2012年のノーベル生理学・医学賞をジョン・ガードンさんと共同受賞し話題を集めた山中伸弥さんは、どこの学校に通っていたのでしょうか。
どんな両親の元で育ったのか、気になりますね。
今回は、山中伸弥さんの出身学校や家族について調べてみました。
山中伸弥の学歴
山中伸弥さんが通っていた学校について調べてみました。
山中伸弥の出身小学校
山中伸弥さんは、東大阪市立枚岡東小学校に入学しました。
4年生の時、奈良市立青和小学校に転校しています。
子供の頃の山中伸弥さんは病弱だったそうですよ。
山中伸弥の出身中学
小学校卒業後は、大阪教育大学附属天王寺中学校に進学しました。
偏差値は、54です。
3年生の時には生徒会副会長を務めました。
お父さんに勧められ、中学は柔道部に入っていました。
山中伸弥の出身高校
中学校卒業後は、大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎(現・大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎)に進学しました。
偏差値は、72です。
高校でも柔道を続け、二段を取得しました。
また「枯山水」というバンドを組んで、音楽活動もしていたそうです。
山中伸弥の出身大学
高校卒業後は、神戸大学に進学しました。
山中伸弥さんは医学部医学科に在籍、偏差値は68です。
大学では3年生からラグビーをやっていました。
山中伸弥の実家
山中伸弥さんは、大阪府枚岡市(現・東大阪市枚岡地区)出身です。
小学生の時に一家で奈良県北西部の奈良市に転居していますが、詳しい場所は公開されていません。
山中伸弥の生い立ち
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1962年9月4日に誕生した山中伸弥さんは、実家が工場を経営していたことから物心ついた頃からまわりに機械や設計図があり、おのずと理系に進んだそうです。
中・高校時代は部活に打ち込んでいましたが、成績も優秀で常にトップクラスでした。
そんな山中伸弥さんは幼い頃からお父さんに「お前は商売には向いとらん。理科と算数ができるなら医者になれ」と言い続けていたため、高校を卒業し神戸大学医学部に進学しました。
怪我続きの中・高時代に世話になったという理由から整形外科を志望したものの、ここで挫折を味わい「自分は外科医よりも、研究者の方が向いているかもしれない」と、研究者に転身しました。
山中伸弥の父親
山中伸弥さんのお父さんは、山中章三郎さんと言います。
同志社大学の工学部(註・当時は工業専門学校)を卒業し、東大阪でミシンの部品を作る小さな町工場を経営していました。
もともと山中伸弥さんの祖父が部品の特許を取得しており、お父さんは事業拡大を目指していたそうです。
工場は儲かっていましたが、お父さんは麻雀と競馬も大好きだったため、山中伸弥さんは「この2つがなければ、もう少しいい暮らしができたんじゃないかと思う」と明かしています。
そんなお父さんは経営者でありながら技術者として自らものづくりを手掛け、家にいる時でも設計図を描いたり、とにかくずっと働いている人でした。
しかし山中伸弥さんが結婚した後、58歳で亡くなっています。
山中伸弥の母親
ノーベル賞学者を支えた「母からの電話」 https://t.co/u6ihDXtOUg 2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥さん。1990年代後半、研究をあきらめ、臨床医になろうとしたとき、母親から電話で「昨日、お父ちゃんが夢枕に立った。伸弥にもう一度考えなおすようにと言っていた」と"非科… pic.twitter.com/9Ju29k2xK7
— Gnews (@Gnews__) January 4, 2018
山中伸弥さんお母さんは、山中美奈子さんと言います。
お母さんの実家は大分の別府温泉で土産物店をやっていたそうで、山中伸弥さんはお母さんはずっと大分県出身の方だと思っていたものの、亡くなってから大阪出身だったことを知りました。
そんなお母さんは山中伸弥さんに対し「勉強しなさい」ということはなく、教育ママではなかったそうです。
お父さんが亡くなってからは、工場を1人で経営していました。
そして2017年6月、86歳で亡くなりました。
山中伸弥の兄弟や姉妹
山中伸弥さんには、お姉さんがいます。
お姉さんは山中伸弥さんの8歳年上で、職業は教師です。
歳が離れていたこともあり、山中伸弥さんは子供の頃からあまりお姉さんと一緒にいる時間がなかったそうです。
まとめ
山中伸弥さんはお父さんに勧められた医師になったものの、挫折をきっかけに研究者の道を歩むことになり、ノーベル賞も受賞しました。
空の上で見守ってくれている両親に安心してもらえるよう、これからも頑張ってほしいですね。