歌手の加藤登紀子さんは、1972年に結婚しました。
しかし旦那さんとは死別しています。
現在は再婚しているのでしょうか。
今回は、加藤登紀子さんの旦那さんとの結婚、再婚について調べてみました。
加藤登紀子は再婚してる?
今週の「徹子の部屋」:10/5出演 加藤登紀子、今年80歳 「知床旅情」の作者・森繁久彌さんとの思い出語る- MANTANWEB(まんたんウェブ) https://t.co/IdgV78epIk
— 加藤登紀子 (@TokikoKato) October 1, 2023
加藤登紀子さんは、現在独身です。
1972年に結婚し、2002年に旦那さんと死別しました。
その後は再婚せず、今は1人暮らしだと明かしています。
加藤登紀子の旦那・藤本敏夫の死因
加藤登紀子さんの旦那さんは、藤本敏夫さんと言います。
藤本敏夫さんは肝臓がんを患い、闘病の末に2002年に亡くなりました。
肝臓がんの前には大腸がんも患っていたそうで、こちらは完治したものの、肝臓がんは深刻で肝臓を3分の1ほど切る摘出手術をしました。
その後のリンパ節にまでがんが転移したと分かったときには、医師から「手術はできない状態。放っておけば余命は1年でしょう」と宣告されていたのだそうです。
加藤登紀子の旦那は藤本敏夫で獄中結婚だった
今日は、1972年(昭和47)歌手・加藤登紀子が、元反帝全学連委員長・藤本敏夫と獄中結婚したことを発表した日。「ひとり寝の子守歌」は、塀の中にいる夫を思って作られた、加藤の代表曲のひとつでした⇒https://t.co/rJmAMdsqWd
— utsuwa-Shun (@ShunUtsuwa) May 29, 2022
五反田、器 pic.twitter.com/zresgAzGhh
藤本敏夫さんは、学生運動指導者でした。
1963年に同志社大学に入学、新聞記者を志して新聞学を専攻していましたが、1967年に羽田闘争に参加すると1968年には反帝全学連の委員長に就任、国際反戦デー防衛庁抗議行動に参加しました。
1972年4月には公務執行妨害などの罪で逮捕、懲役3年8か月の実刑を言い渡され、中野刑務所に収監されました。
そのため加藤登紀子さんの周囲は二人の交際を反対、加藤登紀子さん自身も「あまりにも生きている場所が違う」と悩んでいたものの、加藤登紀子さんのお母さんだけは「あの人は、あんたのお守りさんやから交際を続けなさい」と言ってくれたそうです。
そしてお母さんからの「女っていうものは、誰かを思うことによって心の平和が保たれている。もしそれを無理やり別れちゃったりしたら、あなたはすごい危険な女になっちゃうわよ」という言葉で、加藤登紀子さんは藤本敏夫さんとの結婚を決意しました。
加藤登紀子と藤本敏夫の馴れ初め
加藤登紀子氏のツィートが炎上しておりますが、彼女の夫は藤本敏夫氏はバリバリの全共闘の幹部でした。その人と獄中結婚をしています。 pic.twitter.com/SasZ1bui1y
— 松村尚和(Hisakazu Matsumura) (@matsuhis1) April 11, 2020
加藤登紀子さんと藤本敏夫さんの出会いは、大学時代でした。
東大卒業式ボイコット闘争が行われていた時、女性週刊誌からの「振り袖で来てほしい」という要請を振り切って加藤登紀子さんはジーパンで会場に足を運びました。
この姿が週刊誌に報じられ、それを見た藤本敏夫さんが加藤登紀子さんに興味を持ったそうです。
初めて会った時、藤本敏夫さんは加藤登紀子さんに「学生の集まりで歌ってほしい」と言い、加藤登紀子さんは「歌と政治をからめたくない」と拒否しました。
その時はみんなと一緒に飲んだだけで終わったものの、次第に惹かれ合い交際に発展しました。
加藤登紀子は若い頃に学生運動?
加藤登紀子さんは、1960年の安保のデモに高校時代の放送部仲間と参加しました。
その4日後、学生運動家の樺美智子さんの訃報にショックを受け、翌朝に事件をニュース原稿にして校内放送を流したことをきっかけに「樺さんの後を継ぐためにも東大に入ろう」と思ったそうです。
ただ東京大学在学中は、歌手の道を歩んでいたこともあり学生運動とはすでに距離を置いていました。
まとめ
加藤登紀子さんと藤本敏夫さんの獄中結婚は、当時大きな話題になりました。
藤本敏夫さんは亡くなってしまいましたが、これからも見守ってくれている藤本敏夫さんに届けられるよう、加藤登紀子さんらしく歌い続けてほしいですね。