シンガーソングライターとして数々のヒット曲で話題を集めた加藤登紀子さんは、どんな家庭で育ったのでしょうか。
学生時代はどこの学校に通っていたのでしょうか。
今回は、加藤登紀子さんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。
加藤登紀子の実家や生い立ち
1943年12月27日、加藤登紀子さんは中華人民共和国のハルビンで誕生しました。
戦争後に京都に引き上げ、中学の時に東京に引っ越しました。
そのため加藤登紀子さんの実家は東京都内にありましたが、現在残されているのかは不明です。
2200gの未熟児で誕生した加藤登紀子さんは医師から「生命は保証できない」と言われたものの、大きな病気にかかることもなく育ちました。
幼少期は泣き虫で、いつもお母さんのそばにくっついているような内気な子供だったそうです。
加藤登紀子の父親
加藤登紀子さんのお父さんは、加藤幸四郎さんと言います。
お父さんは、ロシアの専門家を養成する哈爾濱(ハルビン)学院出身で、「ハルビン発パリ行きの列車に乗ること」が夢だったそうです。
戦後は日本のレコード会社に勤務したり、興行師になったり、ロシア料理のレストランを始めたりと様々なことをしていました。
そんなお父さんは、1992年に82歳で亡くなりました。
加藤登紀子の母親
加藤登紀子さんのお母さんは、加藤淑子さんと言います。
お母さんは、2017年1月2日に101歳で亡くなりました。
幼い頃の加藤登紀子さんに、「国語、算数より大事なのは音楽、図画工作、体育。その3つができないと人生寂しいわよ」と話していたそうです。
加藤登紀子の兄弟や姉妹
加藤登紀子さんには、お兄さんとお姉さんがいます。
お兄さんの加藤幹雄さんは、元住友金属工業(現・新日鉄住金)の副社長で、現在はお父さんのお店だったロシア料理店を継いで経営者になっているそうです。
お姉さんは加藤幸子さんと言い、一般人のため情報がありませんでした。
加藤登紀子のプロフィールや経歴
歌手の加藤登紀子さんを独占インタビュー! 22日の夕刊フジ「ぴいぷる」欄で特集しています。3枚組のアルバム「花物語」をリリースしたばかり。ヒット曲はどう生まれるのか、との問いの答えが「へぇ~」でした。駅売店、コンビニで#加藤登紀子#ぴいぷる#花物語#この手に抱きしめたい pic.twitter.com/ayktImWK9a
— こちら夕刊フジ編集局 (@yukanfuji_hodo) September 22, 2021
名前:加藤登紀子
生年月日:1943年12月27日
出身地:中華人民共和国 ハルビン
血液型:O型
身長:155cm
所属事務所:トキコ・プランニング
1965年に『第2回日本アマチュアシャンソンコンクール』で優勝した加藤登紀子さんは、翌年「誰も誰も知らない」でレコードデビューしました。
2枚目のシングル「赤い風船」で第8回日本レコード大賞の新人賞を受賞すると、1969年にも「ひとり寝の子守唄」で第11回日本レコード大賞歌唱賞を、「知床旅情」で1971年に第13回日本レコード大賞歌唱賞を二度目となる受賞しています。
1971年には『第22回NHK紅白歌合戦』にも初出場し、1980年代には中国やニューヨークのカーネギー・ホールでコンサートを行いました。
1983年の映画『居酒屋兆治』、1986年のドラマ『深夜にようこそ』など女優としても活動し、1992年のスタジオジブリ作品『紅の豚』では主題歌となる挿入歌「さくらんぼの実る頃」やエンディング・テーマ「時には昔の話を」だけでなく、声優も担当しています。
2021年5月には日本訳詩家協会6代目会長に就任、2022年に毎日芸術賞を受賞しました。
加藤登紀子の所属事務所
加藤登紀子さんは、「トキコ・プランニング」に所属しています。
こちらは加藤登紀子さんの個人事務所になっています。
加藤登紀子の年収
加藤登紀子さんの年収は公表されていません。
デビューから現在まで様々な活動を行っており、テレビにも出演しています。
そのため年収は数千万以上になるのではないかと思われます。
加藤登紀子の自宅
加藤登紀子さんの自宅は、千葉県鴨川市にあります。
1981年に設立した「鴨川自然王国」の設立者は加藤登紀子さんの旦那さん(藤本敏夫さん)で、無くなってから加藤登紀子さんが引き継ぎました。
芸能活動もあるため、千葉と東京を行き来する生活を送っているそうです。
加藤登紀子の学歴
加藤登紀子さんが通っていた学校について調べてみました。
加藤登紀子の出身小学校
加藤登紀子さんは、京都市立下賀茂小学校出身です。
2年生からバレエを、3年生からは歌の習い事をしていました。
加藤登紀子の出身中学
小学校卒業後は、京都府内の中学校に進学しました。
学校名は公表されていません。
その後、世田谷区立桜木中学校に転校しています。
転校後は京都との違いにカルチャーショックを受けたそうです。
成績はあまり良くなかったものの、お兄さんと机を並べて勉強をするうちに成績は伸びトップになりました。
加藤登紀子の出身高校
中学校卒業後は、東京都立駒場高等学校に進学しました。
現在の偏差値は、68です。
高校時代は放送部に所属していました。
2年生の時にはアナウンス部長を務めています。
加藤登紀子の出身大学
高校卒業後は、東京大学に進学しました。
加藤登紀子さんは文学部西洋史学科に在籍、現在の偏差値は72です。
歌手活動もあったことから学校にほとんど通わなかった時期があるものの、6年かけて卒業単位を取得しました。
まとめ
加藤登紀子さんの家族は一般人で、自身だけが芸能界という道に進みましたが、世界でコンサートを行うなど日本を代表するアーティストとして活躍し続けています。
今後もそんな加藤登紀子さんの活躍を応援していきたいですね。