を達成しています。

2013年10月6日には第64回毎日王冠でJRA重賞100勝を達成、最終的に131勝を挙げ2011年以来となるリーディングジョッキーとなっただけではなく、この年から始まった初代MVJに選ばれ、中京開催で20勝し中京開催リーディングジョッキーにも選ばれました。

2021年5月2日、第163回天皇賞(春)で優勝し史上2例目の天皇賞春秋親子制覇と同時に史上4人目となるJRA重賞150勝を達成、さらにJRA・G1レース通算30勝や史上5人目の通算2500勝を達成しています。

福永祐一の所属事務所

福永祐一さんは、2016年から「ホリプロ」とマネジメント契約をしています。

奥さんである元フジテレビアナウンサーの松尾翠アナもこちらの事務所に在籍しています。

ホリプロといえば、和田アキ子さんをはじめ、多くの芸能人が所属している大手プロダクションです。

福永祐一の年収

福永祐一さんの年収は公表されていません。

騎手時代は数々の記録を作り、年収1億円越えともいわれていました。

調教師の平均年収は約600万円~1000万円ほどと言われています。

福永祐一さんはメディア出演もあるとはいえ、騎手時代と比べると大幅に年収が下がったのではないかと思われます。

福永祐一の学歴

福永祐一さんが通っていた学校について調べてみました。

福永祐一の出身小学校

福永祐一さんは、栗東町立金勝小学校出身です。

3年生の時にサッカー部に入り、競馬学校に入るまではサッカーに打ち込んでいました。

5年生の時に栗東トレーニングセンターの乗馬苑で乗馬も始めたものの、日曜日のサッカーの試合に出られなくなったことから乗馬の方を1年間で辞めてしまったそうです。

福永祐一の出身中学

小学校卒業後は、近江兄弟社中学校に進学しました。

偏差値は、45です。

サッカー部に所属し、片道1時間半の通学でも朝練には休まず行っていたそうです。

2年生の時にはブロック予選を勝ち抜き、県大会出場を決めました。

その後騎手になるために競馬学校の受験に挑むも実技テスト前に骨折し、不合格となりました。

福永祐一の出身高校

中学校卒業後は、近江兄弟社高等学校に進学しました。

偏差値は40~55です。

こちらの高校には1年間だけ通い、再受験して競馬学校に入学しました。

福永祐一さんは12期生で、同期にはJRA初の双子騎手である柴田大知さん・柴田未崎さん、JRA初の女性騎手である細江純子さん、牧原由貴子さんらがいます。

福永祐一の出身大学

福永祐一さんは高校を中退し競馬学校に入ったため、大学には進学していません。

競馬学校卒業後、騎手デビューしました。

まとめ

福永祐一さんの騎手としての活躍は、多くの競馬ファンに支持されていました。

調教師としても活躍し続けていけるよう、これからも頑張ってほしいですね。

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