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山中伸弥の年収は?若い頃落ちこぼれだった?天才と言われる理由や性格も

山中伸弥の年収は?若い頃落ちこぼれだった?天才と言われる理由や性格も 学者
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世界で初めてiPS細胞の作製に成功した山中伸弥さんは、どんな人なのでしょうか。

若い頃は「ジャマナカ」と言われたそうですが、何故なのでしょうか。

今回は、山中伸弥さんの経歴や年収、性格などについて調べてみました。

山中伸弥の年収がすごい?

山中伸弥さんの年収は公表されていません。

現在は京都大学iPS細胞研究所名誉所長・教授で、カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所上席研究員という肩書を持っています。

テレビなどのメディアに出ることもあり、ネット上では年収について「1000万円以上ではないか」と噂されていました。

山中伸弥は若い頃落ちこぼれだった?

山中伸弥さんは大学卒業後、臨床研修医として勤務していました。

研修医時代の呼び名は「ジャマナカ」で、「邪魔な山中」を略したものだったそうです。

その理由は、山中伸弥さんが不器用で通常20分程度で終わる手術に2時間もかかってしまったからでした。

学生時代は成績優秀だった山中伸弥さんですが、医者としては上手くいかなかったようですね。

山中伸弥が天才と言われる理由

山中伸弥さんは、2006年8月に世界で初めてiPS細胞の作製に成功し、2012年にノーベル医学・生理学賞を受賞しました。

皮膚などに分化した細胞にある遺伝子を組み込むことで、あらゆる生体組織に成長できる万能な細胞を作ることに成功したのです。

このことがきっかけで山中伸弥さんの名は日本だけではなく世界に広がり、「天才」と呼ばれるようになりました。

山中伸弥の性格

山中伸弥さんは、とても真面目な方です。

学生時代から成績はトップクラスで、部活の柔道、さらには生徒会の活動にも一生懸命取り組んでいました。

周囲の人からは「裏表がない誠実な男で、彼の話はいつも明快。研究は彼の人柄そのものをよく表しています」という声も聞かれていました。

山中伸弥さん自身は、「すぐに新しいことをやりたくなる飽きやすい性格」と明かしています。

山中伸弥のプロフィールや経歴

名前:山中伸弥
生年月日:1962年9月4日
出身地:大阪府
血液型:B型
身長:非公開

大学卒業後はお父さんの勧めで国立大阪病院整形外科で臨床研修医として勤務していた山中伸弥さんですが、1989年に大阪市立大学大学院に入学し、山本研二郎さんが教授を務めていた薬理学教室で三浦克之さんの指導のもと研究を開始しました。

1993年には博士(医学)の学位を取得、科学雑誌上のあらゆる公募に応募し採用されたカリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所へ博士研究員として留学、トーマス・イネラリティさんの指導のもとでiPS細胞研究を始めました。

その後は、日本学術振興会特別研究員 (PD) 、大阪市立大学薬理学教室助手、カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所上級研究員、iPS細胞研究所(CiRA。サイラ)の所長に就任しています。

そして「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」により、2012年のノーベル生理学・医学賞をジョン・ガードンさんと共同受賞、大きな話題を集めました。

2020年、2019新型コロナウイルスによる急性呼吸器疾患について 個人の活動として 「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」を開設しました。

マラソンが趣味であるということから、日本に寄付文化を根付かせることを目的に寄付募集のためのマラソン大会出場も行っています。

山中伸弥の著作

山中伸弥さんは、これまでに『iPS細胞の産業的応用技術』、『再生医療生物学』、『iPS細胞ができた! ひろがる人類の夢』などの書籍で編集・監修に携わりました。

また、『「大発見」の思考法 iPS細胞vs.素粒子』、『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』、『友情 平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」』などの一般書籍も出版しています。

2021年には、棋士の藤井聡太さんと『挑戦 常識のブレーキをはずせ』を手掛けました。

まとめ

ノーベル賞の受賞によって「天才」と言われるようになった山中伸弥さんですが、それまでの道のりは決して簡単なものではなく、「落ちこぼれ」の時もありました。

それでも折れることなく、真面目に一生懸命取り組んだからこそ、結果を出すことが出来たのだと思います。

これからも山中伸弥さんの活躍に注目していきたいですね。

学者
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