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岡田茉莉子はハーフ?父親と母親はスターだった!実家や兄弟なども

岡田茉莉子はハーフ?父親と母親はスターだった!実家や兄弟なども 女優
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1951年に女優デビューし、ドラマや映画の世界で活躍している岡田茉莉子さんですが、両親も役者として活動していました。

お父さんとお母さんはどんな役者だったのか、気になりますね。

今回は、岡田茉莉子さんの家族や実家、生い立ちについて調べてみました。

岡田茉莉子はハーフ?国籍は?

若い頃の岡田茉莉子さんはとても整った顔立ちをしていてハーフっぽく見えますね。

しかし岡田茉莉子さんの両親は日本人で、ハーフではありません。

岡田茉莉子さんは幼少期に上海暮らしをしていたこともあるものの、生まれは日本なので国籍も日本です。

岡田茉莉子の父親は岡田時彦

岡田茉莉子さんのお父さんは、俳優の岡田時彦さんです。

岡田時彦さんは、1920年に横浜の映画会社大正活映(大活)に17歳で入社、『アマチュア倶楽部』で映画デビューを果たしました。

その後も様々な作品に出演し、映画誌「映画時代」のファン投票で当時の大人気スター・阪東妻三郎さんに400票以上も差をつけて第1位に輝いたこともありました。

しかし1933年に結核で入院、1934年に30歳で亡くなりました。

岡田茉莉子さんは1933年生まれのため、お父さんと過ごした記憶は残っていません。

お母さんもお父さんについては多くを語っていなかったそうです。知りました。

そして岡田茉莉子さんが高校2年生の時、たまたま映画館で無声映画の『瀧の白糸』を観た時に不思議な余韻が残り、帰宅してからお母さんに話すと「その映画の主演俳優、岡田時彦はあなたの父親なのよ」と告げられ、岡田茉莉子さんは初めてお父さんが俳優だったことを知りました。

岡田茉莉子の母親は田鶴園子

岡田茉莉子さんのお母さんは、元「宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)」の女優・田鶴園子さんです。

田鶴園子さんは、1924年に宝塚少女歌劇団に14期生として入団、駆け出しのころから月組、1931年から花組で男役を務めて1932年に退団しました。

お父さんが亡くなってからは岡田茉莉子さんを女手一つで育て、1938年にダンス教師の資格をとり、上海に渡りました。

そんなお母さんは、1989年10月8日に81歳で亡くなっています。

岡田茉莉子の実家や生い立ち

1933年1月11日に東京・渋谷区代々木で誕生した岡田茉莉子さんは、大阪、上海など住まいを転々とし居候生活が多かったそうです。

幼少期は内向的で人が怖かったという岡田茉莉子さんでしたが、叔父さんから第3期東宝ニューフェイスを受けるよう勧められたことをきっかけに女優デビューしました。

すぐに人気女優になり多忙な生活を送っていたため、お母さんや周囲の人に「辞めたい」と話すこともありました。

しかし「母親を表札のある家に住まわせたい」という目標を叶えるため、続けていたそうです。

その頑張りが叶い、岡田茉莉子さんは23歳の時に誰からもお金を借りずに東京・目黒区八雲に和風建築の一軒家を購入、『田中』『岡田』と表札を並べて門に掲げました。

岡田茉莉子の兄弟や姉妹

岡田茉莉子さんは、一人っ子で兄弟はいません。

お母さんは再婚をしていないので、異父兄弟もいないようです。

まとめ

芸能人の両親から誕生した岡田茉莉子さんですが、お父さんを早くに亡くしたことから、決して恵まれた生活ではありませんでした。

それでも二人の才能を受け継いだからこそ、岡田茉莉子さんも芸能界で成功したのだと思います。

これからも女優として、活躍し続けてほしいですね。

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